3.11でリモートワークの実績と自信を得たビジネスマンたちは、日本全国へ、そして海外へ、働く場所を広げていった。
2011年3月11日、あの日を境に私たちの働き方は変わった。
「私たち」と大きくくくると語弊があるので言い直すと、少なくとも筆者の周囲は変化した。東日本大震災が起こったあの日、アイティメディアの社員たちは、東京 大手町のオフィスから何らかの方法で自宅まで帰り着くと、すぐさまPCを立ち上げた。余震が続き、停電になるかもしれないとは言われていたが、幸いインターネットはつながっている。そこで私たちは決意したのだ。「よし、大丈夫だ。私たちはまだ働ける。今こそ読者のお役に立つべきときだ」と。
それから数日間、会社から自宅待機を命じられた私たちは、メールやチャットで仲間と連絡を取り合いながら、夜となく昼となく記事を上げ続けた。自宅でできることには限りがあったけれども、避難所情報やデマの否定など、「これを伝えれば誰かの役に立つ」「この情報は必要だ」と判断した情報を、自宅や実家などさまざまな場所から発信し続けた。
そう。あのとき私たちは、インターネットとPCがあれば「出社しなくても働ける」という「実績」を作り、「やればできる」という「自信」も付けたのだ。
同様のことは他の会社やコミュニティーでも起きていた。ネットワーク越しに連絡を取り合い、バーチャルのチームを作って、Windows Azureのコミュニティーメンバーが過負荷でダウンした日本赤十字社のミラーサイトを立ち上げたり、本田技研を中心に複数の会社が協力しあって、カーナビの走行実績データを活用した被災地への移動支援の仕組みを作ったり、さまざまなプロジェクトを次々と立ち上げた。
逆に「サーバがダウンした」「会社に物理的に行かないと仕事にならない」「会社のPC&メーラーからでないと、社用のメールを使えない」など、さまざまな理由で業務がストップし、それをきっかけにBCP(事業継続計画)を策定するようになったり、二の足を踏んでいたパブリッククラウドの導入検討に乗り出したりした企業や団体もたくさんあったようだ。
あれから5年。1番変わったのは、私たちビジネスパーソンの「気持ち」ではないだろうか。
今日と同じ明日がいつまでも続くとは限らない、仕事も大切だが家族のことももっと考えたい、など私たちは以前よりも「個」を大切にし、自分たちの働き方を見直すようになった。
最近、@IT自分戦略研究所で取材した中だけでも、「島根にいながら、東京やベトナムのエンジニアとバーチャルプロジェクトチーム組んで開発」したり、「長野に移住して起業し、もともと在籍していた会社とのダブルワークを実現」したり、「岡山で暮らしながら、東京の顧客の受託開発したり」、さまざまな地域に移住し、さまざまな働き方を選択したエンジニアがいた。
活躍の場所は国内にとどまらず、「ベトナムで起業し、現地のエンジニアを雇用してプロジェクトチームを作った元エヴァンジェリスト」や、「カンボジアでWeb開発者デビューを果たした文系出身エンジニア」もいる。
変わったのは、働く場所だけではない。
正社員“以外”の雇用形態を選択し、やりたいことやプライベートとの両立を果たしているエンジニアも増えてきた。同じく@IT自分戦略研究所で近年取材したり出会ったりしたエンジニアには、「半年単位でオンとオフを切り替え、スキー選手とエンジニアを両立する派遣エンジニア」や、「子育てを全て引き受け、ノー残業で働くパパエンジニア」、「副業と開発の両立を図るフリーランスエンジニア」などがいた。
こうした「個」の動きに合わせて、さまざまな働き方を社員に提示する企業も増えてきた。
日本ヒューレット・パッカードは、1日の就業の全部または一部を自宅で就業できる「フレックスワークプレイス制度」を導入し、日本アイ・ビー・エムは、通常の60%勤務を可能とする短時間勤務制度を設け、社員のプライベートの変化に伴って働き方を変えられるようにした。「副業推奨」「育自分休暇」など、サイボウズのさまざまな施策も興味深い。
個人や企業の意識が変わり始めた今、ITは新しい働き方の実現を強力に支援してくれる。ネットワークやクラウドの進展はリモートワークスタイルの実現に大きく寄与した。では新しいIT技術、例えばIoTやAIは、私たちの働き方をもっと自由に、もっと柔軟にしてくれるのだろうか。
「特集:テクノロジーが支援する1億総ワークスタイル変革時代」は、ITの活用で今後ワークスタイルがどのように代わり、私たちにどのような変化がもたらされるのかを解説していく。お楽しみに。
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