就職した企業の入社時研修で、初めて本格的にプログラミングを学んだ。
最初に配属されたのはECサイトのリプレース案件で、開発はオファーをいただいた企業の中で、C#.NET、データベースはMicrosoft SQL Server、というマイクロソフトの技術で固められたものだった。榎本さんは、2年ほどこういった技術スタックのプロジェクトでプログラミングスキルを磨いていく。
それと同時に、PHPやRuby on Rails、MySQLなどのオープンソースソフトウェア(OSS)の魅力に次第に取りつかれていった。そんな折、OSSで開発を行う部署に異動になり、初めてLAMP環境(Linux、Apache、MySQL、PHP)での開発に携わった。
入社から3年目に入ろうかというころ、「このままでいいのか?」という思いが募り始めた榎本さんは、社内CMS環境をリプレースするプロジェクトに参加することになった。
「これが、完成後に公開し、OSS化するなどの話なら、がぜんやる気が湧いたと思うのです。でも、あくまでも社内利用オンリー、フレームワークも自社内で独自に開発したものでした」
世の中では「ウェブ進化論」で読んだようなことが現実に起こり始めているのに、自分がまだそのステージに立てていないことが、焦りに似た感覚を覚えさせた。これがキッカケとなり、榎本さんは同社を退職する。次の転職先が決まっていたわけではない。
「漠然と、シリコンバレーのIT企業で働きたいと思っていました(笑)」
しかしコンピュータサイエンスの学位を持たない榎本さんが、米国のIT企業で働くのはそう簡単ではなかった。そこで、「実績を作ることが先決」と考え、ワーキングホリデーを使って語学留学をしながら海外のIT企業で働こうと考えた。しかし、日本がワーキングホリデー協定を結んでいる16カ国に米国は含まれていなかった。
「いきなり米国で働くのは諦め、隣国であるカナダの西海岸の都市、バンクーバーに留学することにしました。少しでもシリコンバレーに近づきたいと思ったんです(笑)」
それまでに貯金した200万円で、学費や渡航費用、当座の滞在費を賄ったという。そしてカナダで仕事を探した。
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