「プログラマーはもういい」と考えたひでみさんが次に選んだのはパートタイムのオペレーターの仕事だった。しかし、人に言われたことを入力していくだけの仕事はつまらなく、結局3カ月程度で退職する。しかし、ここで得たものもあった。
「プログラマーはもういいと思ったのは、プログラマーという仕事が嫌だったのではなく、環境が嫌だったということに気付きました。『やっぱりプログラミングは楽しい』とオペレーターを経験したことで再認識できました」
しかし、正社員になると、ある程度経験を積めばそのうちSEに“させられ”てしまう。自らコードを書く機会が減ってしまうかもしれない。そこでひでみさんは、プログラマーに専念できる派遣社員の道を選んだ。
時代はPC全盛期。派遣先は、とある外資系コンピュータメーカーの日本における研究開発拠点だった。自社製PCにプリインストールするデバイスドライバや各種ユーティリティーの多言語版を開発するという仕事だった。限られた容量、少ない開発期間、世界中での利用を考えたソフトウェアの開発は、プログラマーにとって大きなやりがい。ひでみさんにとっても、とても魅力的な仕事だった。
プログラマーとして充実した毎日を過ごしていたひでみさん。そんなある日、「20歳になるまでに歩けなくなると言われた足が手術によって少し良くなる」という話を耳にした。
「『20歳までに』というのは、あくまでも『当時の医療技術では』という話で、時代とともに医療の方も進歩していました。手術をすれば、少し良くなる見込みが出てきたのです」
少しでも見込みがあるのなら、とひでみさんは派遣先を退職することに決め、1回目の手術を受ける。
手術後は8カ月ほど休業していたが、たまたま、住まいから一駅隣にある大手通信機器、PCメーカーのグループ企業がプログラマーを募集していたため、通勤をリハビリと考え、そこで働き始めることに。そして、この会社で、ひでみさんは、さらなるプログラミングの面白さに目覚めていく。
「最初の仕事は、通信機器をリモートで管理するソフトウェアの開発で、C言語による実装でした。その仕事が一段落し、手が空くようになってきたころ、会社の開発言語がC++に切り替わることになりました。私にもC++を覚えるようにということで、C++の開発者であるストラウストラップの著書『プログラミング言語C++』を10回ぐらい通し読みしました(苦笑)」
ひでみさんが暇そうにしていると、ひでみさんが働いていた部署の部長は同社のC++ライブラリのソースを読むことを許してくれた。
「私としてはとてもうれしかったのですが、何だか申し訳ない気持ちでした。『仕事がなければ契約を解除してもいいのに』と思うこともありました」
実は、部長はひでみさんのプログラマーとしての能力を高く評価していて、手放したくなかったらしい。途中、手術を理由に2度退職していたが、そのたびに呼び戻されたという。実際、部内では「ひでみさんにコーディング以外の業務は振るな」というお達しまで出ていたそうだ。
「ここでC++を徹底的に学んだことで、なぜオブジェクト指向が有用なのか、クラスや継承がどうして必要なのか、全てに納得がいき、ますますプログラミングが面白くなりました」
この時期、ひでみさんは知人から「プログラマーはあなたにとって天職だね」と言われたという。
「外からもそう見えるのか。それならこの仕事をずっと続けよう、と思いました(笑)」
居心地の良い現場だったが、オフィスが別の場所に移転することになってしまった。新しい場所は、ひでみさんにとって通勤が難しく、やむなく職場を去ることになった。
その後も幾つかの派遣先を経験し、また足の手術を受けた。4回目になる手術を終えた後も派遣を続けていくつもりだったが、あるきっかけから正社員になった。
「ある現場で、入社3年未満のプロパーに派遣社員であることを理由にばかにされたんです。そんなに正社員が偉いのか、という思いでした(苦笑)」
かつて正社員を辞めたのも、後に正社員になったのも、どちらも「頭にきて」がきっかけだったという点は、とても興味深い。
大手コンピュータメーカー系のシステム開発会社に入社し、SEとして仕事をした。この経験もまた、ひでみさんにとって大きなものとなった。
「要件定義から、設計、コーディングまでを手掛けたことで認識を新たにできました。以前は『なぜ仕様書がこうなっているのか』と疑問に思うことも多かったのですが、自分で要件を仕様に落とし込んでいくことで、さまざまな考えを巡らせることができるようになりました」
また「エンドユーザーと話す」のが楽しいということも実感した。そのきっかけとなったのが、社内の各個人が持つ「Microsoft Excel」(以下、Excel)や「Microsoft Access」のマクロを整理し、それぞれの重複機能を一元化し、システムに統合するというプロジェクトだった。
「皆さんに今使っているExcelのシートを提出してもらったのですが、明らかに1つ足りず『ミッシングリンク』がありました。それを探し当てるのが大変でした。Excelのマクロでこんな動きをするもので……と言ってもユーザーには通じません。アプリのようにボタンしか配置されていないものであれば、使っている本人はそれがExcelシートという認識すら持っていないかもしれません。ちょっとした謎解きや、パズルのような面白さがありました」
後に判明したことだが、ミッシングリンクのシートの持ち主は、前任者から「とにかく毎朝出勤したら、このボタンをクリックして」と言われ、その目的も効果も知らないまま使い続けていたという。
この一件以来、ひでみさんはエンドユーザーの立場に立ち、UI(ユーザーインタフェース)やUX(ユーザーエクスペリエンス)を今まで以上に意識しながらプログラミングを心掛けるようにしているという。
6年前に同社を退職。そして40代後半になってフリーランス宣言をする。周囲からは「今からフリーランスになるなんて、本当に大丈夫?」と思い切り心配されたという。しかし、ひでみさんには、これまでの数々の経験から導き出された持論がある。
「プログラマーという職業は選ぶけれど、仕事は選ばない。そうすればさまざまな経験ができる。そうした経験を通じて、自分にたくさんの枝葉を生やしていけば、必ず生き残れます」
BASIC、FORTRAN、C、C#、C++、Java、JavaScript、Python、VBA、VC++、JSP、ASP、ASP.NET、SQL、HTML。ひでみさんが習得したプログラム関連技術はざっとあげただけで15。まさに仕事を選ばなかった故に得られた経験であり、その経験こそがフリーランスプログラマーとして現在も生き残っている理由といえるだろう。
「20歳までに歩けなくなる」と医師から宣告を受けたが、そこで絶望することなく、常に前を向き、ときに頭に血が上らせながら、長い道のりを一歩ずつ進んできたひでみさん。そして今、フリーランスプログラマーという新たな道を、自らの足で着実に歩み続けている。
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