チャンスだ――役員会議の議事録に目を通した小塚の胸は躍った。
小塚は半年前、前社長の鈴木にオンラインショップの開設を提案したことがある。営業部長の小塚には、現場を見てきたからこそ分かる危機感があったのだ。
ここ十数年、他のスーパーの品ぞろえや品質が確実に良くなってきた。「以前のように安ければ売れる時代ではない」と気づいたライバルたちは、商品の自社開発などを行い、低価格で品質の高い品物を店に並べるようになった。つまり、品質においてラ・マルシェと遜色のない品ぞろえができるようになったのだ。そうした相手と人口減少で狭くなる一方のマーケットを争っていては先がない。
もっと広く、日本中、いや世界中にモノを売ることが必要だ。
そう考えた小塚は、そのときたまたま営業会議に出席していた鈴木に熱弁を振るって進言した。だが、鈴木は眉をひそめたまま首を縦に振らなかった。
インターネットで誰でも簡単に購入できるなんて、ブランドイメージを損ねる。店に来ている顧客が離れていくかもしれない。そもそも「ラ・マルシェ」は、単に良い商品を売るだけの場所ではない。たくさんの良い商品を目にし、買い物を楽しんでいただく「空間」であるべきだ。君はそうした肝心なところが分かっていない――鈴木はそう言って、小塚の進言をはねつけたのだ。
しかし時代は変わった。頑迷な前社長はもういないのだ。
もう一度提案してみよう――小塚は会議が終了すると早々に自室に戻り、数名の部下と共に1週間ほどでオンラインショップ「スマホ・デ・マルシェ」の企画案を作成して提出した。
数日後、新社長の高橋から社長室に来るようにとの連絡が入った。
「オンラインショップか……。今どきこれくらいのこと、やらない方がおかしいよね」
柔らかな表情のまま企画書に目を通す高橋の姿に、小塚の心臓が高鳴った。
「前社長には、ブランドイメージを落とすからって反対されたんだって?」
「はい」
やや落とした声で小塚がそう答えると、高橋は両手を頭の上で組んだ。
「まあ、分からないでもないけどね。その辺はどうするの? マルシェのブランドを維持するには」
「会員制にしようと思います」
小塚は早口で答えた。
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