実は米持さんは、IBM退社前、30代後半に入ったころから「自分が過去何をしてきたか、これから何をしたいか」をまとめた資料をPowerPointで作り始めていたそうだ。
「20代から30代にかけては、自分の終わりってあまりイメージしていなかったんですよ。だけど40歳を前にしたあたりで、集中力が持続できない自分に気が付きました。目と肩に限界がきて、1時間ずっとソースコードを見てられないんですよ」
自身の体力の衰えを感じて、ずっとこのまま同じようには仕事を続けられないだろうと実感し「定年まであと何年だろうか」「定年後もエンジニアとして働き続けられるのはあと何年だろうか」といった事柄を考え始めた米持さん。ゴールを65歳や70歳くらいと定めたときに、この後どうすべきかを図を見ながら考えた。
「音声対応システムを自分でやろうとするならば、64歳で始めようにもヨボヨボで恐らく無理だろうと。自分の過去の経験からすると、せめて10年くらいはやり続けないと結果は出ないだろうなと思いました」
最初の3年はおとなしくしていて、4年目あたりから自分勝手にやり始め、うまくいかなかったらやめるし、うまくいきそうなら続けていく――それが米持さんのこれまでのパターンだった。「だから、65歳までに仕事をやめるんだったら、55歳までには始めないといけないなと思いました」。
実は、IBMを退職する時点でも起業という選択肢は頭の片隅にあったが、その時は「ビジネスの知識をはじめ、準備が足りない」と思っていたという。独学で知的財産管理技能士の資格を取得し、HRIで経営に関する経験を積んで、やっと「少し準備ができたし、そろそろチャンスだな」と感じたそうだ。昔の仲間が立ち上げた会社から「手伝ってよ」と誘われたことも背中を押したという。
そして今、米持さんは、大学院生としての研究と自分の会社でのビジネスという二足のわらじを履いている。どちらかといえば研究の方に重きを置き、「なんであのとき、無理をしてでも大学に行かなかったんだろう」という過去の自分への恨みを晴らしながら、働くのをやめる時までにHAL 9000を作りたいという思いを果たそうとしている。
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