「私共と致しましても、イツワさまのような大銀行にお付き合いいただけますのは、創業以来のビッグチャンスと申しますか……。関連企業にも幾つもご発注いただきまして。そんなわけですから、それはもう誠心誠意、頑張らせていただいておるつもりでございます」
礼を言う布川に、山谷は満足げにうなずいた。
「サンリーブスのような若い企業には、どんどん成長していただきたい。頭取もね、そんなお考えがあればこそ、われわれの勘定系刷新を、一部とはいえサンリーブスにお願いしようと考えたわけだしね。こういっちゃ失礼にあたるかもしれんが、当時苦境にあったサンリーブスが今日のように復活した、そのお手伝いをウチもさせていただいたと、まあ少しは自負もあるわけです」
「はい。その御恩は忘れるものではありません」
大量のエンジニア退職で売り上げが激減していたサンリーブスに声を掛けたのは、国内有数の個人投資家で、「東京リアルエステート」の会長でもある大矢和彦だった。
若いエンジニアを多く抱えるサンリーブスの将来を期待した大矢は、サンリーブスの苦境を耳にして、株式を大量購入すると同時に、以前より深く親交のあったイツワ銀行の江島頭取に声を掛け、当時から行われていた勘定系システム刷新のプロジェクトにと紹介したのだ。
大矢も江島も、当時布川とは面識がなかったが、AIチャットbotの開発やRPAによるBPR(ビジネスプロセスリエンジニアリング)を考えていた江島は、サンリーブスにその部分の仕事を発注した。もっとも当時のイツワは、2度にわたって新しい勘定系システムのリリースを延期しており、これ以上の遅延は許されない、猫の手も借りたい状態であった。
「確かに……」と山谷に代わって、課長の田中が口を開いた。
「サンリーブスに今お願いをしている仕事は、必ずしも得意なAIやRPAの仕事ではない画面開発が中心です。御社としても多少の不満はあるかもしれません。しかしその辺りは、契約のときにご理解いただいているはずですよね」
その言葉に布川は大きく首を振った。
「もちろんです。ウチの澤野も、その辺りはわきまえていると……」
「しかし澤野さんは、どうやらイツワとサンリーブスの間の契約――請負契約が作業実態に合わないと、そこに不満を持っておられるようだ」
田中の目は真っすぐに布川を見つめていた。布川は、その視線を避けるように再び下を向いた。それを見た山谷が再び話し出した。
「あの澤野さんという方、サンリーブスの社員ではないとか?」
「はい。澤野は『A&Dコンサルティング』から出向で来ているコンサルタントです。1カ月前に前任のプロジェクトリーダーが会社を辞めましたので、その後任で。ですから、まだイツワでの仕事にはいろいろ慣れないことが多くて。申し訳ございません」と、布川がわびた。
「A&D……外資系のコンサル企業か。プロマネとしては優秀なんだろうが、日本の現場についてはどうかな。契約がどうこうとか役割分担がどうこうとか、そんなしゃくし定規なことを言わずに、ユーザーもベンダーもお互いに助け合い、時には持ち場を超えてでも手伝う。そういうチームワークこそが大事な銀行の勘定系開発。そういうのは分かってないんじゃないか?」
「はあ……」
「彼女さえいなくなれば、われわれももっと良い仕事ができると思うんだが……」
山谷はそこまで言うと、ソファに深く座り直し、布川の顔をにらんだ。布川は再び黙り込んだが、やがて意を決したように言った。
「申し訳ございません。しかし、やはり彼女なしではプロジェクトが回りません。こ、このプロジェクト成功のためには、契約や役割がどうではなく、とにかく、お互いが助け合うこと。それは、重々言って聞かせますので。ここは今しばらく、何とかご猶予をいただけないでしょうか」
今はまだ彼女を外せない――布川はそう考えた。エンジニアばかりのサンリーブスには、銀行との付き合いを任せられるような優秀なプロマネはいない。そこを見越して株主の大矢が紹介してくれたA&Dコンサルティングとの関係を崩すのは、プロジェクトのことを考えても、大矢との関係を考えても、得策ではない。
大矢がサンリーブスの将来性は買っているものの、布川個人にはあまり大きな信頼を持っていないことはうすうす感じている。将来的にはそれも構わないのだが、今はまだ、大株主との関係を悪くすることは得策ではない。
「布川さん!」いらだって声を上げる田中を、山谷が押しとどめた。
「分かりました。そこまで言うなら、もう少し様子をみましょう。しかし澤野さんには、考え方をぜひとも改めていただきたい。その辺りは田中課長にもよく見ていてもらうんで、一つよろしくお願いします」
山谷はそう言うと口元から白い歯を見せたが、その目は相変わらず布川をにらんだきりだった。
応接室から廊下に出た布川はスマートフォンのブラウザを開き、自社の株価を確認した。
3710円――。
布川は「そろそろかな」とつぶやいてからスマートフォンをポケットにしまい、エレベーターホールに向かった。
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