同じ日、サンリーブスの開発エリアでは、翔子は野口に声を張り上げていた。
「よそからの作業依頼がやまないって、どういうことよ!」
翔子の迷いのない真っすぐな声に、野口は思わず手に持ったボールペンの先に視線を落とした。いつもながらこの声と真剣な表情には圧迫感を覚える。
「まあ、うちのメンバーはそれなりに技術もありますし、みんな人がいいですから。よその人も頼みやすいんでしょうね」
「そんな問題じゃないでしょ! 何でサンリーブスのメンバーが、よそのために資料を作ったり、技術資料を取り寄せたり、その説明をしに行ったりしなきゃいけないのよ。しかも、テストの手伝いまでしてるなんて。私、田中課長にちゃんとお願いしたのよ。もう契約外作業はさせないでくれって。今後うちのメンバーに何か頼むときには必ず私を通してくれって。それから1週間もたってるのに、何も変わらないどころか、新しい仕事の依頼まで受けるなんて」
「主任も、ご承知のことかと……」
「知るわけないでしょ。あなたたち、直接依頼を受けちゃうんだから。いい? この仕事は請負契約なの。約束した仕事以外のことをやったら、イツワもサンリーブスも刑事罰を負いかねない重大事なのよ」
一段と高くなった翔子の声に、メンバー全員の注目が集まった。
「刑事罰って……」
野口が顔を上げた。
「1年以下の懲役か、100万円以下の罰金よ」
「懲役い?」
厳しい言葉に黙り込んだ野口に代わって、話を遠くから聞いていた桜田みずきが話に入ってきた。
「主任、そんな大げさなもんじゃないですよう。ワタシたち、今モックづくりが終わって、ちょっと余裕があるじゃないですかあ。その間、ほんの少し手伝ってるくらいでえ」
「今までだって、ずっとやってたんでしょ。モック作ってるときだって」
「でもお。実際、それをやっててもちゃんとモックはできたしい、何の影響もなかったんですよお。イツワさんのうちに対するイメージが上がったしい、他のベンダーとも仲良くなれたしい。何が問題なんですかあ? イツワの田中課長も喜んでくれてますよお」
「田中課長?」
「ええ。何ていっても、一番いろいろ頼んでくるのは、あの人だもん。ワタシたちベンダーがあの人に逆らうなんて、できないじゃないですかあ」
9月10日。A&Dの会議室で江里口美咲と共にそこまでの翔子の話を聞いた白瀬は、憤慨して頭をかきむしった。
「その田中課長、口先ばかりで何も動かないどころか、むしろ自分から率先して契約外作業をあっせんしていたんじゃないか!」
「そうかもしれません」
翔子は小さく下唇をかんだ。
「それだけじゃないの。結局、メンバーも上司も……みんな、この契約外作業をやめようなんて思っていなかった。お客さんからすれば、ITエンジニアを便利に使える。ベンダーからすれば、顧客満足度が上がる。メンバーたちは単純に、お客さんに喜んでもらえる……」
美咲の顔が、白瀬に向いた。
「一見すると、誰も損をしていない。誰もがそこそこ満足しているように見えて、これが不正だなんて気付かない。偽装請負っていうのは、そうやって常態化していくのよ」
つづく
「コンサルは見た! 偽装請負の魔窟」第4回は、2020年10月20日掲載です
細川義洋著 ダイヤモンド社 2138円(税込み)
システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」が、大小70以上のトラブルプロジェクトを解決に導いた経験を総動員し、失敗の本質と原因を網羅した7つのストーリーから成功のポイントを導き出す。
※「コンサルは見た!」は、本書のWeb限定スピンアウトストーリーです
政府CIO補佐官。ITプロセスコンサルタント。元・東京地方裁判所民事調停委員・IT専門委員、東京高等裁判所IT専門委員
NECソフト(現NECソリューションイノベータ)にて金融機関の勘定系システム開発など多くのITプロジェクトに携わる。その後、日本アイ・ビー・エムにて、システム開発・運用の品質向上を中心に、多くのITベンダーと発注者企業に対するプロセス改善とプロジェクトマネジメントのコンサルティング業務を担当。独立後は、プロセス改善やIT紛争の防止に向けたコンサルティングを行う一方、ITトラブルが法的紛争となった事件の和解調停や裁判の補助を担当する。これまで関わったプロジェクトは70以上。調停委員時代、トラブルを裁判に発展させず解決に導いた確率は9割を超える。システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」。2016年より政府CIO補佐官に抜てきされ、政府系機関システムのアドバイザー業務に携わる
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