「誠に申し訳ございません!」
深々と謝る岸辺の声は、本部長室の外まで聞こえそうだった。田中課長は翔子たちからウイルスの件を聞くと、山谷本部長に報告した。山谷はすぐさまシステム開発本部内の主立った人間を集め、岸辺と翔子も呼んで、ことの経緯(けいい)を説明させた。
「スケジュールが2カ月も遅れたら、われわれの業務はどうなるんだ!」
「金融庁にも目を付けられる。銀行の信頼が失墜するんだぞ!」
「徹夜をしてでも、死んででも、スケジュールを間に合わせろ! でなければ損害賠償で訴訟を起こすぞ!」
イツワの行員から罵声が次々に岸辺と翔子に浴びせられた。その間、田中は首をすくめたきり何も言わず、山谷も、ただ黙って騒然とした空気に身を任せていた。
やがて、一通りの説明が終わると、翔子と岸辺は席に戻るよう命じられた。善後策は、イツワ内部で検討するという。参加者が三々五々散っていく中、田中だけが本部長室に残された。
田中は立ち上がると、山谷にもう一度頭を下げた。しかし、山谷は落ち着いている。
「まあ、起きてしまったことは仕方がない。とにかく外部からもっとITベンダーを入れろ。人海戦術でデータの復旧とスケジュールの回復をさせにゃならん」
「はっ」と、田中は頭を下げた。
「当然、東通とサンリーブスには、増員を命じろ。もちろん、今のメンバーには血反吐(へど)を吐くまで働いてもらう。イツワは既に2回、勘定系の刷新を延期している。これ以上は何があっても許されん。これが失敗すれば、君がこの部屋の主になることも、私が取締役になることも、幻になってしまう」
「はい。是が非でも、死人が出ても、やらせます」
「はは。まあ、本当に死人がでちゃ困るがね」
山谷の表情が少しだけ緩んだ。
「しかし、まあ悪いことばかりでもないな」
「偽装請負の件でしょうか?」
「ああ。問題を起こしてくれたのが、サンリーブスだったのは幸いだったな。これで余計なことも言わず、しっかり働くことだろう」
「不幸中の幸いでした」
田中はようやく、折り曲げた腰を伸ばして真っすぐに立った。
「まったく最近は、ベンダーもうるさくなってきたことだ。偽装請負だなんて言葉、昔はなかった。サンリーブスの布川社長はその辺りは飲み込んでる男だと思ってたんだが」
「はい。サンリーブスは、あちこちのユーザーでなりふり構わぬ受注活動をしています。偽装請負ぐらい、うち以外でもいくらでもやってるはずです。そういう便利な会社だということがウリなんですからね」
「じゃあ今回のことは、あの堅物リーダーのスタンドプレーってわけか」
「はい。間違いないでしょう」
「それが今回の件でおとなしくなるんだとしたら、まあ、トントンってところかな」
つづく
「コンサルは見た! 偽装請負の魔窟」第8回は、2020年11月5日掲載です
細川義洋著 ダイヤモンド社 2138円(税込み)
システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」が、大小70以上のトラブルプロジェクトを解決に導いた経験を総動員し、失敗の本質と原因を網羅した7つのストーリーから成功のポイントを導き出す。
※「コンサルは見た!」は、本書のWeb限定スピンアウトストーリーです
政府CIO補佐官。ITプロセスコンサルタント。元・東京地方裁判所民事調停委員・IT専門委員、東京高等裁判所IT専門委員
NECソフト(現NECソリューションイノベータ)にて金融機関の勘定系システム開発など多くのITプロジェクトに携わる。その後、日本アイ・ビー・エムにて、システム開発・運用の品質向上を中心に、多くのITベンダーと発注者企業に対するプロセス改善とプロジェクトマネジメントのコンサルティング業務を担当。独立後は、プロセス改善やIT紛争の防止に向けたコンサルティングを行う一方、ITトラブルが法的紛争となった事件の和解調停や裁判の補助を担当する。これまで関わったプロジェクトは70以上。調停委員時代、トラブルを裁判に発展させず解決に導いた確率は9割を超える。システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」。2016年より政府CIO補佐官に抜てきされ、政府系機関システムのアドバイザー業務に携わる
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