「何だこれは!」布川は、誰もいない部屋で声を上げた。
つい数日前まで4000円以上の値を付けていたサンリーブスの株価が、わずか数日で2000円近く下げている。
エンジニアの流出などで会社に先がないことをマーケットに見透かされたのか、それともイツワで澤野が騒ぎ始めた偽装請負が大ごとになったのか――。
布川はこちらに来てから、あえて外部との連絡を取らないようにしていた。明日かあさってには東京に戻って、株の売買と、会社を誰かに押し付ける手順を踏まなければならない。その前に少しだけ休んでおきたかったのだ。
しかし、この株価は異常だ。
布川はブラウザを閉じるとアドレス帳を開き、東京にいる元木に電話をかけた。
「……あ、社長!」
元木の声が上ずっている。
「おい、株価を見たか? どうしたんだ一体!」
「私にも分かりません。おとといから急に……」
原因は分からなくても、手を打たないわけにはいかない。期待よりだいぶ安くなってしまったが、今の値段で売ってもまだ数億の利益は出るはずだ。
「元木」
「はい!」
「株を売りたい。至急、証券会社に連絡を取ってくれ」
布川はいつもののんびりとした様子とは打って変わって、緊張した声でまくしたてた。
「えっ?」
元木の驚きは、電話を通して布川にも伝わった。
「お前も売れ。サンリーブスはもうおしまいだ」
「な、何ですって? で、でも、今期の売り上げも利益も、ちゃんと出てますよ」
「分かってる。商売自体は、そんなに悪くないかもしれない。しかし、もう売り時だと言ってるんだ」
「身売りってことですか? どこが買ってくれるっていうんです」
「どこだっていい。俺たちが売れば、個人の筆頭株主は東京リアルエステートのじいさんだ。あの人が経営を引き継ぐだろう」
「しゃ、社長……」
元木は頭がぼうっとした。布川の会社に対する思い入れのなさ、無責任さ、そして判断の早さについていけなかったのだ。
「お前だって、今売ればそこそこのもうけになるだろう。いいから、はやく証券会社につなげ」
「れ、連絡は取れますが……しかし社長、今日売れません」
「どういうことだ。まだマーケットは開いているだろう!」
大声になった布川は、自分の声で相手の話が聞き取れなかった。
「ああ? 今、何て言った?」
「売れません、社長! ストップ安ですから」
「何だと!」
同じころ、A&Dコンサルティングのオフィスでは、江里口美咲がPCの画面を見ながら白瀬に話し掛けていた。
「大矢さん、動いたのね」
「『サンリーブス株、ストップ安で売買停止』か。こりゃあ布川たちも焦ってるだろう」
白瀬の顔に満面の笑みが浮かんだ。
「ええ。大株主の大矢さんが主だった他の株主たちに声を掛けたのよ。『サンリーブスは偽装請負が横行する会社で、むしろそれが事業の柱だ』ってね。『近く労働基準局が調査に入る』とまで言ったらしいから。投資家はみんな手じまいする。投げ売り状態ね」
「布川自身も売り抜けたんじゃないか? 社員たちを犠牲に会社を大きくしようってヤツだ。それくらいのことはやりそうだ」
「そうかもしれないわね。でも、これだけじゃあ済まないはずよ」
「偽装請負で刑事告発か?」
「それもあるけど、布川にとってはもっと痛いことが起こるかもしれないわよ」
つづく
「コンサルは見た! 偽装請負の魔窟」最終回は、2020年11月17日掲載です
細川義洋著 ダイヤモンド社 2138円(税込み)
システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」が、大小70以上のトラブルプロジェクトを解決に導いた経験を総動員し、失敗の本質と原因を網羅した7つのストーリーから成功のポイントを導き出す。
※「コンサルは見た!」は、本書のWeb限定スピンアウトストーリーです
政府CIO補佐官。ITプロセスコンサルタント。元・東京地方裁判所民事調停委員・IT専門委員、東京高等裁判所IT専門委員
NECソフト(現NECソリューションイノベータ)にて金融機関の勘定系システム開発など多くのITプロジェクトに携わる。その後、日本アイ・ビー・エムにて、システム開発・運用の品質向上を中心に、多くのITベンダーと発注者企業に対するプロセス改善とプロジェクトマネジメントのコンサルティング業務を担当。独立後は、プロセス改善やIT紛争の防止に向けたコンサルティングを行う一方、ITトラブルが法的紛争となった事件の和解調停や裁判の補助を担当する。これまで関わったプロジェクトは70以上。調停委員時代、トラブルを裁判に発展させず解決に導いた確率は9割を超える。システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」。2016年より政府CIO補佐官に抜てきされ、政府系機関システムのアドバイザー業務に携わる
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