ウズベキスタン少年の“日本すごい”ポイントは駅名?Go AbekawaのGo Global!〜Imomsaidov Oybek編(前)(1/2 ページ)

「4時から店の準備をして学校に行き、放課後はまた店の手伝い。後は寝るまで勉強」――グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はIT企業のBFTで働くImomsaidov Oybek(イモムサイドブ・オイベク)氏にお話を伺う。「それが当たり前」と仕事を楽しくこなす同氏が日本に興味を持ったきっかけは友人のひと言だった。

» 2020年12月03日 05時00分 公開

 世界で活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回ご登場いただくのはBFTで働くImomsaidov Oybek(イモムサイドブ・オイベク)氏。「働くことは当たり前」だった同氏が日本を目指すきっかけとは何だったのか。聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。

8歳から「社会のために仕事をすること」を意識

阿部川 出身を教えていただけますか。

オイベク氏 1994年にウズベキスタンのタシケントで生まれました。

阿部川 1歳のときに「Windows 95」が発表されたわけですね。私はそのとき35歳で、アップルにいました。もうはるかかなたの昔です(笑)。どんなお子さんでしたか。シャイで内気だったとか、社交的で活発だったとか。

オイベク氏 そうですね、とても内気な子だったと思います。話すのが得意ではないし、友達もいませんでした。8歳のときには働いていたので「社会のために仕事をすること」を強く意識していました。当時、仕事の面談があると、(受け答えなど、とても落ち着いていて、大人びていたので)面接する人から「君は(レジュメにあるように)本当に子どもなんだよね」と、いぶかしげに聞かれることもありました(笑)

Imomsaidov Oybek(イモムサイドブ・オイベク)さんのプロフィール写真

阿部川 それは立派です(笑)。どういった仕事をされていたのですか。

オイベク氏 ウズベキスタンには「路上の市場」のようなものがあって、さまざまな国籍の人が自国の食べ物や雑貨を持ち寄って売っています。親戚の知り合いがこの市場で働いていたので仕事を紹介してもらいました。タシケントは開発途上国で経済的には豊かではありませんが、みなとても親切で、良い人が多いと思います。

阿部川 おばあさまの家に移り住まわれたのは働き始めた頃ですね。

オイベク氏 そうですね、両親と兄の4人家族で暮らしていたのですが、8歳のときに私だけ祖母の家に移り住みました。そこから高校を卒業するまで祖母と2人で暮らしましたので、祖母が父親、母親の代わりをしてくれました。

阿部川 おばあさまに感謝してもしきれませんね。

オイベク氏 はい、永遠に感謝してもしきれません。残念ながら2019年に亡くなりました。もちろんショックでしたが、祖母と私はかけがえのない時間を過ごしてきましたし、私が日本で頑張っていることを祖母は知っていたので、きっと満足して召されたと思います。

阿部川 そうでしたか……。つらい気持ちを思い出させてしまってすみません。

オイベク氏 いえいえ、大丈夫ですよ。

阿部川 お仕事をされながら学校にも通ってらっしゃったのですよね。大変だったのではないですか。

オイベク氏 当時はそんなふうには考えませんでした。「これが人生だ、勉強しなきゃ」と(笑)。その結果、友達はできませんでしたが、別にそれが変わったことだとは思いませんでした。今にして思えば、ちょっと変だったかもしれませんが(笑)。

「大変だったと思うけど、大変だった記憶がない」

阿部川 なるほど。ウズベキスタンの学校の仕組みはどのようなものですか。日本のように小中高と進んでいく感じでしょうか。

阿部川“Go”久広(取材はリモートで実施)

オイベク氏 日本とは若干違いますね。学校が始まるのは7歳からなのは同じですが、小学校と中学校の区別はなく9年間を過ごします。その後高校に進学するか、専門教育を受けるための「カレッジ」に進学します。私はカレッジに進み、輸送工学を専攻しました。

阿部川 学費はおばあさまが出してくれたのですか。

オイベク氏 ウズベキスタンは、ほぼ全ての教育機関が政府の直轄なので学費はそれほど高くありません。もちろんそれだけでなく、祖母がサポートしてくれたので通うことができました。

阿部川 その間も、ご自身の仕事は続けていたのですね。

オイベク氏 はい、学校に通っている間もずっと仕事はしていました。ホテルの清掃をしたり、プールの掃除をしたり。今思えば毎日大変だったと思いますが、当時はこれが普通でしたから、別につらいとも思いませんでした。

阿部川 参考のため、当時の典型的な1日のスケジュールをお教えていただけますか。

オイベク氏 朝は4時に起きます。まだ真っ暗で、冬は何もかも凍っています。5時までに市場に着いて、7時までに店の準備を済ませます。市場は外にあるので外で売るための道具、例えばカーペットなどを用意します。私の顧客は仲買バイヤーが中心でしたのでその人たちに商品を販売します。その後は学校です。徒歩とバスで通いますので、まあまあ時間がかかります。

 学校が終わったら市場に戻り、朝と同じように商品を販売します。たまに仕事がないときは真っすぐ家に帰りました。英語を勉強し始めたときは、朝から晩まで英語の勉強をしていたこともあります。

阿部川 学校の勉強とは別に英語を学ばれたのですね。どうやって一人で英語を勉強されたのですか。

オイベク氏 テキストを読んで、その内容を考える、そしてまたテキストを読むことを繰り返しました。タシケントには国立の図書館があり、無料で入れますから、そこで「National Geographic」やその他の雑誌や本を読んで勉強しました。勉強するのは寝る前の大体1〜2時間くらいです。私はゆっくり学ぶタイプの人間で、時間をかけて内容をそしゃくする必要がありました。

阿部川 それが2007年くらいのことですね。コンピュータは身近になっていたと思いますが、それを使って勉強することはありましたか。

オイベク氏 たまたまコンピュータを持っている友達がいたので、彼の家で使わせてもらうことはありました。彼はロシア人で英語を習おうとしていましたので、私はコンピュータを使わせてもらう代わりに英語を教えていました。

阿部川 寝る前に勉強するといっても、4時に起きるということは少なくとも22時くらいには眠らなければなりませんよね。

オイベク氏 そうですよね、どうだったかな……、当時はうまくやっていたと思うのですが、今となってはどうやって乗り切っていたのか記憶がありません。今、子どもたちに同じことをしてほしいとは思いませんが、私は仕事が楽しかったのでラッキーでした。

阿部川 楽しいと思えることはオイベクさんの才能ではないでしょうか。どんなつらいことの中にも楽しいことを見つけてしまう。今までそのようにして苦労してこられたから、現在のお仕事があると思いますよ。

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