阿部川 高校生のころは、受験のために学習塾にも通っていたのですね。
タケオさん はい。受験を決めた高校2年生のときから、週に4日、自転車で通いました。文学的に言うと「晴れの日も、雨の日も、この長い通学路が私の友達だった」です(笑)。雨季もありますから、結構エネルギーが必要でした。
午前中は学校で授業。それが終わるとすぐに、昼食は取らずに自転車のペダルを漕(こ)いで25キロの道のりを移動。塾に着いたらすぐに勉強。勉強が終わったらパンをかじりながら自転車を漕いで帰路に就く、といった感じでした。
ベトナムではこれが、受験生の一般的な青春でした。勉強して大学に入らなければ、ある意味社会で勝てない、そのようにベトナム全体が信じていた時代ですから。私も当然のように、このような生活をしていました。
阿部川 一所懸命勉強なさったのですね。ところでPCを使い始めたのはいつごろからですか。
タケオさん 中学からです。トップクラスの中学では、ITの授業もありました。「Windows 3.1」の時代です。当時PCはとても高価で、個人で買えるようなものではありませんでしたが、学校にはありました。
当時の私はPCの概念すら理解していなくて、驚きの連続でした。ただ、ビデオや音楽などは扱えない時代で、Pascalやアルゴリズムの勉強ばかりだったので、あまり面白いとは感じていませんでした。
阿部川 楽しくはなかった(笑)。
タケオさん 最初は。でも、やっていくうちにだんだん数学とつながりがあることが理解できてきて、面白くなりました。
阿部川 なるほど。そしてハノイ工科大学の電気通信工学科に進学。具体的にはどのようなことを学ばれましたか。
タケオさん 電気通信がベトナムではやっていて、特にネットワークやモバイルテクノロジーが躍進していた時期だったので、それに興味があって入学しました。まだ「iPhone」のようなスマートフォンはなくて、SMSでメッセージを送る仕組みや、なぜここの電波が強くてこちらは弱いのかなどの仕組みを勉強しました。
阿部川 当時、このような仕事ができるようになりたいとか、エンジニアになりたいなど、具体的に考えていたことはありましたか。
タケオさん 大学4年くらいのときに、ITの道に進みたいと思いました。当時既にインターネットが普及していて、Webサイトもたくさんありました。「そういえば、ITを小さいときから、いろいろ勉強してきたなあ」と、昔のことを思い出したのです。それまで勉強したことももちろん好きでしたが、自分はITをもっと勉強したかったのだと遅まきながら実感したのです。もちろん電気通信の中にもデータベース設計のようなIT関連の教科もありますから、それからは、ITの科目を中心に勉強しました。
阿部川 ところでタケオさんはドラえもんが大好きなのですよね。加えて日本のアニメも大好きだとか。何歳くらいから日本の漫画やアニメを好きになったのですか。
タケオさん 話が少し長くなるのですが……私が子どものころ、ベトナムはとても貧乏な国でした。両親は先生として働いていましたが、それだけでは生活費が足りない。でもそれは普通で、どの家でも副業をしていました。私の家では、若いころに背中を手術して腰や右足の弱かった父が、家族のために毎日頑張って洋服作りもしていました。そんな父の姿を見て感動していました。
小学生のころは、遊び時間はほとんどありませんでした。父母が忙しかったので、手伝ったり、家事をしたりしていたからです。そのころ実は「おもちゃ」という単語を知りませんでした。遊び道具は自分で作っていましたから。
中学生になったころからベトナム全体の経済が発展してきましたので、少しだけ生活が楽になりました。そんなときに、生まれて初めてドラえもんを見て、「これは超面白いなあ」と思いました。日本人の想像力のすごさを感じました。そして、ドラえもんをきっかけとして、日本の社会や文化に興味を持つようになりました。
阿部川 漫画は日本文化の誇りです。この連載でいろいろな国の出身者にお話を伺ってきましたが、どなたもドラえもんとドラゴンボールは必ず読んでくれていて、うれしく思います。でも、漫画家になろうとは思わなかったのですか。
タケオさん 絵もできますが、俳句や詩の方が好きで、今でもベトナム語で書いています。生活とか、友情とか、恋とか、単純な日常のこととか、社会問題とか。書くことはストレスの解消にもなっています。全部集めたら、ちょっとした本にはなるかなあ。
阿部川 ベトナム語の俳句なんて、カッコ良過ぎますよ。
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