グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はWix.comのNir Horesh(ニール・ホレシュ)氏にお話を伺う。よく遊び、よく学ぶ青年が「私がやりたいのはコンピュータだ」と気付いたきっかけとは何だったのか。
世界で活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回ご登場いただくのはWix.comのNir Horesh(ニール・ホレシュ)氏。パイロットを夢見るイスラエルの少年は、インターネットとともに育ち、やがて「イスラエルの当たり前から抜け出したい」と奮い立つ。聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。
阿部川“Go”久広(以降、阿部川) 出身を教えていただけますか。
ホレシュ氏 イスラエルのハイファです。イスラエルで3番目に人口が多い都市なんですよ。
阿部川 ずっとイスラエルにいらっしゃるんですか。
ホレシュ氏 はい、基本的にはずっとイスラエルです。今はテルアビブという都市に住んでいます。
阿部川 テルアビブも大きな都市ですね。子どものころはどんなことをして遊んでいましたか。
ホレシュ氏 ちょっとシャイな子どもだったので、外で遊ぶより、「ビデオはどうやって映るのか」「飛行機はどうやって飛ぶのか」「自動車はどのように走るのか」といったことをいつも考えている方が好きでした。好奇心の塊のような子どもだったと思います。さまざまな物事を学ぶのが好きでした。知識というのは素晴らしいことだ、という空気が自然とあるような環境に育ったせいだと思います。
阿部川 素晴らしい環境ですね。そういった雰囲気はご家族の影響もあったのでしょうか。
ホレシュ氏 そうだと思います。特に父からはコンピュータについていろいろ教えてもらいました。1980年ごろ、父は「コンピュータを使って何かクリエイティブなことをやりたい」という革命的なビジョンを持っていました。そこでプログラムのアーカイブをコンピュータで保存できるシステムをイスラエルで開発し、起業しました。
阿部川 ホレシュさんがコンピュータに感化されたのは間違いなくお父さまの影響ですね。「Apple IIe」が最初のコンピュータだと伺ったのですが、出会いはいつだったのでしょうか。
ホレシュ氏 7歳くらいだった思います。ほとんどゲームばかりしていました(笑)。当時は「Commodore 64」(コモドール64)が一般的で、カセット1本に1つのゲームが収納されていました。ところがコンピュータが登場し、360KBのディスクに10個以上のゲームが収納されるようになりました。驚きましたね。「LOGO」(教育向けプログラミング言語)を使ったプログラミングもしていました。それほど熱中はしなかったのですが、「コンピュータがどのようにして動いているのか」が分かるようになってきました。これがロジカルシンキングにつながる最初の経験だったと思います。
阿部川 Apple IIeのどういったところが好きでしたか。
ホレシュ氏 全部です(笑)。カラーのディスプレイが搭載されていましたし、音楽が扱えました。処理スピードも速かったですし、デザインもコンパクトで本当に素晴らしかった。ただまだHDDがなかったので、フロッピーディスクでデータのやりとりをしなければいけませんでしたが。
阿部川 だいぶ気に入っていたみたいですね。当時はコンピュータを使った仕事に就くかもしれないと考えていましたか。
ホレシュ氏 「いずれにせよコンピュータを使わなければならなくなる」と考えていました。当時はパイロットか宇宙飛行士になりたかったんです。飛行機の操縦席を見学させてもらったことがありましたが、そこには幾つものコンピュータ(のディスプレイ)が並んでいたんです。つまりパイロットになりたければ、コンピュータのことも知らなければならないと。そのときは現在のようにコンピュータがこれほど多くの人々に行き渡るとは思っていませんでした。
阿部川 当時からすると今の状況は想像できなかったでしょうね。15歳でハヨヴェル高校に入学されますね。ご経歴によると、経済学と社会学を専攻したとあるのですが、高校のときに専門科目があったのですか。
ホレシュ氏 はい。必修の科目以外に幾つかの科目がありました。私はそんなに成績が良くなかったので、選択の自由はなかったですね(笑)。
阿部川 なるほど(笑)。高校になってもコンピュータは使っていましたか。
ホレシュ氏 そうですね、よく家で友人たちとコンピュータで遊んでいました。毎日毎日、ほんの数カ月前までは存在しなかったようなものを発見することができたのでとても楽しかったです。
そのうちインターネットが一般でも使えるようになって、どんなことができるだろうかと毎日考えていました。従来、映画を見たいならDVDが必要だったのにネットにつながっていれば、家が映画館になって、視聴者同士でチャットもできる。昔本に書かれたようなものではなく、一番新しい知識が手に入る。毎日夢中でした。一応、外に出てスポーツをしましたし、音楽も聴いていました。学校にはあまり行っていませんでしたけれど(笑)。
阿部川 そのころ全てが人生に影響を与えたでしょうね。どんなことをされたのですか。
ホレシュ氏 本当にいろいろやりましたよ。バスケット、エクササイズ、サーフィン、ランニング……そうそうハイキングにもよく行きました。ギターも好きでしたね。全部独学だったのでそこまでうまくないですが、弾いていて自分が楽しければいいかと思っています。
阿部川 バランスの取れた高校生活だったようですね。コンピュータを学び、友達と遊び、スポーツや音楽をやる。そのすぐ後に大学に進学されたのですか。
ホレシュ氏 いいえ。イスラエルは徴兵制度があるので18歳になると軍隊に入らないといけません。3年ほど軍隊で過ごしてから大学に入りました。
阿部川 そこでの3年の経験はやはり重要な期間、貴重な経験だったのでしょうね。
ホレシュ氏 はい。とても短い時間に「子ども」から「大人」に成長しなければなりません。行動に責任を持ち、信頼を構築する必要があります。軍隊では、自分の意思で行動するのではなく、言われたことを言われた通りにやることが重要です。ですから毎日がトレーニングです。できなかったことを何回もチャレンジして、ようやくできるようになると今度はそれ以上の課題が降ってきます。大変ですが、与えられた仕事を一所懸命やれば、大きな成果を出すことができますし、自分の能力をより高めて新しい分野にチャレンジできるようになります。
これまで接点のなかったさまざまな境遇の人たちと会えたことも貴重な経験でした。それまで周りにいたのは、ある程度自分と似た経歴や家庭環境の人が多かったのですが、自分とは全く違う環境で育った人たちと会えて、自分が生まれ育ったところが必ずしも世界の全てではないことを思い知りました。
阿部川 どういった点が違うと思われましたか。
ホレシュ氏 社会的な視点や経済的な視点です。例えば、休みになると徒歩で国に戻るメンバーがいました。彼らは少しでも国の家族に仕送りをするため、帰省にかかるお金を節約していたのです。それを知ったとき、どれほど今の自分が幸運に恵まれているかが分かりました。今の自分の状況を当然のものと受け取ることは間違いだと思いました。
阿部川 素晴らしい学びでしたね。
ホレシュ氏 学びがあるだけでなく皆、素晴らしい仲間で、誰がベストかを決めるのができないくらい、良い同僚でした。
学びといえば、軍隊の体験で印象に残る出来事がありました。20歳のときに役職が上がってパレスチナ警察とイスラエル軍の間に入ってそれぞれの仕事を調整することになったんです。役職が付いたとはいえ20歳の若者です。そんなに若いにもかかわらずイスラエルを代表して、他の国の人と交渉しなければならないのです。
意見の相違(コンフリクト)は「あるのが当たり前」で、しかも込み入った政治的な内容が多いので、それにどう対応するかを、たかだか20歳の青年が考えないといけないのです。交渉に関わる双方の立場に加え、組織のモチベーションへの影響なども考慮し、どうやったらベターになるかを考え、逃げることなく目的を達成する必要があります。自分自身を高めていかなければならない毎日でした。
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