第276回 何が「世界初」なの? NEDOのRISC-V向け包括的なソフト開発環境って頭脳放談

国立研究開発法人「新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)」が「世界初、RISC-V向けの包括的なソフト開発環境の実現に成功」というプレスリリースを出した。何が「世界初」で「包括的」なのか? この発表が国内のRISC-V開発に与える影響は? 筆者が考察してみた。

» 2023年05月19日 05時00分 公開

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新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)のプレスリリース 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)のプレスリリース
世界初の「RISC-V向けの包括的なソフト開発環境の実現に成功」というが、世界初なのは、RISC-V向けのソフトウェア開発環境ではなく、「包括的な」ソフトウェア開発環境のことのようだ。どこが「包括的」なのか、筆者が考察してみた。

 プレスリリースを出すときに、そのタイトルに「世界初」と銘打つのは常とう手段である。「二番煎じ(せんじ)」と銘打つことはありえないから当然だが。そこでプレスリリースを出す側としては、「世界初」と銘打つための根拠がほしい。何らかの客観的な指標でダントツの数字をたたき出しているのが一番だ。

 しかし、そんな明朗な指標がないことは多い、というか普通である。そこで担当者としては、何とか根拠をひねり出すのだ。否定できない達成項目をあれこれ「AND」で結合した合わせ技で一本という感じである。

 ただ、そういう場合「客観的」というより「主観的」、「具体的」というよりも「抽象的」な表現にならざるを得ないことが多い。過去、何度となくそんなプレスリリースを出すのにかかわってしまった経験がある。誰かのことではない。

 さて、そんな目でプレスリリースのタイトルを眺めてしまう筆者が最近「引っ掛かった」タイトルが次のものである。「世界初、次世代プロセッサIP(RISC-V)向けの包括的なソフト開発環境の実現に成功」という大型連休直前のリリースだ。

 まぎれもない日本を代表する国立研究開発法人「新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)」のプレスリリースである。「RISC-Vのソフト開発環境」そのものは、ずっと前から存在する。今この文書を書いている筆者のPCにも載っている。上記のタイトルをよく読めば「包括的な」ソフト開発環境が「世界初」だと言っているようだ。はて、「包括的」って何だ?

エンジニア向けとお役所向けの文章は書き方が違う?

 最初から蛇足的なことを書いてしまう。エンジニア向きとお役所向きの文章の書き方で大きく異なることがある。

 対エンジニア向けでは、「xxdB」「yy%」のように具体的な数値、それも明確な条件のあるものが欠かせない。具体的な数値がなければ設計方針が決まらない。ただし数値をうたっても、細かい前提条件が書き込まれていない場合は大抵怪しい。数字の一人歩きというやつだ。

 それに対して、お役所向きでは抽象的な文言が大事だ。不用意に読んでしまうと通り過ぎてしまう抽象的な一言がポイントで、具体的なことは何も書いていない。しかし後になって「ここに根拠が書いてあるでしょ」と、その一言が大きく膨らんで具現化(当然お金の動きが伴う)するのだ。やりたいことがあるなら最初から書けよという感じだが、注意深く読まないと気付かれない、けれど根拠として必要十分なように抽象化するところに、文章作法の真髄(しんずい)がある。

 上記のプレスリリースに戻ろう。冒頭に「RISC-V向けに実現した包括的なソフトウェア開発環境」という図が掲げられている。左には既存のソフトウェア開発環境、右には今回の成果によるソフトウェア開発環境を並べた比較図だ。灰色とカラフルという色分けがされているが、開発ツールのソフトウェアスタックとしては、全く同じ構造に見える。

RISC-V向けに実現した包括的なソフトウェア開発環境の図 RISC-V向けに実現した包括的なソフトウェア開発環境の図
今回のプレスリリースの目玉である「包括的」の範囲を示している。RISC-Vプロセッサ自体から開発ツールまでをそろえたのがキモのようだ。

 色を付けたその意味は、スタックの中のレイヤーごとに最新のRISC-V対応を施したということのようだ。プレスリリースにはNEDOの名の下に、日本を代表するソフトウェアツールベンダー(それぞれ得意のレイヤーが異なっている)が並んでいる。それぞれのベンダーが得意なレイヤーごとにいろいろ手を加えた結果が「包括的」ってことなのか?

プロセッサ/マイコン向けの開発ツールの現状

 ここでプロセッサ/マイコン向けの開発ツールについて、少々おさらいしておきたい。ざっくり言ってしまうと、大きく2つの流れがある。オープンソースの流れと、プロプライエトリな流れだ。

 オープンソースは、GNUのツールチェーンに代表されるコンパイラ、バイナリツール、ビルドツール、デバッガ、IDE、そしてライブラリなどを組み合わせて用いる方法だ。誰でも無償でダウンロードして使うことができる。ソースコードも公開されているから、場合によっては自前で修正も可能である。

 ただし、よいことばかりではない。「GPL汚染」のようにライセンス条項によっては、ソースコードの開示が必要になるなど、商業的なメーカーにとっては受け入れがたい制約が加わることがある。工業所有権なども心配だ。

 また、各ツール、ライブラリなどが、それぞれ異なる主体によって配布されていることもあるので、それを組み合わせて使用している場合に何か不具合が発生しても、誰かがサポートしてくれるわけでもない。「コミュニティー」の善意に期待することはできるが、プロジェクトの秘密を考えると、うかうかと開示することもできない。海外、特に中華圏などは大丈夫(?)というくらいに「風通し」がよく、オープンソースでの開発でもあっという間に問題解決できるみたいだが……。

 一方、日本の製品開発の現場で多いのは、ソフトウェアベンダーあるいは、半導体ベンダーが提供する有償ツールを用いた開発である。一部オープンソースのツールを併用することもあるが、そこはベンダー側で「GPL汚染」のような問題が発生しないように吟味してくれているはずだ。ツールベンダー側が有償で出荷するのであるから、そのマニュアルに書いてある使い方通りに動くのは当然で、不明な点や問題点にはサポートがある。

 もちろん、秘密保持契約あってのサポートだから安心だ。そしてメーカー側がうれしいのは、多数ありすぎて把握するのも困る各種の規格(これには製品安全とか信頼性、品質保証といったもろもろの事項も含まれる)に対し、全てなのか一部なのかは別にして、ベンダー側が受けて立ってくれることだ。お金を払わなくてはならないが、メーカーにしたら不得意なことは人にまかせて、自前の製品開発そのものに集中できるのだ。

国内の有力開発ツールベンダーの集結でRISC-Vが使いやすくなる?

 再びプレスリリースに戻ろう。従来RISC-Vの開発環境はオープンソース系のツールを組み合わせるのが普通だった。RISC-Vという規格そのものが、「規格はみんなで話して決めるけど、実装は各自勝手に」というオープンソースと親和性の高い仕組みであるので当然といえる。

 そして、RISC-Vの支持者は世界中にいるが、実装に力を入れている組織は(勝手な意見だが)中華圏が多い。そういうコンテキストでは、ただでさえ保守的な日本の需要家はRISC-V開発に手を出しづらいでないの(?)という気がしていた。

 しかし、プレスリリースに並んでいる国内の有力開発ツールベンダーがそろってRISC-Vをサポートする、それも決まったばかりのベクトル化拡張(他のプロセッサではSIMD命令に相当するが、SIMDよりはるかにエレガント)なども全面的にサポートして、である。となると、日本の需要家もRISC-Vを検討対象に入れてくるかもしれない。ツールベンダー側もそこに商売のタネがありそうだから今回のプレスリリースに並んでいるのだろうが。

 ただし、重大な問題が1つ。有償開発ツールベンダーは雁首(がんくび)を並べている(失礼)わけだが、肝心のRISC-Vデバイスの供給者がここには並んでいない。中華圏のRISC-V半導体ベンダーが、チップ発売と同時に無料の(一部素性が怪しいところもあるが)ツールチェーンをバンバン配ってくるのとの大きな違いだ。まぁ、順当にいけば、RISC-Vに力を入れると表明している国内の最有力マイコンベンダーであるルネサスエレクトロニクスがそこのピースを埋める、ということになるのだろうが。真に「包括的」というには、そこまでを入れてではないかと思う。

ArmはIntelと組んでRISC-Vを迎え撃つ?

 ちょっと対比したいのが、同時期に出た「Intel FoundryとArmが最先端のSoC設計における多世代協力を発表」というプレスリリースだ。頭脳放談「第273回 GoogleがAndroidをRISC-Vに対応、一方でIntelはPathfinder for RISC-Vプログラムを突然終了、どうなるRISC-V」で書いたが、Intel Foundryは、2022年に「Pathfinder for RISC-Vプログラム」というのを発表して、すぐに引っ込めてしまっている。その理由は分からない。

 しかし、今回はIntelとArmが「ガチ」に組むらしい。Armは自分自身が開発ツールベンダーでもあり、またArmに追随する開発ツールのサードパーティーは枚挙にいとまがない。多分、前述したプレスリリースに記載されているツールベンダーも含まれているはずだ。

 Armはプロセッサの設計から開発ツールまで持っているわけだが、唯一ないのが半導体チップの製造である。そこをIntel Foundryと組んで埋めるということだ(多分TSMCなどに聞けば、ウチでもできるよといわれるだろうが)。これぞ「包括的」な気がするのだけれど、どうだろうか。そんなことはとっくに分かっているからRapidusが北海道にファブ(半導体工場)を作るのだったっけ?

筆者紹介

Massa POP Izumida

日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部などを経て、現在は某半導体メーカーでヘテロジニアス マルチコアプロセッサを中心とした開発を行っている。


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