末は「神父」か「エアクラフトエンジニア」かGo AbekawaのGo Global!〜Jay Pegarido(前)(2/2 ページ)

» 2024年01月23日 05時00分 公開
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日本語とソフトウェアを同時並行で学ぶ

阿部川 最初のお仕事はソフトウェアエンジニアですよね。そうすると、ヤマトシステム開発(以下、YSD)に入社されてからソフトウェアについて学ばれたのですね。

ジェイさん はい、そうです。

阿部川 YSDは日本企業ですが、なぜこちらの会社を選んだのですか。

ジェイさん 当時、YSDはフィリピンに拠点を作ろうとしていて、そこで働くスタッフの採用活動をしていました。学生も対象にしていて、サンカルロス大学にも来ました。そこで就職のための試験が実施され私も参加しました。100人くらい受けて合格したのは3人でした。

阿部川 その3人のうちの1人、つまり100分の3に選ばれたわけですね。それで来日されたと。まさか日本で働くとは思っていなかったでしょう。

ジェイさん はい。フィリピンで暮らせていればそれで十分幸せ、と思っていましたから。ただ、周りを見るとたくさんの友人が海外で仕事をしたいと考えながらも、その機会がありませんでした。それに引き換え、自分は日本に行くチャンスを与えられている。「だったら一度は海外に出て、新しい地平線を眺め、仕事をしてみよう」と思いました。

画像 来日されて間もないころのジェイさん。初めてディズニーに行ったときの写真だそうです

阿部川 素晴らしいですね。でも日本語を覚えなくてはならないし、ソフトウェアの仕事も初めてだったのですよね。

ジェイさん はい。お話しした通り、私のバックグラウンドはハードウェアです。ソフトウェアと日本語を同時に学ばなければならなかったので、結構大変でした。YSDで初めて「PHP」を学ばなければなりませんでしたし、開発のために「Java Development Kit」も学ぶ必要がありました。

 英語を話せましたが、上司は英語が得意ではなかったようで、私に指示を出すときにはホワイトボードに単語を並べて「これはこうすればいい、こっちはこう」といったように身ぶり手ぶりも含めて話をしていました。今考えるとYSDにとって大きなチャレンジだったと思います。


編集中村 編集 中村

 当時の詳細な事情は分かりませんが、ジェイさんがおっしゃる通りなかなかのチャレンジですよね。どうしてそこまで力を入れていたのか。これは想像ではありますが、単に「日本語が通じない人に指示する」ことが目的ではなく、「海外の人材を自社のビジネスで活躍させるためにどういった方法が有効か」といった思いがあったのではないかと思います。


阿部川 今(2023年)から約20年前ですか。プログラミング言語であれば独学でも何とかなるかもしれませんが、日本語はそうもいかないでしょう。どうやって覚えたのですか。

ジェイさん 基本的には日本語学校とテレビなどの自己学習で覚えました。当時、インターネットはありましたが、今日のように多くの情報がそこにあるわけではありませんでしたから。YSDは、最初の3カ月間、月、水、金曜日に2時間ずつ日本語学校に行かせてくれました。それ以外にもテレビ番組やアニメを見たり、日本の音楽を聴いたり、といったことを毎晩やりました。それがとても効果があったと思います。

画像 インタビュー中のジェイさん。ステキな笑顔です!

 それと私は人と話すのが好きなので、(日本語で)「間違っても許してください」と前置きしてから、いろいろな人に話しかけました。すると(日本語で)「正しいのはこういう言い方ですねって教えてくれるんです」。こうやって学んでいきました。

阿部川 人と話す、テレビなどで音を聞きながら習得する。それこそが言語の自然な勉強法ですよね。海外から来日した私の友人もアニメや漫画、コメディーなどで日本語を勉強しています。楽しく学べますしね。

ジェイさん 勉強の仕方はもちろんですが、私は「コミットメント」が大事だと思っています。どうやって目標まで到達するか、または自分自身がどうなりたいのかというように、自分で成長しようとコミットすること。それがとても大切だと思っていますし、今でもチームのみんなには、このことを伝えています。

結婚してすぐにリーマンショックに遭遇

阿部川 YSDで7年過ごした後でNewskinに転職されました。転職の理由は何だったのでしょうか。

ジェイさん Newskinで、eコマースのWebサイトを刷新するという大きなプロジェクトがあったのです。日本と米国を橋渡しする役割が求められていたので、チャレンジしたいと思いました。

阿部川 YSDでエンジニアとしての基本と日本語を学ばれ、次のチャレンジとして日本と世界をつなぐようなコミュニケーションの現場に、ある意味、キャリアを進化させたのですね。

ジェイさん そうですね。YSDには今でも感謝しています。社会人の基礎、特に日本人の考え方の基礎を学ばせてもらいましたから。社内トレーニングも素晴らしかったですし、日本人の仕事に対する姿勢や、プロフェッショナルになるための、日本ならではの訓練なども積ませてもらい、本当に多くのことを学ばせてもらいました。

 Newskinでは1年半ほど働きました。ちょうどそのころ(2008年8月ごろ)結婚しまして、一度フィリピンに戻りました。そのときに「少し長い休みが欲しいな」と思うようになりました。いろいろ考えましたが、退職することに決めました。退職後、また日本に来たのですが、直後に「リーマンショック」が起きたのです。

阿部川 結婚した直後で、大変な時期でしたね。

ジェイさん はい。フリーランスの仕事も含めて、就職先などを探しましたが全くなくて。ハローワークにも登録しました。その後、パートタイムですがSprasiaという企業の仕事に就けて、2009年の1月から正社員として働き始めました。そこから私のキャリアは、違った展開を見せます。


 高校の授業をきっかけにコンピュータ、ひいてはITの世界に足を踏み入れたジェイさん。自分で決め、自分で歩き出すジェイさんの下には多くの「大変なこと」と「機会」が訪れた。後編は起業し、社長として活躍した話と将来の夢について聞いた。

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