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» 2024年01月23日 05時00分 公開

末は「神父」か「エアクラフトエンジニア」かGo AbekawaのGo Global!〜Jay Pegarido(前)(1/2 ページ)

グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はSansanの海外開発拠点、Sansan Global Development Centerにて取締役を務めるJay Pegarido(ジェイ・ペガリド)さんにお話を伺う。コンピュータとの出会いは決して早くなかったが、その出会いは文字通りジェイさんの運命を変えた。

 国境を越えて活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回はSansanのJay Pegarido(ジェイ・ペガリド)さんにお話を伺った。バスケットボールにセパタクロー、外で遊ぶのが大好きで「フィリピンで暮らせていればそれで十分幸せ」と思っていた少年はなぜ海外に飛び出そうと思ったのか。

 聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。

子ども時代、何をするにもとにかく楽しかった

阿部川 “Go”久広(以降、阿部川) ご出身はどちらですか。

Jay Pegarido(ジェイ・ペガリド 以下、ジェイさん) フィリピンの南、ミンダナオ島で生まれました。

阿部川 自然豊かな場所だと思いますが、やはり子どものときは外で遊ぶのが好きでしたか。それとも家で過ごすのが好きでしたか。

ジェイさん とにかく外に出て、兄弟や、近所の子どもと遊んでいました。走ったり、自転車に乗ったり、ゲームをしたり。何をするのも楽しくて動き回っていました。

阿部川 スポーツなどはどうですか。ミンダナオ島ではどんなスポーツが人気なのでしょう。

ジェイさん バスケットボールをしていました。ミンダナオ島の辺りでは皆がバスケットボールをします。高校ではセパタクローもやりました。バスケットボールは週末など友人たちと集まって、今でも楽しみとして続けています。

阿部川 いいですね。ところでフィリピンの教育制度について教えていただきたいのですが、日本と同じですか。

ジェイさん ちょっと違います。私が子どものころは、小学校が6年、中学校は4年、その次が「カレッジ」もしくは大学です。通常は4年ですが、エンジニアリングコースの場合は5年です。ただ最近、中学校と高校が区別されるようになったみたいです。

阿部川 なるほど。Go Globalで世界中の方にお話を伺っていますが、教育のシステムは常に変化していますね。例えばシンガポールやセブなどは、専門的な教育に非常に力を入れているように見えます。

ジェイさん ああ、そういえば日本で仕事をしていたときにびっくりしたことがありました。当時の同僚に「大学で何を専攻したか」と聞いたら「経済学」と答えました。シンガポールでは、IT業界で仕事がしたかったら大学でITを専攻するのが一般的なので大変驚きました。

阿部川 日本企業の多くは「新人は一から教育する」といった方針を取っています。だからそういったことが起きるのでしょうね。

最初はハードウェアエンジニアを志望していた

阿部川 ジェイさんの場合は大学に入る段階でエンジニアになろうと思っていたのでしょうか。

画像 阿部川 “Go”久広

ジェイさん うーん、そうですね。意識し始めたのは中学を卒業した辺りだったと思います。とはいってもソフトウェアではなく、ハードウェアのエンジニアですが。当時、進路として2つの道を考えていました。1つは、空港で飛行機などをメンテナンスするエアクラフトエンジニアになる道。もう1つは、カトリックの学校で神父になる道でした。

阿部川 えっ、神父ですか。2つの道は全然違う方向ですね。

ジェイさん はい。それぞれの理由をお話しますね。エアクラフトエンジニアになりたいと考えたのは、当時私たち家族は空港の近くに住んでいました。大きな飛行機が着陸するのを間近に見て、その飛行機の周りで多くのエンジニアの人々が働くのを見て、これはかっこいい仕事だなあと子ども心に憧れました。

 神父を目指したのは、私が通う学校がカトリック系だったことが影響しています。家族全員がカトリック教徒でしたし、毎日曜日は必ず教会に通っていました。ミサの際は神父の侍者も務めていましたし、聖歌の伴奏者としてギターも弾きましたから、神父になりたいと自然と考えるようになりました。

阿部川 最終的にどう決断したのですか。

ジェイさん コンピュータとの出会いがその後の進路を決定付けました。1993年ごろだったと思いますが、学校でコンピュータのプログラミングコースが始まりました。私がコンピュータというものを間近に見た、人生で最初の瞬間でした。コースが始まってすぐに、私はコンピュータの操作を覚え、プログラムを自分で作ったり、図形に色を付けたりといったことが難なくできるようになりました。4年生のときには「コンピュータ操作最優秀賞」という賞までもらったんですよ。

阿部川 コンピュータとの出会いが進路を決めたと。ちなみにそのとき触ったハードウェアを覚えていますか。

ジェイさん いや、さすがに詳しくは覚えていませんが、確か5インチのフロッピーディスクが使えるものだったと思います。モニターも緑色でした。「Windows 95」が出る前ですね。


編集中村 編集 中村

 5インチフロッピー。世代的にはギリギリ(?)ですが、私も使ったことがあります。読み込む音がバチンバチンするんですよね。懐かしい。


阿部川 それほどコンピュータに魅入られていたのであれば、進学先としてサンカルロス大学を選ばれたのは自然だったのですね。

ジェイさん はい。コンピュータエンジニアリングの分野で、サンカルロス大学は先進校でしたから。他の大学も考えたのですが、当時はエンジニアリングコースのある大学が少なく、サンカルロス大学が私にとってはベストな大学でした。

阿部川 入学試験の競争率は高かったのでしょうね。

ジェイさん どうでしょうか……受験したら受かりました(笑)。

阿部川 それはすごいですね(笑)。大学で学んだことで印象に残っているものは何ですか。

ジェイさん 当時コンピュータエンジニアリングといえば、多くはハードウェアに関する勉強で、ネットワークやソフトウェアなどの比重は少なかったですね。また、ソフトウェアといってもアセンブリ言語やマイクロコントローラー用ソフトウェアが中心でした。現在にも通じることといえば、分析や分析的思考などでしょうか。

 分析的な思考は意思決定をするときにとても役立ちます。必要な全ての情報が過不足なくそろっている中での意思決定など、現実的には皆無ですからね。時間がない、お金がない、人がいない。そうした中ではリスクを取らないと何も決められませんから、そのために分析を活用するんです。

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