私はまだ18歳で、それまでの人生の全てはミャンマーに置いてきたGo AbekawaのGo Global!〜テッテさんFromミャンマー(前)(1/2 ページ)

グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はMicoworksでマネジャー兼ブリッジエンジニアとして活躍するHtet Htet Lwin Thein(テッテ・ルウィン・ティン)さんにお話を伺う。内向的でもないけど外交的でもない、勉強はしていたけどあくまで適度に。そんな控えめな表現をするテッテさんが、ITの世界でプロフェッショナルを目指すようになったきっかけとは。

» 2024年03月11日 05時00分 公開

 国境を越えて活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回はMicoworksでマネジャーとブリッジエンジニアの二足のわらじを履く、Htet Htet Lwin Thein(テッテ・ルウィン・ティン)さんにお話を伺った。数学やITなどエンジニアが得意とする分野はどちらかといえば苦手だったテッテさん。だが、持ち前の負けず嫌いから、それらを次々と克服していく。

 聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。

苦手なものを得意にしようとする癖がある

阿部川 “Go”久広(以降、阿部川) ご出身はどちらですか。

Htet Htet Lwin Thein(テッテ・ルウィン・ティン 以下、テッテさん) ミャンマーのヤンゴンです。以前は首都でしたが、現在は第2首都になりました※。

※2006年に当時の軍事政権が首都を移転し、現在の首都はネピドー。移転の明確な理由は発表されておらず、有識者の分析では、人口の増加によるインフラの問題、国家安全保障上の問題などが理由として挙げられている。


阿部川 子どものころはどんなお子さんでしたか。

テッテさん そこまで内向的ではありませんが、外向的とも思っていないので、中間くらいですね。東南アジアに生まれて、その文化に影響を受けていますから、礼儀正しく、よく勉強する子であったことは確かです。

阿部川 勉強はお好きでしたか。

テッテさん (好きかどうかというよりは)勉強するのは自然なことだったので、やらなければならないことはしっかりやっていました。ただ、“無理して、がむしゃらに”というほどではなく、正しい意味で適度にやっていましたね。

画像 幼少期のテッテさん

阿部川 なるほど。現在のお仕事から考えると教科としては数学が得意だったのではないかと推測しますが、どうでしょうか?

テッテさん いいえ。数学は一番、不得意でした。でも私は自分が苦手だと思ったものを、何とかして一番得意にしようという癖があるのです(笑)。ですから数学も得意になろうと努力しました。その結果、中学と高校で、一番満足できる結果を得た教科は数学になりました。

阿部川 不得意なものを努力で得意にしたのですね。では、好きだった教科は何でしたか。

テッテさん 好きだったのは言語や文化の教科です。英語が好きで、詩や小説を教材にして勉強をしました。特に古典と呼ばれる小説が好きでした。表現の美しさに引かれるんですよね。作者を覚えていないのですが、『Bridge』という詩がとても好きでした。具体的に私自身の何かに関係しているというわけではないのですが、年を取れば取るほど、その意味することが深くなってくるのです。後は、『ハリー・ポッター』シリーズにはまりましたね。今も続いていますが(笑)。


編集中村 編集 中村

 不得意なものがあれば得意になるまで努力する。得意なものはもっと得意になる。最強ですね(笑)。


自然と日本語を選んでいた

阿部川 それで言語を専攻とする大学、ヤンゴン外国語大学日本語科に進学したのですね。どうしてその大学に決めたのですか。

テッテさん 選択肢は幾つかありました。歯科医師を目指して医学を学ぶか、ビジネスマネジメントを専攻するか、外国語を学ぶか。母は医療系の大学に進学してほしかったようですが、私の成績はそこまでは良くありませんでしたから……。最終的には外国語を学ぶことを選びました。

 叔母が日本語の先生だったので、日本語を選択することは比較的自然でした。加えて、実は当時、韓国語を既に勉強していて、韓国語のドラマや「K-POP」などを聞いていました。英語も話せましたから「じゃあ、今までやったことのない日本語を学ぼう」と思ったのです。

阿部川 4つの言語を話し、その文化的なバックグラウンドを理解しているということですね。素晴らしい。日本語学科でどのようなことを学ばれたのですか。

画像 阿部川 “Go”久広

テッテさん 日本の文化やビジネス、歴史、地質……、日本のあらゆることを学んだんじゃないでしょうか。

阿部川 それでしたら私より日本に詳しいかもしれませんね(笑)。コンピュータに触れたのは大学が最初でしょうか。

テッテさん 触っただけであれば、実家にあったPCが初めてのコンピュータですね。裕福ではありませんでしたから、家族でそれをシェアして使っていました。自分のPCを持ったのは、10歳のとき。祖母が誕生プレゼントとして買ってくれたものです。ただ当時私はコンピュータやITに興味を持っていませんでした。スペックなどはどうでもよかったんですが、デザインや色がお気に入りでした。それでゲームやネットサーフィンをよくしていた、というか、PCでやることをそれしか知らなかったのです(笑)。

阿部川 なるほど、当時はそれほどPCに興味はなかったのですね。大学時代はどうでしたか。楽しめましたか。

テッテさん 半々ですね。もちろん今こうして私がいるのは、大学時代の勉強があったからですから、その点はとても感謝しています。ただ、大学はとても厳しいところでしたから楽しい思い出だけではありません。「まあまあ」といったところでしょうか。

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