前例のないアジャイル事例を達成したらCOBOLプロジェクトを任されたGo AbekawaのGo Global!〜牛尾さんFrom日本(前)(2/3 ページ)

» 2024年08月29日 05時00分 公開

人生で初めて成功した大学受験

阿部川 プログラミングに興味を持ったきっかけは何でしたか。

牛尾さん 親戚のおじさんが「ポケコン」(ポケットコンピュータ)を持っていたんですよ。「これでゲームを作れるんだよね」とか言って。「BASIC」とか「アセンブラ」(Assembler)が使えて「そういうのができるんか、かっこいいやん」って思ったんです。小学校5、6年生の頃だったかな。それでそのうちPCが欲しくなって、お小遣いためて。中学校3年生くらいの時に、シャープの「パソコンテレビX1」を買いましたね。

画像 牛尾さん小学生バージョン

阿部川 それを使って何をしていましたか。

牛尾さん 雑誌に載っているコードを打ち込んでみたりとか、ちょっとしたプログラム書いてみたりとか。全然大したことじゃないですけど。


編集中村 編集 中村

 私も使っていました、ポケコン。関数電卓として学校の授業中も使っていたので、教師の目を盗んでゲームをしたり、プリント基板で赤外線通信をできるようにしてメッセージ送り合ったりしていました。懐かしい。コードを音に変換してカセットテープに複製したのは良い思い出です。


阿部川 学校では人の3倍勉強して、家に帰ったらプログラミングをして……、とそんな感じでしょうか?

牛尾さん まさに陰キャという感じでしたね。

阿部川 内向的という意味ではそうかもしれませんね。大学は関西大学ですね。就職は考えていなかったのですか。

牛尾さん 大学には行きたかった。ここまで「僕は本当にできなかった」って話していますけど、努力しても人並みになるのがめっちゃ大変っていう人生の中で初めて成功したのが大学受験だと思っています。

 和田秀樹さんの『受験は要領』っていう本を読んで衝撃を受けたんです。「これやったら、このアホにゃんにゃんの俺でも受かるかもしれん」と。そして本の内容を愚直に実行したんですよ。そしたら成功した。自分の高校からは行けへんような大学やったんですが。

 人生で初めてうまくいったので、そういうメソッド(Method:体系的な手順や方法)が好きになったんです。“牛尾 剛くん”の性能は残念ながら悪い。それは受け入れるしかないけど、「やり方を工夫したら何とかなるかもしれへん」って思ったのは、その時からですね。

阿部川 私も読んだことがあります。「基本の知識に時間をかけた方がいい」といったことが書かれていました。多分、ここに通じますね。

牛尾さん そうですね。そういうハビット(Habit:習慣、生活パターン)を作るのには役立っていると思います、僕の場合。“牛尾 剛くん”の性能は最悪なわけですよ。最悪なスペックしかないこの“牛尾 剛くん”をどうやって何とかするか、性能が悪くてもどうやったらできるかって作戦を考えるしかない。もちろん全部うまくいくわけじゃないですけど。

阿部川 そういう考えは大切ですよね。戦略がないのに丸暗記だけさせると自分で考えられなくなりますからね。

牛尾さん ところがですね、和田さんのメソッドには「数学は丸暗記せよ」とあって(笑)。「あ、暗記してもいいんだ」と思って。それで数学を受験して受かりましたからね。今の自分の原則とは違いますが、大学に行くという目的を達成するためには、確かに素晴らしいメソッドであると思うんで今でも超絶感謝しています。残念ながら受験勉強でやったやつはほぼ覚えてないですが。


編集中村 編集 中村

 インタビューではメソッドという単語がよく登場していました。なかなかうまくいかなかったことでもやり方を覚えるとうまくいく、ということはありますよね。牛尾さんにとってはその書籍がパラダイムシフトを起こすきっかけになったのでしょうね。


阿部川 昔のことをずっと覚えていたら脳の容量があふれちゃいますよ(笑)。関西大学ではどの学部に入ったのですか。

牛尾さん 電気工学科です。本当はコンピュータの学科がよかったんですが、当時はなかったんで「何か一応工学部やし、何か電気だし、コンピュータに一番近いかな」ぐらいの感じで。学生なんて、あんまり考えてないものじゃないですか(笑)。

就職は大企業、しかし「思ってたんと違う」状況に

阿部川 電気工学科ではどんな勉強をしましたか。

牛尾さん 電気回路とかそういうやつです。ただ、ほぼ覚えてなくて……。僕、軽音楽部でギターばかり弾いていましたし。覚えているのは、研究室でSun Microsystemsのワークステーションがあったことくらいですかね。

画像 ギターを引く牛尾さん(右)。軽音部での一コマでしょうか

 「ファジィクラスタリング」という研究をせなあかんかったんですけど、僕、コンピュータにしか興味がなかったんで、研究の結果を出力するのにわざわざSunのワークステーションでプログラミングを書いて、分布図とか出していました。

阿部川 ファジィクラスタリングと言いつつプログラミングをやって、軽音でギターを弾いていたと。「将来は何する」みたいなの考えていましたか。

牛尾さん 「将来はプログラミングで食べていく」としか思ってなかったですね、正直。でも大学生といっても子どもやしね、働いてないから何も分かんないじゃないですか。だからイメージだけで選びますよね。

 それで、僕はめっちゃラッキーで大企業に入れたんですよ。成績は良くなかったですけど、たまたまその会社を志望している人がそんなに多くなかったみたいで。いつもやったら成績でトップ10に入る人しか行けへんようなとこやったんですけど、人気の企業やったからみんな避けたんかな? 僕と、僕ととんとんの成績のやつとの2人しか行かれへんかった。

阿部川 それが日本電気(NEC)ですね。どんなお仕事をされていたのですか。

牛尾さん 僕が入社した当時は「SI」(システムインテグレーション)とか言われてて、営業とSE(システムエンジニア)が一緒になった時期だったんです。SEも営業できなあかんし、営業もSEできなあかんみたいなノリやったんやけど、実際は営業ですよね。入社の面接で「UNIXのコマンドを担当したいです」って言ったんやけど、思いっきり営業に入るっていうね。まるでやる気がなかったですね。

阿部川 でも、12年もいらっしゃったんですね。

牛尾さん そうですね。ただ営業はおもんなかったんで、夜になったら、会社にある「EWS」(EWS4800)っていうUNIXマシンをいじっていました(笑)。フリーソフトをコンパイルするとか、そういうのをしていました。ある意味、趣味で。


編集中村 編集 中村

 当時は転職が珍しい時代だったせいもあるかと思いますが、そこで「辞めてやるー」と腐らずに、どうにかして面白いことしようという思い(執念?)が素晴らしいですね。


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