米国での過酷な移民システムに限界を感じたアルジュン氏が、次なる転地として選んだのは、アジアの最先端都市、シンガポールだった。そこでの彼のミッションは、国家の生命線である港湾業務の自動化という、極めてダイナミックなプロジェクトだった。
「シンガポールの『Venti』という会社で港湾業務の自動化、主にトラックの自動運転に取り組みました。同社は現在、24時間稼働するトラックシステムを運営しています」
シンガポールは、非常に便利で、生活水準も高い場所だった。エンジニアとして目覚ましい成果を上げ、効率化された社会を享受しながらも、彼の心には再び、拭い去れない違和感が芽生え始める。それは、国家によって完璧に管理された都市特有の「無機質さ」であった。
「シンガポールは便利ですが、芸術性に欠けていると思いました。もちろん多くのアーティストやクリエイティブな人はいるのですが、創造活動がしにくいのです。政府の監視システムも多少は影響しています。多くのシンガポール人は、屋上のバーに集まって、はやりの音楽を聞いて一杯やって、といったことに満足しているように思います」
さらに、多民族国家を掲げるシンガポールの裏側に潜む、厳然たる「序列」も、彼にとっては受け入れがたいものだった。ドバイで感じた「境界上の空間」という感覚が、形を変えて彼を追いかけてきたのである。
「シンガポールでは人種的ヒエラルキーも感じました。中国系がトップで、インド人は2番目3番目にランクされ、差別されています。また、移民システムが非常に不透明で、申請が却下されてもその理由などのフィードバックがほとんどありません。自分たちが常に『格付け』されているような感覚がありました。とはいえ、シンガポールは私にとって非常に特別な場所であり、あそこでの生活が恋しくなることもあります。……もちろん、東京が一番ですけどね(笑)」
効率と管理を突き詰めたシンガポールを経て、彼がたどり着いたのが日本だった。そこには、米国のような殺伐とした空気も、シンガポールの息苦しいほどの管理社会とも異なる、「人間の体温」を感じる社会があった。
「2年前の夏に日本を訪れた際、文化や芸術、清潔さ、人々の幸福感に魅了されました。米国のようなドラッグや犯罪がついて回る怖さも、汚さも、暗さも日本には全くありません。日本人は外国人、特にインド人に対して好意的で、私にとってとても新鮮な体験でした」
ドバイで生まれ、インドで鍛えられ、米国で見えない檻に入れられ、シンガポールで格付けされた――そんな「永遠の移民」であったアルジュン氏が、初めて「ここなら自分の人生を託せる」と感じたのが、極東の島国、日本だったのである。
彼を引きつけたのは感情的な理由だけではない。日本が持つ「制度の明確さ」が、30歳を迎えた彼の決断を後押しした。
「日本のシステムはポイント制(高度専門職など)を採用しており、永住権取得への道筋が非常に明確です。これこそが私が日本に移住した大きな理由の一つでもあります。30歳になり、落ち着きたい、自分の家も持ちたいと思ったときに、日本は非常に魅力的でした」
感情面での幸福感と、制度面での合理性。その両輪がそろったことで、彼は初めて「境界上の空間」を抜け出し、日本という地に根を下ろすことを決意したのである。
長い旅路をへてたどり着いた日本でアルジュン氏は、ティアフォーのPlanningandControlEngineerとして、ロボタクシーや無人バス、工場内ロボットなど、さまざまなプラットフォームの開発に携わっている。
日本のエンジニアたちと共に働く日々をおおむねポジティブに捉えているが、同時に日本独自の組織文化が抱える「課題」も見逃さない。
「日本の職場の良い点は、さん付け文化などの礼儀正しさや、『根回し』による合意形成です。悪い点は『気まずさ』ですね。日本人は『理解されないことへの不安』が強く、英語でのコミュニケーションに極度の緊張感があるように見えます」
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