生成AIを使い始めて、何年になるだろう。気が付いたら、コードも書いてくれるし、議事録もまとめてくれる。便利になった。でも、ふと立ち止まってみると、年収は上がっただろうか。本連載を読んで、いま一度、正直に確かめてほしい。
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「年収を上げたいかー! おー!」と、5年前に、この掛け声で連載を始めました。覚えている方がいたら、それはもう同志です。あのとき20代だった人は、いま30歳前後でしょうか。30代だった人は、そろそろ「マネジメントをどうするか」と言われ始めている頃かもしれません。月日がたつのは、本当に早いものです。
5年前の連載では、「アフターコロナのITエンジニアは、弱肉強食の世界を生きることになる」という話をしました。予想は、半分が当たり、半分は願望のまま残りました。ただ、当時は見えていなかった変数が、1つあります。生成AIです。これが加わったことで、二極化は、予想よりもずっと静かに、ずっと深く進みました。
大事なのは、予想が当たったかどうかではありません。いま現実に何が起こっているのか。そして、そこから社会の構造がどう変わりつつあるのか。今日はその話をします。脅すためではなく、足元の地図を一緒に確かめ直すためです。
当時、こんな一節を書きました。「ロボットに仕事を取られるとおびえている人たちは、仕事ではなく作業をしている」。少し意地の悪い書き方でしたが、伝えたかったのは脅しではなく、構造の話でした。
あれから5年が経ち、その構造は静かに、しかし確実に変化しました。RPA(Robotic Process Automation)やノーコードでじわじわ進んでいた「作業の自動化」に、生成AIという強烈なアクセルがかかったのです。
思い出してみてください。かつては数時間かけていた議事録の清書。先輩のコードを横目に、何時間も悩んで書いていたボイラープレート(定型コード)。仕様書のたたき台。テストデータの作成。問い合わせメールの下書き。調査のための一次情報集め。そのほとんどは、いまや数分で「それっぽいもの」が出てくるようになりました。
正直、ここまで速いとは、多くの人が思っていなかったはずです。「いずれ作業は機械に巻き取られる」という話は、前からありました。ただ、それが現実になるのはまだ先だと、どこかで高をくくっていた。先送りにしていた未来が、たったの数年で足元まで来てしまった。それが、いまの状況です。
周りを見渡しても、もう「生成AIを使っていない人の方が珍しい」段階に入りました。たった数年で、ここまで景色が変わった。5年前のテレワーク移行に匹敵する、いや、それ以上の地殻変動かもしれません。便利さに慣れてしまうと忘れがちですが、いま立っているのは、ほんの数年前には存在しなかった地面の上です。
ここで、一つ気付いてほしいことがあります。便利になって消えていったその作業たちは、かつて「これは作業であって、仕事ではない」と呼ばれていたものと、見事に重なります。淘汰(とうた)は、思っていたよりもずっと早足でやって来ました。
5年前の連載では、テレワークを「場所の制約を消すもの」として取り上げました。場所の制約が消えると、地方在住の優秀なエンジニアが首都圏の仕事を請けられるようになる。逆もある。地の利が効かなくなり、日本中、いや世界中が一斉にライバルになる、と。
いま起こっていることは、その構図とそっくりです。テレワークが「場所」を平準化したように、生成AIは「作業量」を平準化しています。
どういうことか。これまで、たくさんの作業を速くこなせる人は、それだけで価値がありました。打鍵が速い。調べるのが速い。コードを書くのが速い。それは立派な武器でした。ところがAIは、その「速さ」を誰にでも配ってしまった。10分でこなしていた作業を、隣の席の後輩も、別の会社の知らないエンジニアも、同じく10分でこなせるようになったのです。
場所が平準化されたとき、地域“一番”の実力では生き残れなくなりました。同じように、作業量が平準化されたいま、「作業が速い」という“一番”では、もう差がつきません。テレワークの時と、同じことが起こっています。違うのは、今回の逃げ場が「サイバー空間」ですらなく、自分の手元の作業そのものだ、という点です。より身近で、より切実です。
もう少し身近な例で言いましょう。あるチームに、誰よりも早く、誰よりもきれいにコードを書く後輩がいたとします。少し前なら、その後輩は「即戦力」として重宝されました。ところが、AIがコードを誰の手元にも吐き出すようになったいま、「早く、きれいなコード」だけでは、値打ちが以前ほど際立たなくなった。本人は何も悪くないのに、武器の価値が、市場ごと目減りしてしまったのです。これは、決して他人事ではありません。明日は、わが身です。
ここが、今回最もお伝えしたい、地味だけれど大切な気付きです。
AIを使い始めた時、多くの人は「自分は得をしている」と感じたはずです。これまで面倒だった作業が一瞬で終わる。なんて便利なんだ、と。少しだけ、ライバルに差をつけた気分にもなった。その高揚感には、覚えがあるでしょう。
でも、よく考えてみてください。あなたを便利にしたそのツールは、世界中の何百万人ものエンジニアを、全く同じように便利にしています。あなただけにこっそり配られた魔法ではなく、全員に同時に配られた支給品なのです。
全員に同じものが配られたら、その瞬間、それは差別化の要素ではなくなります。みんなが持っているものは、強みになりません。年収アップを「合法的なお金の奪い合いゲーム」として捉えると、すぐに腑(ふ)に落ちる話です。市場に出回るお金の総量は、有限です。全員が同じ武器を手にしたなら、勝負を決めるのは武器そのものではなく、その武器で何を撃つか、です。
ここには、単純な構造があります。
ある能力が希少なうちは、それを持つ人に高い値がつく。ところが、その能力が誰の手にも入るようになった瞬間、値は一気に下がる。これはAIに限った話ではありません。表計算ソフトウェアが広まったとき、翻訳ツールが実用になったとき、同じことが起こりました。かつて「Excelが得意」は立派なスキルでしたが、いまは履歴書に書く人すらいません。生成AIは、この「価値が平準化される瞬間」を、これまでにない速さと広さで、幾つもの職能に同時に起こしているのです。
「自分だけが得をしている」。その感覚は、たぶん錯覚です。便利さで浮いた分は、あなたの取り分ではありません。いったん全員の足元に等しく敷かれた、新しい地面なのです。
念のために言っておくと、「AIが仕事を奪う」と脅したいわけではありません。脅し文句は、5年前から一貫して使わないと決めています。不安をあおっても、誰も得をしませんから。
ただ、足元の地図が変わったことだけは、冷静にお伝えしておきたいのです。
これまで、忙しさには逃げ場がありました。手を動かしていれば、なんとなく「仕事をしている感じ」がしたのです。報告資料を整えたり、データを転記したり、繰り返しの作業に没頭していると、1日が終わる。疲れもする。だから、頑張った気になれた。この「作業に逃げ込む」という安全地帯が、確かに存在していました。
こういう日は、誰にでもあります。本当はもっと頭を使うべき課題から目をそらして、片付けやすい作業ばかりを選んで1日を終える。手は止まっていないから、罪悪感もない。でも、夕方になると、なぜか満たされない。その正体は、たいてい「作業に逃げていた」ということです。
AIが消しつつあるのは、まさにこの安全地帯です。作業がどんどん巻き取られていくと、「手は動かしているのに、価値を生んでいない時間」が、急に目立つようになる。隠れる場所がなくなるのです。
これは怖いことのようでいて、実はチャンスの話でもあります。逃げ場がなくなったということは、全員が同じスタートラインに引き戻されたことでもあります。ここから先は、何をするかで差がつく。それなら、いまから動いた人が勝てます。
では、何をすれば高く売れるのか。結論を先に置いておきます。これからの時代に高く売れるのは、「AIを使える人」ではありません。「AIで局面を変えられる人」です。
AIを使えること自体は、もう前提条件になりました。Excelが使える、メールが打てる、というのと同じ位置付けです。できて当たり前。できないと困る。でも、できるだけでは給料は上がらない。そういう種類のスキルになったのです。
高く売れるのは、その先です。AIで浮いた力を使って、これまで解けなかった課題を解いた人。チームのボトルネックを取り除いた人。顧客が気付いていなかった問題に手をうった人。事業の数字を、動かした人。つまり、局面そのものを変えた人です。
逆に言えば、AIをどれだけ巧みに操れても、それで生み出した余力を、また別の作業で埋めてしまう人には、高値は付きません。道具の腕前ではなく、その道具で世界に何を起こしたか。面接官も、上司も、市場も、見ているのは結局そこです。
次回は、「局面を変えるとは、具体的に何をすることなのか」「AIで楽になったはずなのに、なぜか年収が上がらないのか」その正体についてです。先に一言だけ言っておくと、犯人は「浮いた時間の使い方」です。心当たりのある人は、少なくないはずです。
勝ち逃げ先生
ベンチャー企業、派遣企業、大手製造業社内SEと渡り歩き、現在は外資系IT企業で働くITコンサルタント。体脂肪率8%の細マッチョでもある。
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