フリーソフトウェア著作権侵害チェックプロジェクト「GVO」へのタレコミが成功し、ジェイソフトの危機を救ったコンサルタント江里口美咲。彼女が最終的に向かった場所は――。
連載「コンサルは見た!」は、仮想ストーリーを通じて実際にあった事件・事故のポイントを分かりやすく説く『システムを「外注」するときに読む本』(細川義洋著、ダイヤモンド社)の筆者が@IT用に書き下ろした、Web限定オリジナルストーリーです。
カーナビベンダー「プレミア電子」がソフト開発会社「ジェイソフト」を攻撃していたのは、外敵襲来に備え同社を囲い込みたいからだった。しかし、ジェイソフト三浦から依頼を受けたコンサルタントの江里口美咲が調べたところ、ジェイソフトのカーナビソフト「ボカ」にはGPLが設定されており、プレミアはそれを知らずにボカを基にしたカーナビ「バルサI」を製造、販売していたことが判明する。
美咲は著作権侵害チェックプロジェクト「GVO」にこれをタレコミ、プレミア電子は警告を受ける。さらに、バルサI搭載のミドルウェアの多くにもGPLが設定されていることも分かり、プレミアの武田と木村は、身の破滅を覚悟する。
第1話 ベンチャー企業なんて、取り込んで、利用して、捨ててしまえ!
第2話 大手の下僕として安定の日々を送るなんて、まっぴらゴメンだね!
第3話 あまっあまのスイーツ社長なんて、大手に利用されて当然よ!
第4話 カーナビの要は使い勝手の良いアプリだ。よそには渡さん!
第5話 ソースコードの中に逆襲のネタを見つけたわ
第6話 ジェイソフトはプレミア電子を著作権侵害で訴えます!
第7話 貴社は重大なGPL違反を犯しています
第8話 GPLに違反したから、わが社は経営破綻するしかない
江里口美咲は郊外にあるマンションの1室を訪れた。クリーム色のドアには「セリエソフトサービス」と書かれたプラステチックの表札が貼られている。
居住スペースをオフィスにリフォームした部屋に通されると、スーツを粋に着こなしたロマンスグレーの男性が部屋の隅に置かれた会議卓に座っていた。三浦と同じくらいの歳ごろのはずだが、ハツラツとした雰囲気は年齢を凌駕(りょうが)している。
「はじめまして。江里口美咲と申します」
「松井です。この度はジェイソフトウェアを救っていただいたそうで、ありがとうございます」
美咲は、松井が持ってきてくれたペットボトルのお茶を一口飲んだ。
「お忙しかったんじゃありませんか? ドローン用ソフトの開発がいよいよ本格的に始まったとお聞きしましたけれど」
美咲の問いに松井は小さく首を振った。
「いやいや。今日は社員たちのお世話デイですよ。お茶出しとか買い物とか……」
「社長がお茶出しですか?」
「ええ。私は社員のサポーターです。商談のない日は技術者たちのお世話係でしてね。米国企業との新型ドローン共同開発が始まってからは、雑用は何でも私がやってます」
松井は楽しそうだった。部屋にいる社員たちも、楽し気に技術論を戦わせている。
「そのドローン用ソフトも、やはり完成後はソースプログラムを公開されるおつもりですか?」
美咲の問いに、松井は大きくうなずいた。
「ええ。著作権はわが社に留保しますが、複製や改造は自由に行えるようにします。開発費を出してくれる米国のドローン開発企業が最初は難色を示しましたが、交渉を続けて納得してもらいました」
「よく納得しましたね。同じソフトウェアがライバルに渡って競合製品に搭載されたら困るんじゃないですか?」
松井は、少し首を傾げながら口角を上げた。
「江里口さん、分かっててそんなこと聞くんでしょ? われわれが作るソフトは、確かに技術者が心血注いで作ったものではあるが、発明品じゃあない。一生懸命隠したって、いずれは誰かが似たようなものを作ります」
「先に公開してしまった方が、御社の知名度が上がるし、ソフトを改造して競合品を作ってくれればむしろデファクトスタンダードを取れる……」
「それに、ライバル企業たちがGPLに準拠してソフト作りをしてくれるってことは、そこが改造して付加した工夫を、今度はわれわれも使えるってことです。要するに世界中の企業が1つのソフトをどんどん育てていくことになるわけです」
美咲には、松井の声がやや上ずったように感じられた。
「でも、そうしたら御社は最初の1社、つまり今回の開発で利益を上げるだけになるのでは?」
「メジャーなバージョンアップのときには、開発費が入りますし、保守、メンテナンス、インストール、ユーザーサポートなどをサービスとして提供すれば、定収入は得られます。広告もとれますしね。そこは開発したものの強みってことですよ。もちろん、相手にも何割かは売り上げとして分配しますけどね」
「なるほどね。そのためには、開発したソフトをなるべく多くのドローン企業に使ってもらった方が良い。そういうビジネスモデルということですね」
「短期的な売り上げも大切ですが、デファクトスタンダードを取れることの意味は大きい。会社の知名度はもちろん、社員のモチベーションも上がります」
「では、本当に発明品というか、ちょっと他の人が考えつかないような工夫を凝らしたソフトウェアを開発したら?」
「そのときは、著作権や特許を生かして守るかもしれませんが……わが社でそこまでのモノを作ることは、正直想定していません」
松井はそこまで言うと、またニコリと笑った。
「世界中のITエンジニアが自分たちが作ったモノを公開し、それを利用して作ったソフトウェアをまたみんなが使う。商売のネタは、ソフトウェアそのものではなく、それを中核にしたサービスになる。技術者たちはPCの前に居ながらにして、自分の技術を世界に問い、一方で社会全体が一丸となってソフトウェアを発展させる。言ってみれば、オープンソースソフトウェアエコノミーの社会ってところかしら」
美咲の言葉に、松井は静かにうなずいた。
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