父がMITなら私はスタンフォードだ 入学できなかったけどGo AbekawaのGo Global!〜Tyler Shukert編(前)(2/3 ページ)

» 2021年11月15日 05時00分 公開

めちゃくちゃ頑張った高校時代

阿部川 高校2年生のときに米国の高校に編入されます。行きたい大学は決めていたのですか。

タイラー氏 スタンフォード大学です。エンジニアリング全般に強いし、イメージも良かったので。スタンフォードに行くのだったら勉強をめちゃくちゃ頑張らなくちゃいけないとなって、かなり頑張ったんです。米国の高校の2年間、特に最初の1年は頑張りました。英語はもちろん、SAT(Scholastic Assessment Test、米国の大学入学時の合否判定に利用されるテスト)の勉強も頑張りました。

阿部川 高校のカリキュラムは2〜3年生が難しいですよね。IB(International Baccalaureate:国際バカロレアが提供する国際的な教育プログラム)もされたのですか。

タイラー氏 はい。IBだけじゃなくAP(Advanced Placement:College Boardが提供する大学の一般教養に相当する教育プログラム)もやっていました。APは2つのクラスがあり、簡単にいうと初歩的なことをやる「AB」クラス、ABより発展的な内容をやる「BC」といった感じです。私も修了試験のときまでは知りませんでしたけれど(笑)。うちの高校はABしか授業がなかったのですが、せっかくだからBCの試験を受けたいと思い、無理を言って申し込みました。恐らく学校史上初めてのBC受験だったと思います。これはささやかな自慢ですが、最高評価(5段階中の5)を取ったんですよ。

阿部川 それは素晴らしいですね。それだけ勉強を頑張ったということですね。

タイラー氏 そうですね。これは大学も順調に入学できそうだ、と大学の願書(アプリケーション)を出したのですが、残念ながら全滅でした。スタンフォードは無理でも他は大丈夫だろうと高をくくっていました。行く大学がなくなってしまい、悩んでいると父が「地元(ミネソタ)の大学も良いところだからそこはどうだ」と言ってくれたんです。

阿部川 ミネソタ大の専攻はメカニカルエンジニアとのことですが、これはお父さまの影響ですか?

タイラー氏 はい。父は憧れでしたので父のようになりたいと考えていました。6年前に他界しましたが、MIT(マサチューセッツ工科大学)の大学院を出ていて、学業もできてスポーツもできてめちゃくちゃ格好良かった。スタンフォードを志望した理由も「父がMITなら私はスタンフォードだ」と考えたからなんです。

阿部川 憧れであり、目標だったのですね。大学ではどんなことを勉強されたのですか。

タイラー氏 機械工学ですが、授業にはほとんど出ていませんでした。「行きたい大学に行けなかった」という思いがあって、やる気がなかったんです。自分で言う話じゃないですが、米国の大学であそこまで授業に行かない学生はほとんどいないと思います。もちろん成績もすごく悪かったです。

 大学1年生の後期に、機械工学のカリキュラムで唯一のプログラミングコース「C++」を取って、そこで初めてプログラミングに触れました。基本的な「if文」や「for文」の辺りは授業を通して学びましたが、その段階ではあまり楽しさを感じず、大変だった印象しかありませんでした。

編集中村 編集 中村

誰かに憧れ、その人のようになりたいと勉強を始めることはよくあることですが、だからといって普通の高校生が憧れだけでカリキュラムにない試験を受け、最高評価を取ったという話は聞いたことがありません。もちろん「それだけ父親を超えたかったから」といえますが、私は「思春期の真っただ中に父親と過ごしたボストンでの日々が、何を差し置いても再現したいほどかけがえのない素晴らしいものだったから」だと感じました

「もしかしたら自分でできるかも」と手応えを感じたインターン

阿部川 そういう状況でも何とか卒業した、という感じですか。

タイラー氏 実は、大学は卒業していないのです。大学3年生の夏休みに日本に戻ったときに日本のとあるベンチャー企業でインターンをしました。インターンの内容は、その会社が新しく立ち上げる車に関するオウンドメディアで車に関する記事を書くことでした。

 そのオウンドメディアは、外部のベンダーが作った「ブログを投稿できるサイト」でできていました。それを見ているうちに「これくらいのシステムなら、ちょっと勉強すれば自分でできるんじゃないか」と思いました。会社がそれなりの資金をかけて投資している事業だから将来性はあるだろうし、記事は既に自分で書いていましたから後はシステムさえできれば、この会社がやっている事業と同じことが自分でもできるじゃないか、と。

 勉強はあまりしていませんでしたがプログラミング自体には興味はあって、何度か挫折をしながらもAndroidアプリの開発にチャレンジしていました。ですから「難しいかもしれないけど無理ではない」と考えました。

阿部川 「起業できちゃうじゃん、これで」と思ったのですね。

画像 大学2年生のときのタイラーさん。イケメン!

タイラー氏 そうなんです。それで、インターンを終えて米国に戻ってから、Web制作の勉強を始めました。最初は知識がなくてhtmlのことも分からなかったので、「Jimdo」というブログを作成できるツールを使ってブログを立ち上げました。

 確か「Device info」という名前のメディアで、スマートフォンやPCに関する記事をただひたすら書きまくっていました。途中で名前も「VOITEN」と変えて、日々記事を更新していました。Googleアドセンスの広告を張ったら1日100円ぐらいの収益があったんです。食べていける額ではありませんが「素人がやって1日100円になるんだ」と感動したことを覚えています。

阿部川 夏休みにインターンをやって秋にはブログを立ち上げちゃったんですね。

タイラー氏 そうですね。ただ、課題もありました。Jimdoでブログを作ることはできても、デザインを自分好みにするのはCSS(Cascading Style Sheets)を勉強しなければなりません。フォントや色の変え方、ホーム画面のレイアウト変更などいろいろ手を付けました。JimdoでHTMLとCSS、JavaScriptの「基礎の基礎」を勉強した感じです。

阿部川 それは3〜4年生ぐらいのときの話ですか。

タイラー氏 3年の秋、冬から4年生になるころですね。いろいろできるようになったので楽しくて、ますます授業に行かなくなり、卒業まで後半年というところで休学しました。それからはひたすらJimdo関連の勉強をしまくるといった日々でした。

 ただ、そのうち「自分がやりたいけれどjimdoでは難しいこと」が目に付くようになってきました。そこでちょっと調べていくと「どうやらWordPressがいいらしい」「PHPで動いていて、もし凝ったことがしたいならPHPが分からなくちゃいけないらしい」と分かりました。そこでPHPを勉強することにしました。勉強していくと、WordPressにこだわらなくても自由度の高いものが作れそうだと分かって、フルスクラッチで何か作ってみようという方向にシフトしました。

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