阿部川 勉強以外ではどんなことに興味がありましたか。
アーロンさん 当時は世界中のことに関心がありましたし、どこにでも行ってみたいと思っていました。よく覚えているのは、小学5年生ぐらいのときにレポートを提出する宿題があって、そのテーマに日本を選んだことです。インターネットはありませんでしたから図書館に行って本をあさり、百科事典も読んでといった具合に、いろいろ調べました。レポートの表紙にはどこかで見つけてきた富士山の写真を貼りました(笑)。米国を離れて25年の間に、さまざまなところを訪れることができて、大変ラッキーだったと思っています。
阿部川 なぜ日本だったのでしょうか。米国から見れば日本は極東で、ネットの情報もなければ、訪れたこともなかったのに。
アーロンさん 当時私は忍者になりたかったのだと思います、多分(笑)。何にせよ日本に非常に魅力を感じていたのは、間違いありません。父が定期購読していた「ナショナル ジオグラフィック」には外国の地図や写真がたくさん載っていました。私はいつもそれらを頻繁に眺めていました。そこでさまざまな国の文化や景色などにとても魅了されました。生まれ育った米国とは全く違っていましたから。
新しい分野に出会うきっかけは人それぞれですが、ナショナル ジオグラフィックは初めて聞きました(笑)。違うことに興味がある、ということは今風に言えば多様性を認めているということで、アーロンさんは若くして聡明(そうめい)だったのだと思います。
阿部川 それは光栄です。コンピュータとの出会いはもう少し成長してからでしょうか。
アーロンさん そうですね、おそらく10歳から12歳の間くらいだったのではないでしょうか。叔父が大学で物理学を教える教授で、いとこと一緒に叔父の部屋でよく遊んでいました。私の最初のコンピュータは、その叔父からのお下がりの「コモドール」だったと思います。外部ストレージはカセットテープで、テレビにつないで使うようなモデルだったと思います。決していろいろなことができるわけではありませんでしたが。母は学校の先生だったので、学校で使っているコンピュータを持ち帰ってくることがあって、それを使ってプログラミングしたり簡単なゲームで遊んだりすることもありました。
阿部川 そこからコンピュータにはまっていったとか?
アーロンさん うーん、コンピュータとの出会いは楽しかったのですが、学校に通っている間は使える時間が限られていました。高校生くらいのときには「これ(コンピュータ)を使いこなしてエンジニアになろう」とは思わなかったですね。
阿部川 きっとそのころのアーロンさんにとってコンピュータはおもちゃ的なものだったのでしょうね。
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