顧客も社員も奪われて、わしゃもう死んでしまいたい「訴えてやる!」の前に読む IT訴訟 徹底解説(102)(3/3 ページ)

» 2022年09月05日 05時00分 公開
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従業員は何をやってもいいのか

 判決を見ると、「従業員は、転職時の引き抜きも契約の移転もかなり自由にできる」と思うかもしれない。だが本当に何をやっても問題にならないのかといえば、そうとも言い切れない。

 判決文の続きを見てみよう。

東京地方裁判所 令和2年3月6日判決より(つづき)

従業員が、他の従業員に対して、同業他社への転職のために引き抜き行為を行うことは、当該従業員の転職の自由に照らすと、直ちに違法であるということはできないものの、企業の正当な利益を考慮することなく、著しく背信的な方法で行われ、社会的相当性を逸脱した場合には、このような行為は違法となると解される。また、従業員が、使用者の取引先に対して、使用者との取引関係を終了させ、同業他社との取引に切り替えるよう働き掛けることは、このような行為が社会通念上自由競争の範囲を逸脱したと評価される場合には、違法となると解される。

 引き抜きも取引の移転も「社会通念」に照らして正しいと判断されるものでなければならない。しかし、社会通念というものについて法に事例が定められているわけではない(そもそも本判決も「原告企業X側の主張には証拠がない」として排除されたものが多く、別の証拠があれば結果は違ったかもしれない)。

 あくまで、社員の引き抜きや案件の奪取を行おうとする本人が自らの良心、良識に問うしかないものではある。ただ、実際には自分一人でこれを判断するのは難しいと思われるし、間違っている場合には退職者個人が多額の賠償を命じられる危険もある。

 自身の良心だけでなく、必ず周囲に相談し、できれば辞めようとする会社とも誠実に話し合った上でことを進める方が、双方にとって安全なのだろう。

細川義洋

細川義洋

ITプロセスコンサルタント。元・政府CIO補佐官、東京地方裁判所民事調停委員・IT専門委員、東京高等裁判所IT専門委員

NECソフト(現NECソリューションイノベータ)にて金融機関の勘定系システム開発など多くのITプロジェクトに携わる。その後、日本アイ・ビー・エムにて、システム開発・運用の品質向上を中心に、多くのITベンダーと発注者企業に対するプロセス改善とプロジェクトマネジメントのコンサルティング業務を担当。

独立後は、プロセス改善やIT紛争の防止に向けたコンサルティングを行う一方、ITトラブルが法的紛争となった事件の和解調停や裁判の補助を担当する。これまでかかわったプロジェクトは70以上。調停委員時代、トラブルを裁判に発展させず解決に導いた確率は9割を超える。システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」。

2016年より政府CIO補佐官に抜てきされ、政府系機関システムのアドバイザー業務に携わった

個人サイト:ITプロセス改善と紛争解決

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