私の作ったもので、故郷で働くみんなの疲れを減らしたいGo AbekawaのGo Global!〜Than Thai Thanh(1/3 ページ)

グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はユニフェイスのThan Thai Thanh(タン・タイ・タイン)さんにお話を伺う。勉強したことを生かし、製品作りに精を出していたタンさんが日本を目指したきっかけとは。

» 2022年09月20日 05時00分 公開

 国境を越えて活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回はユニフェイスのThan Thai Thanh(タン・タイ・タイン)さんにお話を伺った。学校に通うため幼くして親元を離れ、勉強にいそしんだタンさん。「両親の仕事を楽にできるものを作りたい」と知識を深め続ける同氏が思い描く夢とは。聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。

学校に行くために実家から離れた祖父母の家で過ごす

阿部川 “Go”久広(以降、阿部川) お生まれはベトナムのどちらですか。

Than Thai Thanh(タン・タイ・タイン、以降タンさん) ホーチミンの上の方、ビントゥアン省にある海沿いの小さくてきれいな村です。

阿部川 お名前はタンさん? タイさん? 何とお呼びすればいいでしょうか。

タンさん 「タン」で大丈夫です。ベトナムでも珍しい方の名前だと思います。

阿部川 ではタンさん。ご両親は農業をされているそうですが、やはり子どものころはたくさんお手伝いをされていたんでしょうね。

タンさん そうですね、両親だけでなく祖父母も農業をしているのでよく手伝っていました。野菜や果物、お米などを作っていましたね。特に自慢なのがドラゴンフルーツです。ビントゥアン省で1番おいしい果物だと思います。

画像 実家の農業を手伝うタンさん

 ただ、両親の手伝いをするのは週末だけでした。私が子どものころは近所に学校がなくて、学校に行きたいなら家族と離れて遠くに住まないといけなかったので、小学から高校まで祖父母と一緒に住んでいました。

阿部川 月曜日から金曜日の間は祖父母の家から学校に通い、週末は実家に帰って両親の仕事を手伝ったのですね。忙しいですね……。タンさんと同じくらいの年齢の人は、みなそのような感じだったのでしょうか。

タンさん そうですね、今は実家の近くにも学校ができましたけれど、当時は学校に行くためには両親と離れることは仕方がないことでした。そういった事情もあるので、進学を諦める人も結構いました。私は両親から「学校に行かないといい人になれないよ」と厳しく言われていましたし、何より勉強が好きだったので頑張って進学しました。


編集中村 編集 中村

 学校に行くのが当たり前ではない環境なのに、それでも進学されたということで、ご両親はもちろん、親戚一同からの期待が大きかったのだと思います。まだ道の途中だとは思いますが、来日して技術を学びながら仕事ができて本当に良かったと思います。


「なぜ水が高いところから低いところに流れるのか」を説明したかった

阿部川 頑張りましたね。得意な科目は何でしたか。

タンさん 物理と数学、それと絵を描くことが好きでした。

阿部川 エンジニアになれと言っているようなものですね。どうしてそれらが好きになったのでしょうか。

画像 阿部川 “Go”久広

タンさん 学校でいろいろな学ぶうちに好きになった感じですね。改めて考えると「自然にあるいろいろな規律を説明できる面白さ」に気付いたからかもしれません。なぜ水が高いところから低いところに流れるのか、子どものころは全く説明できなかったのですが、物理を勉強したらその原理が分かってきて面白いと感じました。

阿部川 世の中には、どうして水が上から下に落ちるのか説明できない人はいっぱいいますよ。好きになって興味を持って勉強してさらに好きになってと深めていったのですね。学校に行けて良かったですね。そのころは将来エンジニアになろうと考えていたのでしょうか。


編集中村 編集 中村

 水が落ちる理由なんて、私は学生のときに考えたこともありません。ただ、「説明するのが楽しい」ということはよく分かります。これは勝手な想像ですが、きっとご家族がタンさんの学んで来たことを興味深く聞いてくださったのでしょう。自分の話を聞いてくれて、それがその人のためになる。そんな環境があれば勉強が楽しくてたまらなくなると思います。


タンさん どうだったかな……。正確には覚えていませんが、PCを使うようになってから少しずつエンジニアに興味を持ち始めたと思います。ただITエンジニアというよりは、両親の仕事を楽にできる製品を作る製品エンジニアの方に興味がありました。

阿部川 そのころ、自分のPCを持つのは当たり前だったのでしょうか。

タンさん いえいえ。持っているのはお金持ちの家庭だけでした。私が初めてPCを触ったのは15歳か16歳のころ、学校の授業でした。面白かったのでいろいろいじっていたら勉強の方もはかどって成績があがったので、そのお祝いとして親から買ってもらったのです。

阿部川 ご両親も頑張りましたね。その後、大学に進学されます。ホーチミン市技術師範大の電子工学科ですね。試験は難しかったですか。

タンさん 難しかったです。ベトナムでも10本の指に入るような大学なので。だから合格したときはとてもうれしかったですね。子どものころから「テレビはどうやって映っているのか」「ラジオはどんな仕組みで声を届けているのか」など電子製品の中身の仕組みを知りたくて、そういったことが学べると思って電子工学を専攻しました。

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