阿部川 マレーシアでは、女性がエンジニアになるのは一般的ですか。
リリィさん マレーシアでは一般的だと思います。私が大学生のころは、学生の半数は女性でしたし、エンジニアになろうとすることは普通でした。ですから東京工業大学の研究室で、女性が私だけだったときはびっくりしました。
阿部川 なぜ多くの女性がエンジニア志望なのですか。
リリィさん 他の国のことは分かりませんが、マレーシアでは、エンジニアは高給なので(笑)。
阿部川 それはとても大切なことですよ。
ちょっと話を戻します。ボルネオ島はマレーシア本島や他の国々から孤立した場所でしたが、リリィさんは外の世界に飛び出せた。何がそれを可能にしたのでしょうか。
リリィさん 私に教育と知識がなければ、外の世界に出る機会は訪れなかったと思います。大学に進学しなかった友人たちは、高校を卒業してすぐに結婚し、生まれた町で暮らし、今もそこで生活しています。彼らは生まれ故郷以外のことを知りません。
私自身、兄弟が多かったし、家が裕福ではなかったので、大学に進学することは考えてはいませんでした。成績ではなく、経済的な理由で進学できなかったかもしれなかった。しかし幸運にも政府の学費ローン制度があったので大学に行けました。もし大学に進学しなかったら、日本政府の奨学金制度を知る機会もなかったし、日本に来る機会もなかったでしょう。私がここまで来られたのは教育があったからです。
阿部川 教育と知識の必要性は、子どものころから気付いていたのですか。
リリィさん はい。もちろん今ほど明確に意識していたわけではありませんが、島を出るためには教育が必要で、そのためには大学に行かなければとは考えていました。ただその後のことまでは意識してはいませんでした。今では、教育が私を遠くまで連れてきてくれたと確信しています。
阿部川 ご家族で大学進学を勧めてくれた方はいらっしゃいましたか。
リリィさん 特に母が応援してくれていました。両親とも高等教育を受けていなかったので家は裕福ではありませんでしたが、子どもの私たちには常に高度な教育を受けさせて、大学に入ってできる限り高い能力を身に付けてほしいと願っていました。
阿部川 素晴らしいお母さまですね。他の兄弟の方々はどうされているのですか。
リリィさん みんなさまざまな分野で活躍しています。公務員や医者になった兄弟がいますし、学校の先生をしている兄弟もいます。私と同じエンジニアもいます。兄弟全員がとても元気で、きっとそれは母のおかげです。
阿部川 お母さまに感動しました。7人のお子さんを育てるだけでも大変でしたでしょうに、その上、皆さん知識が大切な職業に就いておられる。それはそう簡単にできることではありません。
リリィさん はい、私もいつも感謝しています。
以前、インタビューさせていただいたミャンマーのエンジニアのお話を思い出しました。日本ではあまり意識しませんが、教育の機会があるかどうかで人生が大きく変わるといったことは海外では珍しくありません。リリィさんが勤勉なのはもちろん、それを支えてくれたお母さんがすばらしいです。
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