グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はTokyoDevのPaul McMahon(ポール・マクマホン)さんにお話を伺う。勉強は決して得意な方ではなかったが、性に合うもの、興味があるものを追いかけることでソフトウェアデベロッパーとしてのスキルをポールさんは身に付けていく。
国境を越えて活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回はTokyoDevで国際的なソフトウェアデベロッパー(開発者)と日本企業をつないでいる、Paul McMahon(ポール・マクマホン)さんにお話を伺った。聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。
ソフトウェアデベロッパーとしての道を歩んでいたポールさんが来日して感じた「もったいないこと」とは――。
阿部川 “Go”久広(以降、阿部川) ご出身はどちらですか。
Paul McMahon(ポール・マクマホン、以下ポールさん) カナダのバンクーバーです。大学在学時にバンクーバーの近くのヴィクトリアに住んだことがありますが、それ以外はずっとバンクーバーでした。大学卒業後にワーキングビザで来日して、それからずっと日本です。大人になってからの時間は、日本で過ごした時間の方が多いといえますね。
阿部川 そうだったのですね。ではその話は後ほど詳しく聞くとして、まずは子どものころのお話を伺います。どんなことをして遊んでいたか覚えていますか。
ポールさん どちらかといえば内向的な子どもだったので、家の中でレゴで遊ぶことが好きでした。パッケージになったものを買ってもらって作り、壊して、その後、自分ならではの建物などを工夫して作っていた気がします。
阿部川 集中して何かを進めることが好きだったのですね。最初にコンピュータに出会ったのはいつだったか覚えていますか。
ポールさん 7歳のときに、NES(Nintendo Entertainment Systems)に出会ったのが最初だと思います。それ以前は、父が家でコンピュータを使ってはいましたが、CUI(Character-based User Interface)のものばかりで、グラフィックスの機能はなかったんですよね。それでできるゲームといったら、テキストベースのアドベンチャーゲームくらいなので、それほどのめり込まなかったです。
ただその後、友達がゲームに適したスペックのコンピュータを手に入れて、彼のところに入り浸ってゲームをするようになりましたね(笑)。12歳くらいの時だったと思います。「Windows 95」が出て、インターネットやWebなどという言葉が溢(あふ)れ出したときでした。
阿部川 やはりゲームがきっかけでコンピュータに興味を持ちますよね。勉強の方はどうでしたか。中学、高校のときに得意だった科目を教えてください。
ポールさん 得意というほどではありませんが「まあまあ」だったのは数学です。覚えることは苦手だったのですが、数学的な考え方などは自然と理解できました。性に合っているなと感じたのはリベラルアーツ寄りの教科、例えば英語や社会などの科目です。クラスでディスカッションをしたり、自分の意見を述べたりするのが好きでした。
阿部川 私は大学で教員もしていますので良い教育とは何か、良い学生とは何か、といった問いには多くの考えがあることはよく分かります。「点数が取れるから良い生徒」「記憶することが苦手だから悪い生徒」とは言い切れないということです。ポールさんがディスカッションが得意だったり意見をはっきり述べたりできることは、ご自身の強みになっていると思いますよ。
「好きこそものの上手なれ」とは言いますが、当時から好きだったコミュニケーションがしっかり現在のお仕事に生きていますね。それにしても、好きなことや得意だったことは時間がたっても何となく覚えているものですが、苦手なところや駄目な(と自分で思っている)ところも覚えているのはすごいですね。嫌な記憶は忘れてしまうので感心します。
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