第294回 Qualcommはライセンス契約違反でArmが使えなくなる? 半導体IP紛争の歴史から結末を予想する頭脳放談

ArmがQualcommをライセンス契約違反で提訴したのが2022年のこと。話し合いが続いていたようだが、合意できなかったようで、ついに期限を切った争いとなったようだ。実は、このような争いは昔からある。その争いの歴史から、この紛争の落としどころを予想してみた。

» 2024年11月22日 05時00分 公開
Qualcommはライセンス契約違反でArmが使えなくなる? Qualcommはライセンス契約違反でArmが使えなくなる?
2022年から続くQualcommとArmのライセンスに関する紛争が佳境を迎えつつあるようだ。ご存じの通り、QualcommはArmからライセンスを受けて、主にスマートフォン向けのプロセッサを開発、販売している。ライセンス違反でArmが使えなくなると、その影響は計り知れない。こうしたライセンスやIP(知的所有権)に関する争いは昔から絶えない。その歴史を振り返り、今回のQualcommとArmの落としどころを予想してみた。画面は、2022年8月31日付けのArmのプレスリリース「Arm、ライセンス契約違反および商標権侵害に関してQualcomm社とNuvia社を提訴」。

 もめているとは聞いていたが、ついに期限を切っての争いとなったようだ(Bloombergの報道「Arm to Scrap Qualcomm Chip Design License in Feud Escalation」)。2022年から続くQualcommとArmのライセンスに関する紛争である(Armのプレスリリース「Arm、ライセンス契約違反および商標権侵害に関してQualcomm社とNuvia社を提訴」)。

 半導体の「IP(Intellectual Property Right:知的所有権)」に関する紛争は数多い。しかし、その中でも泥沼の紛争になりやすいのが、「同じアーキテクチャを担ぐグループ内で、一時は仲良く、Win-Winだった」という関係が拗れるときである。古くはAMDとIntelのx86を巡る争い、日立半導体(今ではルネサスエレクトロニクス)とMotorolaの半導体部門(Freescale Semiconductorとして独立後、Philipsの半導体部門が独立したNXP Semiconductorsと合併)の68系での争いなどが思い起こされる。

 Armコアを搭載したスマートフォン(スマホ)向けのSoC(System-on-a-Chip)などで、ビッグビジネスを作り上げたQualcommとArmの争いは、この手の紛争の歴史に新たな1ページを加える大型案件かもしれない。

 紛争の原因となっている半導体のIPとは何だろうか。その実体は、多岐にわたり、物理的なチップのマスクパターンや回路図、合成用のソースコード、設計仕様(文書)、そして特許やその他の工業所有権といったものの、一部であったり全部であったりする。

 そして、その売買の方法もいろいろだ。IPそのものを売り渡す(一時金と引き換えに全ての権利を永久に譲渡する)から、一部の権利のみを特定の用途に限って期間限定で使用許諾するというものまである。こういう権利の売買が成立するという背景には数々の紛争があり、判例やら法令やら、規制の制定が積み重なってきたことがある。約60年前の半導体産業の黎明期から紛争とその解決は続いてきている。今回は、ざっとその歴史を振り返った上で、QualcommとArmの紛争の行方を考えてみたい。

昔の権利関係は緩かった?

 その昔の半導体業界では「クロスライセンス」という手法が幅を利かせていた。黎明期から1980年代くらいまでの時期の話である。この時代、半導体会社と言えば、設計、製造、販売の全てを一貫して手掛けている垂直統合型メーカーが主流だった。クロスライセンスという手法は、双方がメーカーであるからこそ成り立っていたといえる。まずこれを振り返る。

 当時は半導体の権利関係に関する法令なども未整備だった。半導体製造のキモであるマスクパターン(その当時の線幅でも目に見えない図形でしかない)の保護などは決まっていなかったのだ。マスク保護に関する法律が制定されるのは米国、日本ともに1980年代中盤を待たねばならない。

 また、半導体産業自体のパワーの問題もある。まだ売り上げ規模が小さかった半導体会社に対して、相対的に規模が大きかった完成品会社は買い手のパワーを発揮できていた。

 完成品メーカーは製品を購入するに当たって「セカンドソース」というものを要求するのが通例だったのだ。完成品会社の屋台骨を支える製品の一部品でしかない半導体が1社供給だと、その小さな会社に死命を制せられてしまう。部品の値段もこなれない。当然ソース(供給元)は複数が良いのだ。

 ましてや、1社供給の部品屋が倒産でもしたら目も当てられない。半導体メーカーにしたら、セカンドソースがあれば利益率の高い商売は望めないが、なければないで買ってもらえない。かくして、当時、多くの半導体会社が相互に互換品を製造販売するような世界が出来上がっていたのだ。

 互換品といっても許諾ありのケースから、勝手に開発したケースまであった。マスクパターンをコピーしても法律に抵触するという根拠がなかった頃の話だ。実際、1970年代ごろまでの日本企業は、盛んに米国半導体のマスクをまねていたらしい。詳細は知らないが……。

 ただ当時も特許権は厳然として存在した。ある特許を持つ半導体会社が、それを使っているはずの半導体会社を訴えて出荷差し止めを求めることは可能だった。

 実際、そのような事例もある。しかし大手半導体会社はお互い持ちつ持たれつの関係が錯綜していた。それを象徴する関係がクロスライセンスだったのだ。半導体会社が相互の持つ権利をお互いに認め合いましょう、そして紛争を抑止しましょう、という習慣である。相手に使用を認める代わり、どちらが何をどれだけ使ったか、時々持ち寄って「精算」しましょう、という関係であるのだ。通常は、大手半導体同士であれば、かなりな部分が相殺されてゼロになってしまうものだったようだ。

AMDとIntelのx86を巡る紛争がIP紛争を変えた?

 この辺が崩れてくる端緒が、AMDとIntelのx86を巡る紛争だろう。1980年代のことだ。Intel 8088(8086)はIBMに採用され、今に至るPCの源流となった。その時、IBMは8088、8086のセカンドソースをIntelに要求した。この時点での関係性はIBMは巨人、Intelは小人だ。

 そこで、IntelはAMD(Intel本社とAMD本社は地理的にすぐ近い。そして首脳陣同士も仲が良かったと聞く)をセカンドソースとして選び、設計情報(IP、このときは物理的なマスクデータそのもの)を渡してAMD製の8086の製造が始まった。

 この関係はPC/AT向けの80286まで続いたが、すぐに崩れることになった。Intelは、AMDにライセンスした80286が同じマスクデータから作られているはずなのに、AMD製はIntel製より動作クロック周波数が速く、AMD製の80286が売れていることに腹を立てたからだ。

 その上、CompaqやDellといったPC/AT互換機メーカーが台頭したため、PC業界におけるIBMの存在感は低下していたこともあって、IBMに気遣う必要はないとIntelは判断したようだ。

 そして、AMDへのマスク供給を停止してしまったのだ。AMDにしたらx86が経営の柱の一本になっていたから、x86を販売できなくなるのは死活問題である。結果、泥沼の紛争となった。

 その詳しいいきさつは省くが、結局AMDはx86の販売継続に成功した。一時は法的に打ち合う関係であったが、その後は製品の性能で競い合う関係となり、x86を64bit化するに当たっては、AMDが先に64bit化を果たし、IntelがAMDの規格に乗るというような関係に深化して、今に至っている。

 ともあれ、この辺からセカンドソースによる平和共存から、各半導体メーカーのガチな知財対決が増えてくる。それだけ半導体メーカー側のパワーが大きくなったということだ。蛇足だが、部品屋として完成品会社から一段低く見られていた業界の地位を引き上げたのはIntelの功績である。

日本でもNECとIntelでもめたが……

 また、1980年代にはAMDとIntelの紛争に先立ち、NEC(日本電気)もIntelのx86の知的財産権に挑んでいる。8086互換のNEC Vシリーズである(1985年販売の「PC-9801U」に搭載されたV30など)。このとき紛争になった知的財産権は著作権だ。

 この当時のIntelはあまり特許に力を入れていなかったので、有効な特許に乏しかった。そこで8086に搭載されているマイクロコード(ソフトウェアの一種である)を争いの種にした。マイクロコードは著作権で守られるというIntelの主張は認められたが、8086のマイクロコードの著作権は認められなかった。

 当時の米国は、万国著作権条約ではなかったので著作権の主張に「まるC(コピーライト)」マークが必要だった。ところがAMDがIntelからのライセンスに基づき製造していた8086の一部に「まるC」マークが印刷されていない製品があり、そのために認められなかったという因縁だ。

水平分業への流れがIPベンダーを生んだ

 そんな垂直統合の半導体会社間のIP相互ライセンスに大きく変革を迫ったのが、半導体会社の水平分業への流れだ。1990年代くらいからだろう。

 半導体製造工場の建設費が巨額となったことから、製造部門を切り離し、設計と販売だけの半導体会社が増えていく。これと同時期に設計部門も分業化が進んでいくのだ。

 その昔は何でもかんでも社内で独自設計していたが、SoCといわれるような巨大な設計ともなると、1社で何でも設計すると膨大な設計工数をかけるか膨大な設計時間をかけなければ成り立たなくなったのだ。そしてクロスライセンスのような古(いにしえ)の制度が失われる時代にもなっていた。

 そこに登場するのがIPベンダー群である。複数の半導体会社が共通して必要としている設計部品を開発し、それらを半導体会社に販売する。これにより開発コストを広く薄く負担してもらうとともに、そこから収益を上げるビジネスモデルだ。ここにライセンサー(IPの販売元)とライセンシー(IPの活用先)は非対称となり、IPビジネスが成立してくる。

 このようなIP業界の勃興の旗手となったのが、Arm(当時は「ARM」と大文字)だ。1990年代後半、「携帯電話を作るならARMコアが必須」という欧州の携帯電話業界のトレンドがARMの世界覇権を決定付けた。

 携帯電話メーカーがバラバラに独自CPUを作っていたら、あの当時の携帯電話の爆発的な普及はなかったと思う。CPUはARMに任せ、携帯電話メーカーはそれ以外のところで差別化する。携帯電話のあの急激な発展の中でやるべきことは膨大にあったのだ。

 ARMはCPUのIPを半導体会社に販売するが、自らは製造しないし、製品販売もしない。なぜならIP会社が自ら製品を製造販売などしたら、半導体会社のコンペティター(競合会社)ということになるからだ。そんなIPが半導体会社相手に売れるわけがない。

 また、製造販売には巨大なリソースとリスクの負担も必要になる。ハッキリいって英国発祥の小企業であったARMが世界をカバーできるような製造販売ができたわけがないのだ。ARMは設計リソースに特化して、各半導体会社にIPを売り込むことで大をなした。いまやArmと何らかの契約のない半導体会社はないと思えるくらいのはびこりようである。リスクは半導体会社へ、利益はArmへという感じだ。少し言い過ぎか。

IPビジネスはどうやってもうけている?

 通常、IPをお金にする経路は3つある。あるIPについてライセンスを許諾するときのイニシャルフィー、IPを搭載した製品を販売するときに個数でかかってくるロイヤルティー、そしてIPのサポートとメンテナンスに関わるフィーである。ライセンスといってもピンキリで、供給を受けたIPをそのままコピーして規定の製品に搭載できるだけで何の改変も許されないというレベルから、ある制約(所定の命令セットを守るなど)の中で自由に実装開発でき、自由に製品展開できるレベルまでさまざまだ。一般に権利範囲が広ければ広いほど各種フィーは高くなると思ってよい。

 ただ、IPビジネスは典型的なB2Bビジネスであり、個別の契約は千差万別にして通常未公開である。お互いに相手の足元を見て契約に至るわけだ。契約書を読まなければ、何がIPの実体であって、どのような行為が許され、どのような行為が許されないのかは分からないのだ。

そもそもQualcommとArmは何でもめているの?

 推測になるが、長年スマホ向けのArmコアのSoCを大量に製造販売してきたQualcommの場合、かなりレベルの高い(権利範囲の広い)ライセンスを保持していると想像する。そしてその見返りとして相当な金額の各種フィーを長年Armへ支払ってきたはずだ。

 しかし、紛争の発端になったのは、Qualcommが買収したNuviaが開発していたArmコアの扱い。このArmコアは、ハイエンドのスマホ向けやArm版Copilot+ PCに搭載されていて、Qualcommの主力となりつつあるものだ。

 買収以前、QualcommもNuviaもArmとの契約があった。Qualcomm側にしたら、買収した会社が持っていたIPや契約など当然買収した自分らに引き継がれるべきという主張のようだ。これはArmの過去事例にも見られる。

 例えば、斜陽のDEC(Compaqが買収後、Hewlett-PackardがCompaqを買収)がIntelに半導体部門を売却したとき、DECが設計、製造、販売していた当時最速のARMだったStrongARMもIntelのものになっている。まぁ、Intelはそれを活用できなかったが。QualcommにしたらNuviaのArmコアが欲しくて大枚はたいて買収したのだ、「何で使えないの?」ということだろう。

 一方、Armにしたら、Nuviaはスタートアップの小さい企業、しかもメンツからして有望であったので、Armが弱かった分野の市場開拓の期待も込めて特例的にレベルの高いライセンスをお安く出してしまった、ということかもしれない。

 それを押しも押されもせぬ大企業であるQualcommがそのまま引き継いで使えたのでは、Armの利益を大きく損なう、ということなのだろう。ライセンス契約は相手の足元次第で金額は違うものだ。

 そこで、Armは2年ほど前に一方的にNuviaの権利を停止し、Qualcommに改定を持ち掛けたのだと思う。しかし、らちが明かないとみて、Armは期限を切った。結局、契約書を読まないとどちらの主張が通りそうなのか想像もつかないし、実際は米国デラウェア州(ちなみにIP関係の訴訟ではおなじみの地名だ。知財関係の訴訟がやりやすい土地と聞く)の連邦地方裁判所でどのような判決が出るのか次第だ。

 ただし、出荷差し止めのような判断が出てくると影響は甚大である。そこで思い出されるのは日立製作所とMotorolaの裁判で、日立製作所のマイコン特許抵触でMotorolaの主力CPUが差し止めになった一件だ。

 日立製作所のマイコン特許は「ごく小さい」もので回避は容易だったが、既に量産出荷されている主力CPUが出荷停止になるとMotorola側の傷は深い。結局、強気に日立製作所を責めていたMotorolaが慌てて和解に走ったという記憶がある。今回のQualcommのビジネス規模は、そんな昔話の規模など何桁も上回っているだろう。横で見ていても、どこかで手打ちにしないと、と思うのだが。そんなことは当事者は考え尽くしているだろう。

ArmがダメならRISC-Vがある?

 長くなったが最後にRISC-Vの話も書いておこう。上で見たようにArmのライセンス料というのはQualcommであっても腹が立つ存在らしい。

 一方、RISC-Vではライセンス料がかからないということになっている。RISC-V Internationalという団体は、Armのライセンス料に比べたら微々たる金額の会費を払って集った加盟各社が、話し合って仕様書を作っているだけの団体だからだ。

 仕様書に著作権はあるが、Creative Commonsライセンスのはずである。RISC-Vの仕様書に従ったCPUは、誰でも実装設計できる。ただし、実装した回路や製品が第三者の特許とかに抵触していないかどうかなどは、製品を製造販売する側の責任である。

 また、工数のかかるCPUの設計など自前でやりたくない、というメーカーもあるだろう。フリーのRISC-V実装もGitHub辺りに存在するし、RISC-VコアのIPを売っているIPベンダーも複数存在する。性能もピンキリだ。

 当然、IPベンダーはその実装設計についてのライセンス料を要求することになる。ただし、Armのような1社に集中する構造にはなっていない。ソースは複数あるからだ。買うとなってもお求めやすい価格であるはず。

 QualcommもRISC-Vの採用をちらつかせ、Armとの交渉を少しでも有利に進めたいと思っているのではないかと勘繰ってしまうが、どうだろう?

筆者紹介

Massa POP Izumida

日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部などを経て、現在は某半導体メーカーでヘテロジニアス マルチコアプロセッサを中心とした開発を行っている。


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