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ダメ出しもプレッシャーも、全てが私の力になる転機をチャンスに変えた瞬間(23)〜visasQ 端羽英子(2/2 ページ)

MBA留学、転職、起業――常に自分を鼓舞し、人生を切り開いてきた端羽英子さんの成功哲学とは。

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たたきのめされる中から生まれた事業アイデア

松尾 帰国後はさまざまな選択肢があったと思いますが、投資ファンドに就職したのはなぜですか。

端羽 まず「経営に近い仕事をしたい」という気持ちがありました。かつ、金融の仕事もブランドマネジメントの仕事もとても面白かったので、それらを総合的に実践できる環境としてプライベートエクイティという仕事を選びました。

 ユニゾン・キャピタルでは投資案件のソーシング、投資スキームの検討、ファイナンスのアレンジ、そして投資した企業に入り込み「一緒に会社を変えていきましょう」と業務改革をプロデュースするような仕事もしました。とてもエキサイティングで、非常に面白かったですね。

松尾 でも、端羽さんは起業の決断をされたのですね。

端羽 私はユニゾンの中では若手だったので、次のステージへ成長するには今の延長線上では難しいかもしれないと思っていました。「与えられた仕事をしっかりこなす人」から「リーダーシップを発揮して案件を引っ張る人」になるには、社内での立場を考えると少し遠慮する部分もありましたし、自分には足りない要素もあるなと感じ始めた時期がありました。

 また、同じころ子どもから「中学受験をしたい」と相談を受けたんです。さすがに投資ファンド勤務をしながら受験の準備を手伝うのは難しい。そのとき、これはタイミングだなと感じました。

 そこで「娘の受験サポートもありますが、いちばんプレッシャーをかけられる状況に身を置いて、自分を成長させたい」といってユニゾンに退職を切り出しました。「そんなにプレッシャーを高くして、本当に頑張れるのか?」と周囲から言っていただいたとき、「だって、自分のポテンシャルは自分が一番信じてあげないといけませんよね」とたんかを切ったのを、今でもよく覚えています(笑)。

松尾 不安やリスクは感じなかったのですか。

端羽 自分は事業がうまくいくと思っているから起業するわけですし、万が一うまくいかなくても、会社勤めでは絶対にできない起業という経験をすることで、数年後の自分の価値は必ず高まります。そう考えるとリスクなんてどこにもありません。不安は正直全くありませんでした。ただ、会社に「辞めます」と言った時点では、ビジネスプランはなかったのですが。

松尾 ……なかったんですか?

端羽 そうなんです(笑)。ただ「個人の知識や経験が、世の中でもっと生かされるべきではないか」というテーマはずっと持っていて、この線でビジネスプランを100個くらい作りました。

 私の周りには相談する人がおらず、知り合いのつてをたどってある著名な経営者を紹介していただきました。その方に自分のビジネスプランをぶつけてみたところ、「成功確率ゼロだよ、これ!」とこてんぱんにたたきのめされました。そのとき私はたたきのめされたのにも関わらず、「これです、これ!」とうれしくなっちゃいました。

松尾 厳しい指摘を受けてうれしくなったのですか?

端羽 その方は私の考えたプランに近い分野で実際にビジネスをされていたため、非常にリアリティのあるアドバイスをいただけたんです。「これです、私が欲しかったのは!」と思いました。

 自分でビジネスをしているわけではないコンサルタントのアドバイスは、「本当かな?」と思う部分が正直ありますが、実践している方のアドバイスはスッと腹落ちしたんですね。そして「コンサルタントではなく、それぞれの分野を実際に経験している人からリアリティのあるアドバイスを受けられるサービスはどうでしょう?」とその方に相談したところ、「米国には料金の高いサービスだけど、あるよ」と教えてもらいました。

 調べてみると米国のサービスは、すごい一部の専門家と、高いフィーを払える一部の会社をつなぐサービスでした。それを日本向けにアレンジし、一部の著名な専門家だけでなく、その分野を実践している人なら誰でもアドバイスでき、一方で大企業だけでなく中小企業も手軽に利用できるサービスをしたいと考え、visasQ(ビザスク)を作りました。

他人を事業に巻き込む覚悟があるか?

松尾 ビジネスプランが定まってからは、どう動いていきましたか。

端羽 2012年の7月から動き始め、エンジニア2人が他の仕事をやりながら週末に手伝うような形で、最初はゆるゆるとシステムを作っていきました。12月に出したベータ版は、今見るとどうしようもない物でしたが、人に利用してもらううちにだんだん面白くなり、登録者も増えていきました。でも、本当に気合いが入ったのは翌年の5月からですね。

松尾 何かきっかけがあったのですか?

端羽 そのころ、資金を調達しようと思ってベンチャーキャピタルの方に話をしたのです。そうしたら、「良さそうなアイデアだし、コンセプトも見ている市場も悪くない。でも投資は難しい」と言われたのです。

 「なぜですか?」と問うと、「チームに気合いが足りないから」と。その時点ではエンジニアがまだ他の仕事をやっており、「彼に決意をさせられないあなたのリーダーシップに問題がある」「他のチームよりこのチームが絶対勝つ、という気がしない」とズバリ指摘されて、「なるほど」と。

 悔しいと思うと同時に、スイッチが入った瞬間でもありました。そこからですね、経済産業省の委託案件が取れたり、エンジニアが当社でフルに働くことを決意してくれたりと、いろいろなことが動き出しました。

松尾 指摘される前は、フルで働くように誘わなかったのですか?

端羽 誘っているつもりでしたが、おそらく「背水の陣で頑張っているんだから、あなたも飛び込んで来て!」とは言えていなかったと思うんです。それでは今の仕事を辞めて、この事業に賭けてみようとは決心がつかないですよね。ベンチャーキャピタルの方は、たぶんその覚悟の弱さを見破られたのでしょう。

松尾 人を雇う決断も、1つのターニングポイントだったのですね。

端羽 自分一人なら、何かしらで食べていけます。でも実際にビジネスを始め、人をチームに引き入れて初めて「他人の人生を巻き込むリスクがあった」ことに気付きました。「雇う、雇われるの関係ではない」と言ってはいますが、巻き込んでいるのは確かです。襟を正されるような思いがしますし、気合いも入ります。

松尾 今後はどう発展させていきたいですか?

端羽 現状は、まだやりたいことの1%もできていない感じです。visasQが目指しているのは日本で働く人みんなが登録して、自分の知識を生かしたい、その分野のプロのアドバイスが欲しい、あるいは商談で会う相手について「どんな人だろう」と調べたいときにアクセスするデータベースになることです。

 東京の企業に勤める人の知識は地方の企業に役立ちますし、日本企業に勤める人の知識は世界の企業に役立ちます。その逆もまたしかりで、例えば日本企業が海外進出するときに現地の人の知識を生かせるような、そんな仕事に関する知識と経験のデータベースにしていきたいと考えています。

松尾 そう考えたのはいつごろからですか?

端羽 「気合いが足りない」と指摘されたときからです。ビジョンや、世界をどう変えたいのかについて漠然と考えてはいたのですが、「それを言葉に出さない限り、あなたには誰もついてこない」と言われて、確かにそうだと思いました。

松尾 端羽さんは知らず知らずのうちに、いろんな人からきっかけを得ていますね。

端羽 本当に、皆さんあっての私だと思います。私は常に「自分は成功できるはず」と、自分のポテンシャルを強く信じて決断、行動するようにしています。その結果、こんな自分を応援してくれたり、指摘していただける方々にたくさん出会えている気がしています。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

構成:宮内健 撮影:上飯坂真

「転機をチャンスに変えた瞬間」バックナンバー

聞き手 松尾匡起

松尾匡起

クライス&カンパニー シニアコンサルタント

ITベンダーにて人事(採用)を担当。チームマネジメント、人材育成などの経験を経て、転職支援エージェントに転進。コンサルタント、企画系の職種を中心に採用支援サポートを行い、2006年にクライス&カンパニー入社。
1975年生まれ。GCDF-Japanキャリアカウンセラー。
インタビューシリーズ「Turning Point」 バックナンバー


※この連載はWebサイト「TURNING POINT 転機をチャンスに変えた瞬間 ビジネスの現場から」を、サイト運営会社の許可の下、一部修正して転載するものです。データなどは取材時のものです。



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