@IT主催オンラインセミナー「クラウドSIとどう付き合うか 〜内製化、よくある失敗と成功の現実解〜」において、星野リゾート 情報システムグループ グループディレクター久本英司氏が「変化前提の内製化能力の備えを加速させるパートナー戦略」と題して講演した。
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デジタルトランスフォーメーション(DX)は、デジタル技術の活用を前提に、企業が既存のビジネスプロセスやビジネスモデルを変革し、新しい価値を創出する取り組みだ。経済産業省が2018年に発表した「DXレポート」において、日本が最悪のシナリオを回避できる最終期限として示された「2025年の崖」まで、あと2年となっており、今、改めて企業のDXに向けた取り組みが求められている。
DXの一環として、ビジネス価値の源泉となる「ITシステム」の在り方そのものを、問い直す取り組みがある。これまで、システム構築、アプリケーション開発、運用管理といったITに関わるほとんどの業務を委託してきたパートナーとの関係性を見直し、自社内にITスキルを持った人材を育成する「内製化」に向けた取り組みは、その一部といえる。
@ITでは、2023年6月27日にオンラインセミナー「クラウドSIとどう付き合うか 〜内製化、よくある失敗と成功の現実解〜」を開催した。このセミナーでは、先行企業の事例を通じ、「内製化」の本当の意味や、ユーザーとパートナーがそれぞれに「やるべきこと」を知ることで、パートナーの力を引き出しつつ、自社のITスキルを高め、可能性を広げるための道しるべを示すセッションが展開された。
基調講演は、星野リゾートで情報システムグループのグループディレクターを務める久本英司氏が「変化前提の内製化能力の備えを加速させるパートナー戦略」と題して行った。
星野リゾートが「IT能力」の向上を目的に、従来のパートナー主体の開発/運用体制から、内製化能力の獲得に大きく舵(かじ)を切ったのは、2015年のことだった。その取り組みは、現在、星野リゾート全体でDXを推進するための基盤となっており、さらには2020年初頭からのコロナ禍という非常事態においても、企業としての生き残りと、競争力の確保に大きく貢献した。
コロナ禍による観光業界への打撃は極めて大きく、星野リゾートも直接的にその影響を受けた。2020年4月の売り上げは、前年比で9割減となり、同社は生き残りをかけて、迅速かつ大規模な事業方針の転換を迫られた。
「過去の世界的な疫病の流行事例を見ても、その影響は短期で収束しないことが予想された。星野リゾートでは、『現金をつかんで離さない』『需要の復活に備えて雇用を維持する』『ブランド戦略と顧客満足度の優先度を下げる』『マイクロツーリズムのような新たな市場を創出する』といった施策を主軸とする『18カ月間の生き残り戦略』を定め、注力した」(久本氏)
この「生き残り戦略」の実現に当たって久本氏は「情報システムによってできること、やるべきことには全て対応できた」と自負する。コロナ禍で発生した新しいニーズへの即応、「現金をつかむ」ための新サービスに関する情報システム部門からの提案、コロナ禍によって激増した、継続困難なホテルの運営依頼へのシステム面での支援など、その領域は多岐にわたる。
久本氏は、情報システムによる対応の具体的な例を幾つか挙げた。例えば、旅館やホテルなどで、客室から大浴場の混雑状況を把握できる可視化システムについては、IoT機器の開発も含めて、発案から6週間でデリバリーした。また、政府による経済復興策「Go To トラベル キャンペーン」についても、制度の確定前から仕様を予想して開発をスタートし、正式発表から1カ月で自社の予約システムに組み込むことに成功した。加えて、ふるさと納税制度への「宿泊ギフト券」の組み込みを2カ月、結婚式場などでの需要が高まった「オンライン参列」のシステムについては3カ月と、それぞれ極めて短期間のうちに、システム的に対応できたという。
久本氏は、こうしたことが可能だった理由として「変化を前提としたIT能力の備えが間に合った」ことを挙げる。
星野リゾートにおける、近年のIT戦略転換は、2013年にIT部門が経験した失敗が大きな契機になった。当時、急激に拡大していた事業にシステム面で対応するために、インドを拠点とするオフショア開発に挑むも、その取り組みが失敗。「星野リゾートの成長の“足かせ”になっているのはIT部門だ」とまで、言われる状況になっていたという。
久本氏は「IT部門の立て直しを図ると同時に、今後、社会全体で進むビジネスのデジタル化、今でいう『DX』の推進役としての役割を担えるようになりたいと強く思った」と当時の思いを振り返る。その「IT戦略」を立案するに当たり、久本氏はシステムが貢献すべき対象である、星野リゾートの「事業」そのもの、それが具体化されたものとしての「中期計画」を深く理解することを目指す。
星野リゾートの企業ミッションは「旅は魔法。」(世界の人たちがお互いの違いを認め合う機会を作り出す)、ビジョンは「世界で通用するホテル運営会社になる」だ。そして、これらを実現するための「戦略」はマイケル・ポーター氏の『競争戦略論』に基づいている。ポーター氏の競争戦略は、コモディティ化した競争環境を抜け出すための理論で、「生産性のフロンティア」(競合と同等以上の品質を同等かそれ以下のコストで実現する)を達成した上で、トレードオフを伴う独自の活動を複数選択し、活動のフィット感を生み出すことで、「競合にまねされにくい独自の姿を確立できる」とする。
企業としてのミッション、ビジョン、戦略に基づいて事業の中期計画を関係部署とまとめようとしたものの、至った結論としては「“変化を前提”とする場合、中期計画には意味はない」ということだった。
「変化を前提とするならば、目の前に次々と現れるチャンスとリスクにその都度向き合い、学びながら成長する以外に道はない。そのことを楽しめて、かつ対応できる能力を備えたチームを作り、能力を発揮できる“場”を用意することがより重要になる」(久本氏)
このコンセプトを一言で表した「Let's Study」は、IT部門に限らず、星野リゾート全体における組織作りのテーマになった。「この考えで作ってきた組織が、結果としてコロナ禍に直面した星野リゾートにおける大きな助けとなった」と久本氏は言う。こうした組織全体の意識に基づいたIT戦略が「変化を前提とするIT能力の備え」ということになる。「変化を前提としたIT能力」とは、「社会環境の急速な変化に対応して、事業の“兵たん”となるITシステムを俊敏かつ堅牢(けんろう)に配備できる能力」だ。久本氏は、それを数年かけて計画的に作り上げることを目指した。
「変化する企業活動を十分に支えられる俊敏性と堅牢性を兼ね備えたIT能力を、5年間かけて備えることを考えた。こうしたIT能力が、2019年12月末時点で、ある程度手に入っていたからこそ、コロナ禍にも対応できた」(久本氏)
同社では、クラウドサービスやローコード/ノーコード開発ツールなども活用しながら、当時で45人の内製人員(8人の内製エンジニアを含む)で、コロナ禍におけるシステム開発案件が可能になっていた。
ここから、久本氏は組織が「変化を前提としたIT能力」を獲得するための具体的な取り組みを紹介した。これらは、それぞれが独立した取り組みではなく、並行して進められてきたものだ。
全社を巻き込んだ大きな変化としては「新たな経営判断プロセスの構築」がある。システムへの投資に関わる意思決定を迅速化するには、情報システム部門だけでなく、経営陣と現場を巻き込んだプロセスが必要と考えた。同社では「システム投資判断会議」というIT施策に対する経営判断会議を毎月実施している。これは、星野代表を含む経営陣、現場の責任者を交えてフラットに議論し、会議体の判断に基づいて、担当プロダクトチームや情報システム部門が最終的な決断を行う場だ。
「経営陣の不安を払拭(ふっしょく)するには、情報システム部門の施策を、正しく理解してもらうことが重要。この会議体は、星野代表を含む経営陣にもテクノロジーを含む業務全体を理解してもらった上で、経営的な意思決定を行う場としている」(久本氏)
加えて、システム全体を顧客が利用するSoE(System of Engagement)と、スタッフが利用するSoR(System of Record)に分けて整理した。「SoEはいち早く内製化を通じて社内でのデリバリー能力を高めることが必要」と考え、そのための体制を整えた。
「デリバリー能力の向上は、一筋縄ではいかなかった。開発と運用の仕組みを統合する、いわゆる“DevOps”体制の構築は進めていたが、最初、エンジニアはアウトソースできると考えていた。しかし、取り組みを続ける中で、やはり社内人材が不可欠なことが明白になった。当初は“餅は餅屋”という意識で、エンジニア採用に消極的だった社長も、徐々に価値を感じて積極的になっていった」(久本氏)
SoRについては「SoEの要求に応えられるSoRになっているかどうかを注視する」ことを意識した。これは、時代によって変化する「価値構造」の変化に、SoRが追従できるかどうかをユーザーの視点で見直すことを指す。久本氏は「既存の基幹システムに対する課題感があり、その答えを探していた」と話す。
「SoRの見直しについては、既存の基幹システムに対する疑念が発端になっている。ホテル経営で一般的に使われている汎用(はんよう)の基幹業務パッケージについて調べてみたところ、そのルーツは、70年近く前に作られた航空券発券システムにあることが分かった。時代の変化で、観光業者に求められる価値が変わったにもかかわらず、基幹システムが70年前のビジネス環境や、コンピュータリソースの制約に基づいて設計されていることは、変化を前提としたIT基盤を構築する上で、最大の足かせになるのではないかと危機感を持った」(久本氏)
自分たちのやりたいことや、実現したいサービスにフィットしない基幹システムに対するこうした課題感について、何人ものシステムエンジニアやITコンサルタントに相談をしてみたが、納得のいく答えは得られなかった。そこで同社は、基幹システムの実装に不可欠なビジネスモデリングの専門家を招聘(しょうへい)し、数年をかけて、ドメイン知識が豊富な現場の社員をモデリングのエキスパートとして育成した。同社は、2016年に情報システム総研の児玉公信氏にコンタクトをとり、彼のリードのもと、UMLによるモデリング能力を組織的に獲得することを続けている。
こうした内製化の体制を作る過程で課題になったのが、主に内製人材を中心とする人件費の増大によって「IT投資の金額見通しが悪くなる」ということだった。同社では、経営判断の合意プロセスを分かりやすく表現することを目的に、独自の「ポイント制度」を導入している。これは、あるプロダクトに対して、外注人材と社内人材の双方にかかったコストの総和をポイントに換算して評価するというもの。「投入したエンジニアの労働量によって、そのプロダクトのおおよその価値が決まる」という考え方を反映したポイント制度の導入によって、個々のプロダクトの「予算」と「優先順位」を、分離して考えられる体制が作られている。
久本氏は、プロダクトをデリバリーするための「能力」として、「プロコード」「ローコード/ノーコードツール」「SaaS活用」の3つを挙げる。「プロコード」は、現場出身者がモデリングし、専門スキルを持ったエンジニアがそれに基づいてコードを書くという開発方法だ。「ローコード/ノーコードツール」は、ツールの使い方を習得した現場の人材が、モデリングしたり、デザインしたりしながら自分で開発できる環境。そして、実現したい要件に見合うかどうかを評価した上での「SaaS活用」は、開発の工数を最低限に抑えられる。
「システムを利用するユーザーから見れば、どの方法で作られたシステムにも本質的な違いはない。状況や要件に応じた、最適な組み合わせ、最適な作り方を常々模索している。プロコード開発が必要な場面はどうしても残るが、それ以外について、どれだけローコード/ノーコードツールで組み上げられるかが、デリバリー能力を高めるためのポイントとなる。現在再構築中の業務システムでは、ローコード/ノーコードツールでその中のデータを取り出し、加工し、更新する仕組みを備えるように設計している。こうしたツールによるデリバリー能力をより多くの社員が備えることで、情報資産の活用力が最大化できると考えている」(久本氏)
内製化にかじを切ったことで、システムで解決する対象となる「課題」の質自体も向上した。従来の開発スタイルでは、ユーザーである経営者や事業部門に対してIT部門が要件を聞き取り、それをパートナーに伝え、出来上がったものをIT部門が検収してユーザーに使ってもらう流れだった。IT部門とパートナーとのやりとりの時間や、開発時にユーザー自身は関与せず「待つだけ」になる期間がある。結果として、時間がたって出来上がったものをユーザーが使う時には「イメージと違う」といった感想を持たれ、価値の低いプロダクトになってしまうケースもあった。
「内製化が進んだ現在のプロダクト作りでは、経営者や事業部門、IT部門、エンジニアが同じテーブルで議論し、課題を見極めた上で、やるべきことを全員で決め、成果が出るまでの試行錯誤を一緒にやり続けている」(久本氏)
そうした組織におけるパートナーの価値は「非エンジニアが多い内製人材に対するスキル面での支援と、豊富な経験値の共有を通じて、取り組みにおける失敗を減らすことだ」と久本氏は指摘する。同社では、前出の情報システム総研の他にも、UI/UXについてはデザインスタジオの「TWOTONE」、ノーコードツール活用については「JOYZO」といったパートナーを選定し、組織的なIT力強化のための支援を受けている。
久本氏は、こうした背景の下、星野リゾートのシステム基盤に求められる最大の機能要求は「競合との差別化にある」としている。そのために必要な、競合となるグローバルホテルチェーンでは難しいコンセプトとして「予約と滞在についての情報の分断の解消」「Wall/Gate Security Concept」「いつかはグローバル統一」「全社員IT人材化」の4つを挙げた。
「予約と滞在についての情報の分断の解消」は、久本氏が感じていた「汎用パッケージに対する課題感」が起点となっている。
「現状のホテル向け汎用システムでは、予約の情報は管理できるのに、旅行者の滞在中の情報と分断されており、連携させることが難しい。ホテル運営会社なら予約と滞在の全体を通じてサービスを提供できるはずなのに、システムの分断によって、顧客体験がぶつ切りになってしまい、サービスの質が低下するという問題がある。これは、ホテル運営会社だけでなく、観光業向けIT全般の課題ともいえる。われわれは、この領域に対するイノベーションに本気で取り組むべきだと考えており、自分たちの手で基幹システムを再デザインすることに取り組んでいる」(久本氏)
「全社員IT人材化」は、競合のグローバルホテルチェーンに、同社が打ち勝つための重要な施策だ。星野リゾートでは、現場の社員全員がIT人材になることで、人数でグローバルチェーンの大規模なIT専門組織を圧倒する。そのための仕組みを整えるのが、情報システム部門の役割。それによって、現場でイノベーションが起こりやすい環境を作っていくという。
「星野リゾートが考える『アプリケーション基盤』は、単なる開発基盤だけ、実行基盤だけを指すものではない。業務システムが事業の“足かせ”にならないよう、価値提供のコンセプトが反映された、ビジネスの構造を正しく捉えたデータ構造を持ち、企業の持続性を最大化させる“DevSecOps”の仕組みだと考えている」(久本氏)
最後に、今回のセミナーのテーマである「パートナー戦略」については、自社のIT力を高めながらシステム開発とシステム活用の主導権を握っていくことを基本とし、「その本丸は、専門家の薫陶を受けながら、社員の成長機会を最大化することにある」とまとめて基調講演を締めくくった。
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