「5Gオフィス」とはオフィス内の有線LANや無線LANをなくして、スマートフォンもPCも全てキャリア5Gに接続したオフィスだ。最終的には企業ネットワークのほとんどをキャリア5Gに移行し、有線のネットワークをなくす。その方がコストを削減でき、拡張性やセキュリティも保ちやすいからだ。「5Gオフィス」の実現には、必要な場所で5Gの電波が使えるようにするため、携帯電話事業者による電波対策が不可欠だ。
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電波対策は、5Gオフィスに限らずスマートフォン(スマホ)主体のクラウドPBXでも必要だ。あいおいニッセイ同和損保でも、三井住友銀行でも必要な拠点で電波対策をしている。クラウドPBXは電話なので4Gの対策だけで十分だ。
キャリア5Gの電波は、サービスエリア内であっても周波数が4Gより高く直進性が高いため、ビルの内部まで届かない。小規模な店舗やオフィスなら外部から5Gの電波が届くかもしれないが、高層の大型ビルではビル内の電波対策が必須だ。今やスマホのほとんどが5G対応であり、料金には5G利用料が含まれている。しかし、大規模ビルで働くスマホユーザーは電波対策をしない限り、5Gの料金を払っていても使うことはできない。
一方、ローカル5GでPCを収容する試みもある。ある自治体では庁舎の全フロアをローカル5Gエリア化(電波対策と同義)し、行政事務用PCをローカル5Gに接続して全職員をフリーアドレス化することを計画した。実際、全フロアのローカル5Gエリア化は完了したのだが、PCの接続は保留されている。保留となった理由はローカル5Gが使えるPCが高価であることと、ローカル5G無線機に同時接続できる端末数が64台と少ないことだ。
筆者は5Gオフィスにはローカル5Gよりキャリア5Gの方が適しており、実現性が高いと考えている。その理由は後述する。以下、キャリア5Gによる5Gオフィス実現のために必要な電波対策について述べる。
広範囲にオフィスや事業所を展開する企業が全社的に5Gオフィスやスマホ主体のクラウドPBXを導入する際には、各拠点で必要な電波が使えるかどうか携帯電話事業者に電波調査を依頼する。携帯電話事業者はある地点の5G/4Gの電波強度、容量が分かるデータベースを持っており、それを使って机上調査を行う。7割から8割の拠点は机上調査で電波がOKかNGか判別できる。残りの2割から3割は現地調査をして電波対策の要否を決める。
電波調査で対策が必要となった拠点は電波対策を行う。小規模拠点向けの簡易な電波対策として「レピータ」と「フェムトセル」がある。これらは4Gのみで5Gは使えない。レピータは電波の受信状態が良い屋上などにドナーアンテナを設置し、そこで受信した電波を同軸ケーブルで屋内のレピータに送信する。レピータは電波を増幅して発射する。
レピータの構成を図1に示す。
レピータは4Gのパケット通信と「VoLTE」(Voice over LTE:4Gによる電話)が利用でき、5Gは利用できない。「MIMO」(Multi Input Multi Output:複数のアンテナを使って高速化する技術)が使えないため、速度は通常の4Gと比べて半減し、下り50Mb/s程度だ。カバーできるエリアは10メートルから20メートルであり、接続可能な端末数は基地局の容量に依存する。
フェムトセルは基地局からの電波が弱くレピータが使えない場合に適用される屋内設置型の小型基地局だ。フェムトセルはフレッツ光などのブロードバンド回線を使ってインターネットで携帯電話網に接続される。その構成を図2に示す。
フェムトセルは4Gのパケット通信、VoLTEが利用できるが、5Gに対応したものはまだない。MIMOが使えないため速度は通常の4Gの半分程度だ。同時利用回線数が携帯電話事業者によって制限されており、その数は10回線前後だ。同時利用回線数とはパケット通信またはVoLTEを使っているスマホなどの端末数の合計だ。カバーエリアは10メートル程度と狭い。
なお、フェムトセルは電波を増幅するだけのレピータと違って能動的に電波を送受する無線局であるため、総務省に無線局免許を申請しなければならない。申請は携帯電話事業者が行うが、管理者である運用人はユーザー企業の社員がならねばならない。フェムトセルの操作は運用人のみが行える。
広範囲に拠点を展開している企業が中小の拠点全てで5Gを利用可能にするのは難しいが、5Gが使えなくても4Gが使えればよしとするならば中小拠点をカバーするのは容易だ。多くの中小規模拠点はレピータやフェムトセルによる電波対策なしで4Gが使えるだろう。ユーザー数の多い大規模拠点ではしっかりと対策して5Gを利用可能にしたい。
本格的な電波対策には「DAS」(Distributed Antenna System)を使う。DASとは基地局の電波を光ケーブルや同軸ケーブルで分配し、通信可能なエリアを広げるシステムだ。1000人、2000人といった社員が働く本社が自社ビルの場合、電波対策はその企業が主体的に計画し、携帯電話事業者と協議して実施できる。しかし商業ビルのテナントである場合は、ビルの電波対策はビルのオーナーがビル全体を対象に行うのでテナント企業の自由にはならない。ここでは自社ビルを前提とする。
図3は、筆者が構築した5G/4Gネットワーク(キャリアはKDDI)を参考に一般化して描いたDASの構成例だ。
オフィスのDASは光ケーブルを使用している。MU、HU、RU、アンテナは5Gと4Gで共用できる(過去に4Gの対策のために設置された装置は共用不可の可能性がある)。
「5Gオフィス」であっても4Gは不可欠だ。なぜなら、090/080による電話は4G(VoLTE)でしか使えないからだ。5Gで電話はできない。既に5Gを使った電話は「VoNR」(Voice over New Radio)として標準化されているが、商用化される時期は決まっていない。電話を使わないスマートフォンはあり得ないので、オフィス内では5Gと4Gの両方が必要になる。
5Gと4Gの両方があることで、5Gによる高速なデータ通信を「CA」(Carrier Aggregation)でさらに高速化できる。5Gの周波数帯域に4Gの周波数帯域を合わせて使うのがCAだ。図3の例では下り1.4Gb/sが実測されている。
ローカル5Gに対応したPCは機種が少なく高価だが、キャリア5Gが使えるPCは機種が増えており、価格も下がってきている。タブレット型PCだと10万円台、ノートPCは20万円強の機種がある。既存のPCをスマホのLANケーブルテザリングで接続することもできる。
図3の工場のDASは同軸ケーブルを使っている。構成がシンプルだが、同軸ケーブルは減衰があるので延長できる距離が短い。ケーブルの仕様にもよるが50メートル程度だ。
電波対策はDASも含めて企業の費用負担はゼロが原則だ。なぜなら、料金を払っているスマートフォンが使えるためには電波が届いてなければならないからだ。5G対応のスマホが多数使われているオフィスビルで、5Gの料金を取っている以上5Gが使えるようにするのは携帯電話事業者の責任だ。
しかし、4Gの対策ができているビルで5Gが使えるように対策するモチベーションは携帯電話事業者にはない。5Gが使えても使えなくても売り上げは変わらないからだ。5Gの対策を協議しても企業の費用負担がまったくない対策を実現するのは難しい。
もし、企業がスマートフォンを携帯電話事業者1社に統一しているなら、携帯電話事業者を他社に変更するのも5G電波対策を実現するための選択肢だ。新しい携帯電話事業者にとっては多数のスマートフォンを使う新規ユーザーの獲得になるので、電波対策に対して強いモチベーションが働く。
どんな場合でも、DASを使った電波対策の企業の費用負担額は携帯電話事業者との交渉で決まる。企業の費用負担がゼロにならないこともあるが、負担があったとしても一部だ。
冒頭で述べた通り、5Gオフィスにはキャリア5Gの方がローカル5Gより適している。その理由は次の4点だ。
上述の通り、キャリア5Gに必要な設備、配線、設計/工事の費用は携帯電話事業者が負担するのが原則であり、企業が負担したとしても全体の一部だ。ローカル5Gではこれらの費用の全てを企業が負担しなければならない。
企業はキャリア5Gをサービスとして利用するだけなので、技術知識は不要、無線免許も運用資格者も必要なく簡単に導入と運用ができる。対してローカル5Gは免許申請、運用資格者が必要でありキャリア5Gよりハードルが高い。
キャリア5Gはサービスなので、技術が進歩すれば設備やソフトウェアが更新され、陳腐化する恐れがない。ローカル5Gは企業が設備を購入し、資産として保有するので時間の経過とともに陳腐化が避けられない。
キャリア5GはDASにおいて下り1.4Gb/sが実測されているが、ローカル5Gで下り1Gb/s以上を実測している製品は少ない。また、キャリア5Gの基地局は端末収容能力が高いため、ローカル5Gの基地局のように端末収容能力がネックになることもない。
キャリア5Gのカバーエリアが全国に広がり、キャリア5G対応のタブレットPCやノートPCの低価格化が進んだ現在、キャリア5Gによる「5Gオフィス」の機は熟したといえる。企業にはスマホユーザーの多い拠点から5Gオフィスの実現を検討することをお勧めしたい。
松田次博(まつだ つぐひろ)
情報化研究会(http://www2j.biglobe.ne.jp/~ClearTK/)主宰。情報化研究会は情報通信に携わる人の勉強と交流を目的に1984年4月に発足。
IP電話ブームのきっかけとなった「東京ガス・IP電話」、企業と公衆無線LAN事業者がネットワークをシェアする「ツルハ・モデル」など、最新の技術やアイデアを生かした企業ネットワークの構築に豊富な実績がある。本コラムを加筆再構成した『新視点で設計する 企業ネットワーク高度化教本』(2020年7月、技術評論社刊)、『自分主義 営業とプロマネを楽しむ30のヒント』(2015年、日経BP社刊)はじめ多数の著書がある。
東京大学経済学部卒。NTTデータ(法人システム事業本部ネットワーク企画ビジネスユニット長など歴任、2007年NTTデータ プリンシパルITスペシャリスト認定)、NEC(デジタルネットワーク事業部エグゼクティブエキスパートなど)を経て、2021年4月に独立し、大手企業のネットワーク関連プロジェクトの支援、コンサルに従事。新しい企業ネットワークのモデル(事例)作りに貢献することを目標としている。連絡先メールアドレスはtuguhiro@mti.biglobe.ne.jp。
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