阿部川 最初に「コンピュータ」に触れたのはいつか覚えていますか。
ヴィンさん 8歳ぐらいですかね。ベトナムでPCといえばデスクトップPCのことで、とてもぜいたくなものでした 。ベトナムでは時間単位でPCをレンタルできる店がたくさんありました。私はそういう店で他の人がゲームをしているのをよく眺めていました。そうした様子を見た父が心配し、1カ月分以上の給料を費やして私用にPCを買ってくれました。
父の想定では、PCを買ったら私の勉強が改善されるはずでしたが、私は1日中家でゲームをしていました(笑)。けれども、ゲームをすることで「PCの中の世界」をだんだん認識できて、設定やハードウェアの知識も得られたので、このプレゼントのおかげで、エンジニアになったのだと思います。父に感謝しています。
このお話を聞いて、少年がショーウィンドウに並ぶトランペットを憧れのまなざしで見ている映像が頭に浮かびました(ルイ・アームストロングの有名なお話だとか)。やりたいことは単なるゲームだったかもしれませんが、憧れていたものが手に入るってすごくインパクトのある体験ですよね。お父さん、ナイスです。
阿部川 本当ですね。その時にPCがなかったら全然違ったでしょうね。そのPCは何歳になるまで使っていたのですか?
ヴィンさん 中学を卒業するまでずっと使っていました。大学生からは、さすがに新しいラップトップPCを買いましたけれど。
阿部川 学校でPCに関する授業はありましたか。
ヴィンさん 中学校では一般的なIT知識の勉強はありましたが、実習はありませんでした。高校では、「Adobe Photoshop」など画像を編集するソフトウェアを扱う授業が好きでした。独学でアニメーションを作るツールを勉強し、画像を編集したものを友達にプレゼントしたこともあります。
阿部川 その頃はもう「将来はエンジニアになる」などと考えていたのですか。
ヴィンさん いいえ。最初は漫画家になりたいと思っていました。けれども、ベトナムには漫画に関する仕事があまりないので……。そのうち、ロボットに興味が出てきました。当時、工学部の大学生向けに「ロボコン」という有名なコンテストがありまして、将来的には私も参加したいと思って技術を勉強することにしました。
阿部川 ロボコンには出場したのですか?
ヴィンさん 残念ながら参加はしませんでした。大学に入る頃にはロボコンの人気が落ち込んでいたこともありますが、セッティングを変えながらあれこれ試すといった「繰り返し作業」がとても嫌いだと気付いたからです(笑)。私は「ナマケモノ」なんです。ただ、技術を使えば、そうした作業を自動化できることにも気付いたので、熱心に勉強して「ナマケモノを助けるツール」を作ろうと考えるようになりました。
阿部川 いいですね。私もどちらかというとナマケモノなので、ぜひ助けていただきたいです。
阿部川 大学はホーチミン市工科大学ですね。それまではずっとファンティエットに住んでいたのですか。
ヴィンさん そうです。高校まではずっとファンティエットで、大学に入学してからホーチミンに引っ越しました。大きくて、人が多くてにぎやかな都市です。最初は高校の友達とルームシェアして、大都市の生活に慣れてきた大学2年生の時に、1人暮らしを始めました。
阿部川 学校での専攻は何でしたか。
ヴィンさん 専攻はメカトロニクスで、専門は機械や電子関係ですね。プログラミングも勉強しました。勉強し始めてから気付いたのですが、学ぶのは主に機械知識で、あまりITと関係ありませんでした。そのため、大学での勉強に加えて自分でIT知識を勉強することにしました。卒業生がプログラミングの知識などを後輩に教えるクラブにも参加して理論の他に、簡単な製品を作ることもしました。
阿部川 素晴らしいですね。理論だけではなく、実際に作ってみるとは。
ヴィンさん いやぁ、ロボットを作りたいと思っていたのに想定と全然違いましたね(笑)。ロボットだから機械だろうと思っていたのに、大学で学ぶ“機械”はちょっと違っていたんです。
私もプログラミングなどIT系の知識を学ぼうと工業高校に入ったら、プリント基板を作ってばかりでげんなりしたことを思い出しました(笑)。
ただ、私は「人型ロボット」が大好きだったので、これに関する論文は書いておきたいと思いました。インターネットで調べて、研究して、モデルを作って、プログラムを開発しました。論文の内容は、カメラに私の手の動きを映して、それに応じて動くロボットのアームを開発することです。論文の内容は専門分野とは異なるものでしたが、教授は評価してくれました。
阿部川 素晴らしい! それで大学を卒業して、すぐに来日されたのですか。
ヴィンさん いいえ。卒業後はベトナムで2年間、日系企業で車載のシステムチップ生産者として、ソフトウェアドライバを開発していました。
阿部川 ロボットだ、プログラミングだ、といろいろなことを勉強されて、その上でなぜチップに関する仕事を選んだのでしょうか。
ヴィンさん 今とは違い、当時のベトナム、特に南部は就職先の選択肢があまりなかったのです。学んだことを生かせる就職先はそこだった、というところです。その後、ベトナム内でドイツ系の企業に転職して、車のブレーキ制御ソフトウェアの開発などに携わりました。
阿部川 初来日はその頃でしょうか。
ヴィンさん はい。出張で初めて日本に来ました。2018年だったと思います。1週間ぐらいでしたが、日本の技術開発に本当に感心して、帰国してから日本語を勉強したり、日本で働くチャンスを探したりしました。
大好きな漫画やアニメに囲まれて過ごしたベトナムの少年は「人型ロボットを作りたい」と考え、技術の道に進む。大学で専攻した“機械”は当初思っていたものとは違っていたけれど、学んだことはしっかりとヴィンさんの強みに変わった。後編は日本で働き始めてからの変化や、将来への展望について聞く。
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