阿部川 子どもの頃は、ル・フィエでどのような遊びをしていましたか?
マシューさん メインの遊びは隠れんぼでした。家の周りに広い畑がたくさんあったので、隠れるのは簡単でした。ただ隠れる場所が多過ぎて探すのが大変になるので、ある程度の範囲に制限していました。
サッカーでもよく遊びました。のこぎりやハンマーなどの父の工具を使って、木の上に小屋を作るのも好きでした。父には秘密でしたが。
阿部川 秘密基地のようなものを作っていたのですね。
マシューさん はい、友達と作った秘密基地に合図の石を置いていて、石があれば誰かいる、なければ誰もいないと分かるようにしていました。とても楽しかったです。
阿部川 オンラインゲームやビデオゲームは?
マシューさん 最初のPCを手に入れたのは12、13歳の頃です。それまでインターネットもPCもありませんでした。小さな村なので、インターネットが普及するのが遅かったのです。
PCが来てからは夢中になって遊びました。PCは本当に革命的で、できることがたくさんあって、とても感動しました。家族の中では私がPCやIT機器の使い方に詳しかったので、祖父母や叔父叔母にプラグの接続などを教えていました。
ゲームは13歳から始め、2、3年ほど夢中になり過ぎていた時期がありました。でも、16歳でスクーターの免許を取ったので、友達を訪ねたり、パーティーに行ったりするのが楽しくなり、PCでゲームをする機会はだんだん減っていきました。
阿部川 スクーターを手に入れたことで、活動範囲が広がったのですね。最初のPCはどんな仕様でしたか。
マシューさん デスクトップでモニターが上に乗っているタイプでした。ル・フィエのような地方で、12、13歳の頃にPCのある家庭は珍しく、友達の中では私が一番早くPCを手に入れました。
阿部川 なぜそのタイミングでPCを手に入れることができたのですか?
マシューさん 父が農場の書類作業で「Minitel(ミニテル)」というビデオテックス用テレテル端末を使っていたのですが、私は普通のPCの方が便利だと思っていました。また、母も病院で患者の管理にPCを使い始めていたので、父に「PCを買ってほしい」と言っていたのです。
阿部川 ご両親とも、仕事でPCの必要性を感じていたから、マシューさんにPCを買ってあげることに抵抗がなかったのですね。
阿部川 将来なりたい職業や、興味のある分野はありましたか?
マシューさん 子どもの頃は、パイロットになりたいと本気で思っていました。ただ当時の私には英語力があまりなかったので諦めました。
その頃から数学、そしてプログラミングやPCの仕組みを理解することにも興味を持つようになりました。その興味は今も続いており、AI(人工知能)やディープラーニングなどの最新分野を理解するために数学的な基礎を学び直したいと考えています。
チェスと出会ったのは、7歳ぐらいの頃です。ちょっと詳しくお話ししましょう。その頃、父も母も姉も仕事が忙しかったので、私はいつも一人でジムにいて、時間を持て余していました。
見かねた祖母が、ジムの向かいにある小さなチェスのクラブに連れて行ってくれました。そこでチェスのやり方を教わり、すっかりハマってしまった私は、2カ月後には先生や他のメンバーも太刀打ちできないほど実力を付けてしまいました(笑)。
車で20分ほどの町にある少し大きなチェスクラブにも行きましたが、そこでも一番強くなりました。それで、ブザンソンのさらに大きなチェスクラブに通うようになりました。毎週水曜日と土曜日に、電車で1時間かけてクラブに通って練習し、また電車で帰るという生活を8歳の時に経験しました。祖母がランチを作って駅に持ってきてくれて、私は電車の中でそれを食べました。
阿部川 家族みんなの協力で、強いチェスプレイヤーになれたのですね。
チェスとPCが大好きだったマシュー少年は、やがて小さな村を出て農業以外の仕事に就きたいと考えるようになった。後編は、大きな町の大学を経て日本にやってきたマシューさんの仕事観を伺う。
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