ボードゲームを通して物事を素早く理解する力が身に付いていたので、未経験でもエンジニアになれたし、仕事でも役に立っている。
グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回もインターネット・アカデミーのシステム開発室でリーダーを務めるMathieu Fevre(マシュー・フェブル)さんにお話を伺う。チェスにはまったマシューさんは、生まれ育ったル・フィエのチェスクラブでは物足りなくなり、近隣で一番大きな町「ブザンソン」まで通うようになった。
大学もブザンソン。フランスの一地方で生まれ育ったマシューさんは、「たまたま」ふるさとから1万キロも離れた日本の大学に留学することになる。
聞き手は、AppleやDisneyなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。
阿部川“Go”久広(以降、阿部川) 高校卒業後に進学したフランシュ・コンテ大学もブザンソンにありますね。
Mathieu Fevre(マシュー・フェブル、以下マシューさん) はい。フランシュ・コンテ大学は地域で唯一の大学でした。パリなどの大きな都市の大学に進学することもできましたが、生まれた村の近くにいたかったので、この大学を選びました。
大学では数学を専攻しましたが、物理学も得意でした。卒業後は数学の分野で研究者や大学の教員になり、高度な数学の研究や教育に携わりたいと思っていました。
阿部川 大学卒業後に京都大学の大学院に留学しますね。きっかけは何だったのですか?
マシューさん 全くの偶然でした。日本文化やアニメ、漫画に興味があったわけではありませんし、日本に興味があったわけでもありません。単に留学先を探していて、たまたま私の数学の教授が京都大学の教授と知り合いだったので、紹介してもらい、修士の2年目に留学しました。
大学院での日々は、本当に大変な挑戦でした。ふるさとから1万キロも離れた場所なので、何も知らない状態でした。日本語も全く話せず、英語でのコミュニケーションしかできませんでした。
阿部川 修士課程を終了した後は?
マシューさん 奨学金を得て、3年間博士課程に在籍しましたが、コロナ禍の影響で、最後の1年間は良好な環境で研究できませんでした。そのため、一時中断して仕事を探すことにしました。
フランスに戻って仕事を探すという選択肢もありましたが、日本を一度離れると戻ってくるのは難しいと考え、今だからできる選択をしようと、日本で仕事を探すことに決めました。
数学を研究していたこともあり、プログラミングは論理的で理解しやすかったので、エンジニア職が希望でした。しかし、私のバックグラウンドは数学が中心で、当時はJavaScriptを少し理解できる程度でした。そのようなスキルでの就職活動でしたが、インターネット・アカデミーが私の可能性を信じてくれて、採用が決まりました
阿部川 未経験からエンジニアになったのですね。プログラミングを素早く学ぶコツがあれば教えてください。
マシューさん 具体的なプロジェクトや目標を持つことです。実際の必要性に応じて学習する方が早く習得できます。
良いエンジニアなるために必要な能力の一つが英語力です。子どもの頃は重要性が分かりにくいかもしれませんが、大人になってからとても役立ちます。
私の場合は、ボードゲームが好きだったことも今の仕事に役立っています。チェスはもちろんですが、他のボードゲームにも熱心に取り組んでいました。ボードゲームを通して、物事を素早く理解する力が身に付きました。それは今の仕事にも生かされていると思います。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
自分戦略研究所 記事ランキング