SVとしての最初の試練に、私は思い切り負けました。
いま思えば、あのときの私は、自分のせいになることが怖かったのか、かなりの焦りを感じていました。
後輩はそれ以上に焦り、困惑していたに違いなかったのですが。
私は、後輩も含めた大きなかたまりとして自分をとらえられず、後輩を自分から切り離すことで、責任逃れをしようとしていたのかもしれません。
翌日、少し頭が冷えたころ、ふと思い出しました。
かつて先輩が見せてくれた後輩をかばう姿勢(前回参照)。決して私を責めることなく、笑顔でフォローしてくれました。さらに思い返せば、先輩はタスクのやり方にアドバイスこそすれ、やり方を押しつけることはなく、私のやりたいようにやらせてくれていたなぁと。
さて、こうして自分の言動を猛省したものの、今後どう接していけばよいかが分かりません。わずかにあった自信も完全に失った私は、直属の上司に相談し、そして気付きました。
私の失敗は、一刻も早くシステムが復旧するよう後輩と協力して障害の原因究明をすべき場面で、後輩に「なぜ頼んだ仕事ができなかったのか」と詰め寄ってしまったことだと。問題が起こった際に焦点を絞るべきは現象で、作業者ではないということです。
そこで、私はまず1件について後輩に謝り、その後はいまさらながら物事に焦点を絞って話すことにしました。これにより、後輩との間に干渉しすぎない距離を保ち始め、
「長期的に見れば、私とは違ったやり方でも、私的心配事が残ったままでも、彼らの成果は出る」
といった至極当たり前のことをやっと理解しました。そして、多少の「つっかえ」は気にならなくなり、後輩との関係も良い方向に向かっていきました。
この事件後も、幾度も試練は訪れ、うまく対処できたことは数えられる程度しかありませんでした。それでも、だんだんと乗り越えられるようになりました。そして、いつの間にか自分ではなく、チームという大きな単位で物事をとらえたり、感動したりするようになりました。
こうして5カ月がたとうとしていたある日のこと。上司から「2人の成果物が檜山に似てきたね」といわれました。
もちろん、それぞれのやり方・良さを発揮する場である成果物については、誰かと同じであることだけが良いとはいえません。けれど、それまで自分なりに高めてきた方法が彼らに伝わり、少しでも認められた(影響を与えられた)ことの証しだとすれば、それは素直にうれしいことでした。
と、ここまで「先輩デビュー〜最悪の振る舞い〜」を紹介しました。
ともすれば少し前の自分と重なる後輩との仕事は、見ていてもどかしさもあり、ついついおせっかい気味になっていました。後輩はきっと「ヒヤマにはならないぞ!」と、反面教師的に当時を記憶していることでしょう。それでいいと思います。
私自身は、SV経験を通して少し視野が広がり、自分だけではあり得ない、大きな単位で考える難しさと楽しさを知りました。後輩がやや難しい仕事に挑戦できるように配慮したり、逆に自信がなくなっているときには軽めの仕事で復調させたり、と自分以外のことを考える時間が増えるほど、自分の作業は効率的にやらざるを得ないため、こなし方が少しうまくなりました。
本当にみっともない限りのデビュー戦でしたが、また後輩と仕事をする機会がきたら、誤解がありそうな表現をあえてすると、
「無条件に」相手を信じること、責任を放棄しないこと
を肝に銘じて接したいと思います。
檜山亜紗美
1982年生まれ。東京理科大学理工学部経営工学科を卒業後、アクセンチュア・テクノロジー・ソリューションズに入社。Javaの大規模プロジェクトで開発から運用までを経験、現在はStrategic Delivery Office(社内組織)にて方法論の展開・定着化に取り組む。趣味は幹事(ノンジャンル)。主催から出欠係まで幅広くたしなむ。
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