「天才」と呼ばれるプログラマたちが自ら会社を立ち上げるとどうなるか。その答えが知りたければ、あるベンチャー企業に注目すればいい。IT業界で注目を集めるテクノロジーベンチャー「プリファードインフラストラクチャー」の社長に話を聞いた。
特集「学生起業家たちの肖像」、最終回は現在、最も注目を集めているテクノロジーベンチャーの1つ、プリファードインフラストラクチャー(PFI)の代表取締役社長 西川徹氏に登場してもらった。東京大学大学院に在学中、ACM国際大学対抗プログラミングコンテスト(ACM/ICPC)の世界大会に出場したメンバーと設立した会社は、自然言語処理の分野で日増しにその存在感を大きくしている。
今回は特別に、連載「天才プログラマに聞く10の質問」でおなじみ、Lispハッカーの竹内郁雄氏にインタビュアーをお願いした。2人の濃密な対談の様子を余すところなくお届けする(以下、敬称略)。
竹内 西川さんと最初に会ったのは……。
西川 未踏のESPer2007ですね。
竹内 お台場の産総研(産業技術総合研究所)の大きな会議室でやったやつですね。たくさん人が来ていましたよね。パネルに出たんでしたっけ。
西川 いえ、あのときは発表しました。
竹内 そのときはまだ修士の学生?
西川 修士論文を書いていたときです。
竹内 修士論文のテーマは?
西川 並列プログラミングです。ただ、そのころから会社をやっていたので、修士論文はあんまり……(笑)。
竹内 西川さんの会社の話は、岡野原くん(同社フェロー/特別研究員の岡野原大輔氏)からよく聞いていました。彼は学部の2年生のときに未踏ユースで採択されて。いままで100人以上の人を未踏で見てきた中でも、伸び代という点では抜群でしたね。彼は全文検索の話に中学生のころから興味があったらしい。でも文章を書いてもらうと、変な文章なんだよね、あんまり日本語になっていなくて。わたし、結構添削しましたよ。でも、添削すると、次回からは変なところはなくなっている。プロジェクトの最初と最後で文章の品質が別人のようでしたよ。
西川さんは、岡野原くんと一緒にやってるんだ、すごいなと思っていたんです。もともと西川さんは並列コンピューティングの研究などをしていたわけですが、起業するに当たっては、ビジネスマインドが先にあったんですか?
西川 いえ、完全に技術ありきです。小学生のころからパソコンばっかりやってきたので、パソコンを仕事にしたいなあと考えていました。
竹内 小学何年生ぐらいから?
西川 小学4年生ですね。パソコンは買ってもらえなかったんですが、MSXベーシックの本を読んだりとか。
竹内 小学4年生から始めた人って多いですね。とっかかりの時期として、小学4年生と中学2年生が多い。卒業直前じゃなくて、学校に慣れた時期だから、心の余裕があるんでしょう。
研究する人になりたかったんですか? それともエンジニアというか、開発者になりたかったんですか?
西川 ソフトウェアを作りたかったですね。中学生のころはずっとMS-DOSを使っていて、最初はOSを書きたいなと思っていたんです。中学3年生のころ、CPUの作り方や電子回路の設計の本を読んで、そっちの方が面白そうだなと思った時期もあります。高校生のころは、ソフトウェアも好きでしたが、ネットワークやハードウェアの方に興味がわいてきました。研究室はハードウェアの平木研究室(東京大学大学院情報理工学系研究科の平木敬教授の研究室)に入りました。
竹内 平木さんのところか! さすがですね。あの研究室は変な人がいっぱいいる(笑)。
西川 中学生のころから、(東京大学理学部の)情報科学科に行こうと決めていたんです。萩谷先生(情報科学科の萩谷昌己教授)のホームページ、エッセイがいっぱい書いてあって、当時よく読んでいたんです。
竹内 リクルーティングに効果があるんですね。彼にいっておきます(笑)。そうか、萩谷さんを慕ってきた人だったのね。慕ってというか、だまされて(笑)。でも、中学生のときにだまされたんだよね、素晴らしい。
西川 授業のレジュメもたくさん置いてあるんですよね。当時はまだ情報源が少なかったので、書店に行っても技術的な本は少なかった。でも萩谷先生のホームページには、コンパイラを作る授業の資料とかが置いてあって、中学生の頭じゃ半分くらいしか分からないんですけど、なんとなく面白いなあと思いながら読んでいました。当時は授業の資料を公開しているのは珍しかったですよね。
竹内 いまは公開している人が多いけど、当時は少なかった。彼はそういう意味では先進的でしたね。それにしても、中学生のころから情報科学科に行こうと決めていたっていうのは、すごいなあ。初めて聞きました。
竹内 平木研究室で並列コンピュータの研究を始めて……そのころにビジネスに目覚めたんですか? きっかけは?
西川 岡野原とは学部の1年生のころ同じクラスで、それからの付き合いなんです。彼が未踏で作った検索エンジン(編注:大規模全文検索エンジン「Sedue」)の上にアプリケーションを載せていかないといけないよねという話になったので、その手伝いをしていたんです。そのころから、これビジネスにしたいよね、と。いつかできたらいいなあと話していました。大学3、4年生くらいから会社にすることを意識していました。
竹内 岡野原くんはそんなにビジネスマインドはなさそうだけど……。
西川 結構ありますよ。お金をもうけるというより、自分の作ったものを売り物として売っていきたいという気持ちがありましたね。ソフトウェアとして売れるものを作るという。
竹内 なるほど。そういう縁でビジネスを、という流れだったんですね。
竹内 会社をつくったのは何年でしたっけ。
西川 2006年3月です。4年前ですね。
竹内 手応えが出てきたのはいつごろですか?
西川 1年たったころからです。立ち上げてから最初の5カ月間はずっと開発をしていて、できてから営業し始めたけど、売れなくて。2006年12月に中身を大幅に書き換えて、その1カ月後に初めて売れたんです。会社設立からちょうど1年後に初めて売り上げが立ちました。
竹内 それでやっと給料が払えるようになった、と。
西川 それと、会議室1部屋くらいの広さのオフィスを借りました。
竹内 それまでオフィスはなかったの?
西川 ありませんでした。(東京大学の)7号館の教室に日曜に集まったりしていました。
竹内 あれ、京都大学の人がいなかったっけ。
西川 それはSkypeでつなぎながら。
竹内 どうやって知り合ったんですか?
西川 ACM/ICPCで知り合いました。
竹内 なるほど、そういうところで知り合って仲間になる人って多いんだね。
西川 そうですね。知り合いの多くは(ACM/ICPCに)出ています。最近は先輩後輩の縦のつながりもありますし。
竹内 ESPerのころはまだ社員全員、無給だっていっていましたよね。
西川 あのときはまだ無給でした。あの2カ月後くらいから給料を払えるようになりました。
竹内 無給でよくやってるなと思いましたよ。実入りがなかったんですね。完全にボランタリーで開発していたわけだ。仲間同士でわいわい開発やって、知的財産などはちゃんと会社で管理するという形ですね。
西川 マネジメントらしいマネジメントも最初はなかったですね。
竹内 単なる仲間?(笑)
西川 一応、会社はつくって、できたものを売っていこうと営業して。
竹内 営業してたの? 無給のときに?
西川 みんなでしてました。岡野原と僕でお客さんの所に行ったり。飛び込みでメールを送ってみたり。
竹内 最初のころは、どういう反応でした?
西川 何も返ってこなかったです。
竹内 そうだよね、聞いたことねーよ、そんな会社、という感じでしょう。
西川 自分たちの作ったものって売れるのかな、って最初のころは思っていました。しばらく売れなくて、1年後に初めて売れた。そこからはプロモーションをしたりプレスリリースを出したりするようにして、営業しなくても集まってくるようになりました。
竹内 それって、岡野原くんがスーパークリエータに認定された後?
西川 起業したのは、認定された後ですね。未踏関係の人からメールをもらうことはよくありましたから、そういうところから仕事につなげるというのはありましたね。使えるものは何でも使う。
IPA(情報処理推進機構)のアドバイザチーム制度(編注:IPAが法務、財務、知的財産権、マーケティングなどの専門家を紹介してくれる制度。2回までIPAが費用を負担してくれる。残念ながら現在は受付停止中)も使いましたね。すごく助かりました。法律や会計の専門家って高いじゃないですか。最初のころは1万円でももったいない。2回まで無料というのはうれしかった。
竹内 役に立ったんですね。
西川 前提知識がまったくなかったので。「株式って何だ?」というレベル。ずっとITしかやってきませんでしたから。
竹内 筑波大学大学院の登くん(ソフトイーサ 代表取締役会長の登大遊氏。未踏ユース出身)はそれを全部、独学でやったんだよね。彼はすごい。
いずれにせよ、IPAの制度を活用してくれたというのは、大変ありがたいです。わたしもIPAの関係者ではあるので(笑)。
竹内 いま、会社ではどんなことをしているんですか。
西川 検索エンジンなど、ソフトウェアを作ってプロダクトとして売ったり、企業と共同研究したり。基本的には、製品を作って売っていくということを続けています。検索技術って、まだ難しい技術で、先は長い。翻訳もまだまともにできていないので、やっていきたい。いまは自然言語処理に力を入れています。あとは、分散処理も。
竹内 西川さん自身のミッションは?
西川 製品化までの期間をいま以上に短くするための組織を整えることですね。
竹内 鬼の経営者になろうとしていますね。経営者としての側面が強いんですか。
西川 自分もソフトウェアを書きたいので、そう思うと、会社がうまく動くようにしないといけないですからね。いま、社員はアルバイトも含めて17人です。そのうち、未踏経験者が6人。
竹内 増えたね。ESPerのときは5〜6人じゃなかったですか。
西川 そうですね。フルタイムもいまは7人で、4月から9人になります。
竹内 どういう人が増えるの?
西川 正社員になるのは、岡野原が博士を卒業して就職するのと、いま修士2年の太田 (同社 最高技術責任者の太田一樹氏)が卒業して入ってくるんです。
竹内 要するに、前から一緒にやってきた人が、やっと社員になるわけだ(笑)。
西川 でも、中途の人も年に2〜3人、入ってきますよ。
竹内 岡野原くん、かなり優秀だから、研究室から引っ張られなかったのかなあ。
西川 彼が博士を卒業したら、安心してうちに就職してもらえるような環境を整えるっていうのはありましたね。
竹内 ……そうか、だから彼は「フェロー」という扱いだったんですね。フェローから社員になる。普通、逆だよね(笑)。
竹内 以前、@ITの取材を受けたときのインタビューで気になったところが2つあるんです。「受注開発はしない」「外部資本は入れない」の2つなんだけど、詳しく教えてくれませんか。
西川 受注開発は重要なビジネスの1つだとは思いますが、われわれのミッションは「技術を広めていく」ということ。お客さんからいわれた仕様どおりのものを作るというのは、もちろんそこでも技術は使われるわけですが、技術を広めていくことにはならない。そのミッションを達成するには、ソフトウェアを作るのが一番早いと考えています。ソフトウェアを導入してもらうに当たって、お客さんのニーズと製品とのギャップを埋めるための作り込みは必要ですが、一から特定のお客さんのために作るというのはしない、ということです。
竹内 それは非常に優等生的な回答でいいんだけど、もっと激しくいってもらってもいいんじゃないかな(笑)。
日本のソフトウェア産業の最大の問題は、受注が70〜80%を占めるということ。アメリカではパッケージの方が多くて、明らかに受注の方が少ない。売上高ベースでいくと、割合が逆転するくらいかもしれない。それが競争力の差になっているし、ソフトウェア産業の体質や、そこで働く人々のメンタリティにすごく影響を与えているんです。だから、西川さんのような人がやっている会社が「受注生産はやらない」というのを、優等生的な答えではなく、もっと激しくいってくれるといいなと思うんです(笑)。
西川 ええと……(笑)。受注生産って、人数に比例してもうけるじゃないですか。でも、われわれは人の100倍は速く書けると思っている。じゃあ、その人に1カ月、その分を払ってくれるのかというと、受注じゃ絶対、無理でしょう。でも、ソフトウェアだと可能。どんなソフトウェアでも、中核部分は少人数で作っているケースがある。ソフトウェアを作るのがうまいスーパープログラマたちがもうける方法は、受注ではないソフトウェア開発しかないと思います。
コミュニケーションコストは少なくないので、たとえ100倍速く書ける人でも、プロジェクトを100個持てるかというと、それは持てない。移動だけで終わっちゃう。100倍の能力を100倍生かすのなら、ソフトウェアを作って、ダウンロードで売るしかない。
竹内 いま、いみじくも「100倍速く書ける」とおっしゃったじゃないですか。これは、普通の会社の人はいえない。でも、そういってくれたおかげで迫力が出ましたね。「100倍の生産性を持っているんだから、受注生産なんてやってられないよ」って。良い理由ですね。
西川 100倍はいけると思いますよ。
竹内 その自信はずっと持ち続けていただきたい。でも、100倍って大変だぞ? 誰を1倍と考えるかにもよるけど。
西川 同じ「エンジニア」という職種でも、生産性は100倍くらい違いますよね。コードをその人がただ書くという部分だけじゃなくて、例えばチューニングされたコードをすぐ書けるなら、結果的にシステムが速く動く。遅いコードを書いて100台マシンを使用するとなると、いろいろな人がシステム構築にかかわらないといけない。でも同じ条件で100倍速いコードを書けば、1台のマシンで済む。運用も圧倒的に楽になる。だから、生産性はそのくらい変わってくると思います。
竹内 電気代も安いしね。「100倍」って、象徴的な数字ですね。100っていうのがいいよね。
西川 10倍じゃ話にならない。1000倍になると、また現実的ではないですけど。
竹内 100って、すごくいい数ですよね。10進法で100ね。昔からいっているんだけど、「100倍速い」とか「100倍大きい」というのは、“質”が変わるレベルなんです。10倍だとそこまではいかない。
電子1個の世界というのがある。これは量子力学の世界。LSIで電子を動かすときは電子1万個の単位なわけです。電子1個の世界と、電子1万個の世界は全然“質”が違う。その間には電子100個の世界がある。ここはミクロとマクロの中間のメソといって、ここも“質”が違う。ちょうど、1、100、10000で、100倍ずつで質が変わっているわけです。
竹内 もう1つ、「外部資本を入れない」というのは。
西川 ベンチャーでアルバイトをしていた経験があるんですが、お金がかかるビジネスだったので、すごい資本を入れていて、最後は株主がめちゃくちゃなことをいいだして空中分解。僕たちはクビにされちゃった。
それに、ソフトウェアなんて、1年後、2年後にすぐ売れるものではない。長く残るソフトウェアはずっと残る。半年後の利益だけ求められても、そんなの絶対に無理に決まっている。でも日本で外部資本を入れようとすると、どうしても半年後、1年後、2年後という単位で見られる。どうビジネスにするかが先行してしまう。それが嫌だったんです。
竹内 そのとおりですね。日本で外部資本を入れるのはやめた方がいい。正しい選択をしたと思います。
日本には、本当の意味でのベンチャーキャピタルはない、といわれていますよね。良心的な人も中にはいらっしゃるけど、半年とか1年とか、短期のリターンを求める人が多い。アメリカだとそんなことはない。ベンチャーキャピタルからお金をもらって大成功したような人が、今度は若い人を育てようというサイクルが回っている。日本ではまだサイクルが回り始めていないんですよね。大成功者が出ていない。正しい意味でのベンチャーキャピタルが日本でも出てきてほしいんですが……。
でも、ある程度会社が大きくなってきたら、外の資金が必要になる可能性はゼロではないよね。
西川 そうですね。いま17人を抱えて……。
竹内 17人を回すのは大変ですよ。普通の会社になってくるので、維持のための費用が発生する。武士は食わねど高楊枝、ともいかなくなってくる。年商はどのくらい?
西川 今年は景気があまりよくなかったので、1億数千万円くらいですね。去年も1億ちょっとくらい。
竹内 それでも1億は超えてるんだね。それならつぶれずに済む。
西川 やっとオフィスが移転できそうです。景気が悪いので、不動産は安くなってる。衝撃的なくらいに安くなっていますよね。こんな広い所が借りられるんだって。
竹内 社員は全員エンジニアですか?
西川 営業が1人、経理が1人います。
竹内 それ以外はみんな、100倍速く書けるプログラマですか。
西川 そうですね。
竹内 だとすると、技術オリエンテッドでシーズがいっぱいある状態だけど、サービスを考えて実行するというのは、それとはちょっと違うレベルの話ですよね。サービスを考える、ということをやっている人はいるんですか。
西川 ニーズはお客さんが持っていることが多いので、僕が営業と一緒にお客さんの所に行って、製品化できそうなものはどんどん製品化しています。
竹内 サービスを新たにクリエイトするより、世の中のニーズを嗅ぎ分けて、それに必要な技術を作る、という姿勢なんですね。
西川 ソフトウェアに関しては、そのとおりです。ただ一方で、いろんな会社とサービス自体を作っちゃうこともあります。そういうときはこっちからもアイデアを出します。そういう場合は大抵、会社間というより、個人同士で仲が良かったりします。
竹内 相手も同年代?
西川 ちょっと上くらいです。ベンチャーだけじゃなくて、結構大きな会社でも、優秀な担当者がいたりする。大きな会社でもベンチャーっぽい要素がある。
竹内 大きな会社に行くと、優秀だった人も、元気が吸い取られちゃうことが多いんじゃないかな。そうじゃない人もいる?
西川 います。大企業には大企業の良い面があるし、勉強になりますよ。大企業から声を掛けていただくことが増えてきたんですが、それはそれで面白いです。
僕は社会人経験がまったくないのですが、自分たちのソフトウェアを使う大企業の人だって当然いるわけで、彼らの文化も知らないとダメだなと気付いたんです。だから、一緒に仕事をして、勉強しています。
竹内 「自由度が高い共同研究」というのも会社の理念として重要なキーワードですよね。でも、こういうのは相手がある話じゃないですか。相手は納得してくれるんですか。
西川 納得しないとやらないです。
竹内 シンプルだね(笑)。
西川 方針が合わなかったり、われわれが苦手なことをやったら、お互い不幸になっちゃう。だから、ポリシーから外れることはやりません。
竹内 共同研究も営業活動の成果の1つだと思うんだけど、西川さんが1人でやるの?
西川 プロジェクトのミーティングに同席させてもらって、一緒に。デモはすぐ作っちゃう。それで、面白そうだったら、話を進めていきます。
面白くないことも中にはあるんですけど、それは面白くすればいい。当初の想定だと技術的に面白い部分はあまりないけど、こうすると面白くなりますよね、って提案して、面白くしちゃう。
技術的に面白くないことはやっても仕方ない。うちの会社じゃなくていい。共同研究をやるかどうかの基準は「面白いかどうか」です。
竹内 以前のインタビューで、「エンジニアは最終的に社会に役立つ技術を作っていくべき。会社はそれを加速させるための入れ物にすぎない」ともおっしゃられていますよね。もう少し詳しく説明してもらえますか。
西川 うちの会社で一番大切なのは「人」です。コーディングって理論的なタスクではあるけれど、やっぱり感情に左右されますよね。だから、できるだけアイデアが出やすい環境をつくらないといけないし、そこでやる仕事は面白いものを選んでいかないといけない。面白い仕事を取り出してきて、エンジニアたちに頭を活性化してもらうのが重要なんであって、そう考えると会社は「入れ物」でしかないですよね。
竹内 「入れ物」というより「環境」かな。
西川 「環境」ですね。会社の中に入ると、技術が外に出て行かないことが多いのですが、それは良くない。個々人で、いろんなところで外部に向かって発信してほしいです。
あとは、ソフトウェアには会社の名前はもちろんですけれど、作った人の名前も入っていてほしいですよね。
竹内 それはすごく重要。会社から出てくるソフトウェアには人の名前が入ってないことが多い。ソフトウェアになぜ署名が入っていないのかは昔から疑問です。PFIの製品には署名が入ってるの?
西川 コードのヘッダに勝手に書いてあったりします(笑)。あとは、対外的に発表したりするときに、ここは自分が作りました、とか。会社のライブラリをいずれオープンソースで公開することも考えています。何らかの形で名前が残るようにしておきたいなと思っています。
竹内 公開といえば、社内のセミナー(技術勉強会)を公開しているんですよね。あれは面白いよね。公開しようと思ったのは、社内での議論をオープンにすることでビジネスチャンスが増えるという発想ですか?
西川 Twitterがはやっているので、それで議論がしたいなあと。ハッシュタグを使って。ビジネスのことはあんまり考えていません。内容もビジネスとはかけ離れたものばかり。
Ustreamで配信すると200人くらい集まって、厳しい質問が飛んでくる。特に言語系の話をすると、突っ込みが激しいですね。資料の先の方に書いてあることを、「多分こういう話が来るだろう」って予想してくる人がいたり……(笑)。
竹内 社内外を問わず、環境を提供しているわけですね。
西川 社内に閉じてほしくないと思っています。社名を利用してほしい。
竹内 最後に、起業して良かったと思った瞬間はありますか?
西川 普通に会社に入って働いた経験がないので、比較はできないんですけど、もどかしさはないかな、と思いますね。自分たちで動かしているので。失敗したときは全部、自分たちに跳ね返ってくる。だからこそ、プロジェクトが成功したときはうれしいんですよね。みんなで朝まで飲んだり。
竹内 いいね、こういう元気のいい人が成功して、たくさん露出してほしいですね。面白い話をありがとうございました。
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