シリコンバレーで20年近くにわたりITエンジニアとして働いてきた「エル氏」が伝授する、シリコンバレーでエンジニアとして働く方法。今回は、日本への帰国を決めたエル氏の「出口戦略」です。
こんにちは、エル氏です。ひょんなことから米国に渡り、シリコンバレーの某大手IT企業で20年近くにわたりデバッグしてきた、ごくごく普通のソフトウェアエンジニアです。
今回は、ちょっとエモい話です。
前回までは、シリコンバレーへ行くための「入口戦略」ばかり書いてきましたが、実は「出口戦略」はもっと複雑で厄介です。まして結婚して子供が生まれて、子供が大きくなって、となると、自分のわがままだけで家族の人生を決めることはできません。
在米歴が長くなってくると、日本人エンジニア同士のいろいろなコミュニティーに顔を出すようになります。ITエンジニアつながりだけでなく、スポーツや登山の会、大学の同窓会に県人会、単なる飲み会まで。日本人が集まると決まって話題になるのが、「どうする、人生。これから?」って話です。
シリコンバレーの狂乱物価を考えると、死ぬまでここに住み続けるという選択肢はまずありません。もともと米国の他の州からやってきた米国人であれば、「生まれ故郷の州に帰ってノンビリ少年野球の審判でもやって暮らすよ」って選択は十分アリです。
しかし、米国の田舎には日系コミュニティー的なモノはほとんどなく、日本人同士の付き合いが極めて限られてしまいます。そして、カリフォルニアでは日系スーパーで簡単にアジア食材が手に入るので、自炊して日本食を食べられますが、他州では非常に難しくなります。米国の田舎で余生を送る、というのは日本人にとってはなかなか難しい選択です。
日本人の多くは「やっぱ老後は日本だよねー」となり、「沖縄の離島かな〜」とか「絶対、Gが出ない北海道!」なんて冗談を言い合います。しかし「そのタイミングは?」となると一同一気に真剣モード。「今度レイオフ食らったら、帰るよ」とか「子供が全員独り立ちしたら帰るよ」といったところがだいたいの落としどころです。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.