阿部川 その後、アルバイトで英語の先生もされていますね。これはまたどうして。奈良先端大、プログラミングと来て、英語の先生とは。
ビプルさん それには理由があって。大学4年生になって研究室に入るとすごく忙しくなるので、クレブのアルバイトは続けられなくなってしまったのです。すごく残念でした。そこで少し手軽にできるアルバイトを探していて、先輩がやっていた先生のバイトを受け継ぎました。
阿部川 英語の先生をやりながら、研究室のお手伝いをするのは本当に忙しかったでしょう。
ビプルさん はい。みんなその話ばっかりしていました、めっちゃ忙しいね、めっちゃ忙しいねって(笑)。
研究室には新人研修が3カ月あるので本を3冊か4冊ぐらいカバーしないといけないし、プログラミングもバイト先では「C#」だったんですけど、研究室では「Python」で。それを習得するも大変でした。
阿部川 違う言語を一気に2つ3つやんなきゃとか。でもそういう体験が全部生きているんですね。
ビプルさんには遠く及びませんが、自分も大学のころ、アルバイトと学業と研究の掛け持ちは大変でした……。でも当時の資料のまとめ方、数値を測定するときの注意点、発表の質疑応答などはその後しっかり生きていますので、大変な経験というのは財産なのだなと思います。
阿部川 プログラマー、エンジニアといった道を進み始めたわけですが、小さいころはどんな職業に就きたいと思っていましたか。
ビプルさん 小学校低学年までは宇宙飛行士になりたいと結構真面目に考えていました。でも、宇宙飛行士の育成スペースプログラムを持っている国の人じゃないと(訓練施設に)入れないことが分かって、ネパールにはないので難しい。ならば宇宙関連の仕事でもやろうかと思ったんです。
他にも興味があることはたくさんありましたよ。中学生のころは、数学とコンピュータサイエンスが生かせる仕事をしたいと思っていました。大学のころは数学が好きだったので、グラフィックスや暗号、機械学習に関する仕事が楽しそうだなと思っていました。
阿部川 方向性としてはエンジニアリングですね。もう宇宙に行こうという夢はそこですっぱり?
ビプルさん いや、夢は捨てられません。明日行けるならすぐ行きます(笑)。
多様な価値観を持った土地で育ったネパールの少年は、既存の仕組みにとらわれることなく、さまざまなことにチャレンジする青年となった。後編は現在の仕事のことや、将来の夢について伺う。
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