しかし、ビジネスとIT活用は波乱万丈なものです。これはこれで課題が見えてきました。パブリッククラウドはサービスとしてのみ提供されています。製品として買うことはできませんし、ソースコードも公開されていません。それと同じ仕組みを社内に作ろうとしても作れません。
HPはグローバル企業です。さまざまな国、地域でビジネスをしており、多様な業界の顧客企業がいます。国、地域、業界ごとに、ビジネスのガイドラインやルール、規制があります。こうした中で安全・確実にビジネスを行う上では、HPの社内環境にとどめるべき処理やデータもあります。従って、全てのシステム、データをパブリッククラウドに置くことはできません。
パフォーマンスの問題もあります。HPも含め、企業システムは複数のシステムがデータをやりとりして動いていることが一般的です。その点、HPの拠点にあるオンプレミスシステムと、パブリッククラウドのデータセンターを専用線で、高帯域でつなげても、遅延の問題は無視できません。同じデータセンター内での通信と比べると雲泥の差があります。これは大きな考慮点です。また、パブリッククラウドを活用できたといっても、弊社のシステム全体から見ればごく一部です。社内にはその何倍もの既存システム群があります。
この状態で困るのは、主にアプリケーション開発者です。クラウドの魅力はAPIを使ってインフラやソフトウエアを迅速、柔軟、確実にコントロールできること。しかし、社内にはそのような基盤がない――AWSを使って生産性の高い世界を見てしまっただけに、そのギャップに悩まされることになりました。これを受けて、自然と「AWSのようなIT基盤を社内に作れないものか」という議論になっていったのです。
それと時期を同じくして、HPはベンダーとして、北米データセンターでOpenStackベースのパブリッククラウド「HP Public Cloud」の提供を開始しました。これはOpenStackの進化に合わせてじっくり育ててきたサービスです。2011年にベータ提供、2012年には商用提供を開始。そのノウハウを基に製品開発にも力を入れ、2014年にはOpenStackのHP製ディストリビューション、「Helion OpenStack」のリリースに至りました。ベンダーとしてOpenStackに注力する体制が整ったのです。
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ユーザーである社内のIT部門もその戦略に歩調を合わせていきました。AWSで動いていたシステムを、HP Public Cloudと、社内OpenStack基盤へ――すなわち、プロプライエタリなクラウドからオープンソースのクラウドへと移行を進めていったのです。オープンソースのIaaS基盤ソフトウエア、OpenStackなら、AWSのようなクラウド基盤を社内に作ることができるからです。ガイドラインや規制、パフォーマンスなど、前述したパブリッククラウドのさまざまな課題を考慮する必要がなくなります。
また、多くの企業においてコストの大半を占めるのは、アプリ開発と維持、運用です(皆さんの企業でも、ITコストの内訳は、実はインフラそのもののコストはそれほど大きくなく、全体の2〜3割なのではないでしょうか)。その点、汎用的な機能を呼び出して利用できるAPIには、この部分の生産性を劇的に向上できる可能性があります。そしてAPIを使うのはアプリケーション開発者や運用担当者ですから、それを使うための学習内容、運用ツールなどがバラバラであるより、全て同じ方がいい。その点、HP Public CloudはOpenStackベースであり、社内OpenStack基盤と同一のAPIを使うことができます。
こうした考えを基に、AWSに乗せていたシステムを社内OpenStack基盤に移行し、そのうち「リソースの変動が大きい/読めないシステム」「短期しか使わないことが分かっているシステム」については、HP Public Cloudを使えば良いと判断しました。すなわち、システムの要件に応じて複数のクラウドを使い分ける。共通項はAPI――HPはOpenStack APIを中心としたハイブリッドクラウド環境の整備によって、先に述べた“スピード勝負”に勝てる基盤を築いたのです。
現在、HPは3カ年計画を立て、IT基盤のリフレッシュを進めています。
HPはIT基盤を大きく3つに分類しています。「従来型IT基盤」「パブリッククラウド」「プライベートクラウド」です。
「従来型IT」とは、「現時点でクラウドに向かないシステム群」を指しています。HPでは可用性などのサービスレベルをシステムごとに定義しているのですが、クラウド上でそれを満たせないシステムについては移行しません。例えばERPなどです。クラウド上でこのサービスレベルが満たせるようになってから移行する計画です。“クラウド原理主義”ではないということです。
「パブリッククラウド」では、SaaSを積極的に採用していく予定です。特にHPの差別化要素ではない業務についてはどんどんSaaSを活用する方針です。ライバル企業も同じような業務をしておりイノベーションの余地がなければ、それを支えるITをわざわざ自分で作る必要はないためです。
パブリックIaaS/PaaSについては、社内基盤と連携させながら、「リソース変動の大きなシステム」「短期利用のシステム」などで引き続き活用していきます。社内基盤のリソースがひっ迫した際、自動的にクラウド上のリソースに切り替える、いわゆる「バースティング」という利用形態です。バースティングは技術的にまだ模索段階ではありますが、中長期的に取り組んでいく予定です。
そして最後の「プライベートクラウド」では、OpenStackベースの基盤を拡大していきます。現在はPaaSにも取り組んでおり、オープンソースの「Cloud Foundry」を社内の標準として採用しました。これから新しく作るシステムは、基本的にこのプライベートIaaS/PaaSへ乗せていく予定です。
一方で、過去にコスト削減目的で作った仮想化基盤も継続的に改善していきます。OpenStack基盤へ無理矢理マイグレーションするようなことはしません。関連技術の進展状況を見ながら、中期的に移行すればよいという方針です。
というのも、システムによっては特定のパッケージソフトの利用が前提となることがありますが、そのソフトが特定の仮想化技術しかサポートしていない、ということがよくあるからです。またクラウドの醍醐味(だいごみ)である「作って壊して」という利用形態とライセンスポリシーの相性が悪い場合もあります。例えば「使う可能性がある最大のリソース分のライセンスを買ってください」と言われてしまうと、クラウドでは使いづらいところです。そういったリスクがまだ残っていることが、仮想化基盤を維持する理由です。
すなわち、繰り返しになりますが、HPはクラウド原理主義ではないのです。あくまでもビジネスの目的に応じて、クラウドはクラウドの利点が生きる使い方をすべきであり、クラウドに向かないシステムを、無理をしてまで移行するようなことはすべきではないと考えています。
クラウド活用を検討するとき、その効果を最大化すべく、「全面移行すべき」といった極端な話になりがちなものですが、果たしてそれが現実的でしょうか。メインフレームからオープンシステム、Webベースシステムと企業システムのトレンドは変遷してきました。ある日突然切り替わったわけではありません。小さく始めて、知見と成功体験を得て、段階的に移行を進めたのではないでしょうか。クラウドも、同じと考えます。
以上が製造業としてのHPが、OpenStackを導入・活用にするに至った全容です。企業経営がスピード勝負になっていること、パブリッククラウドを使うことのメリットとデメリット、迅速なビジネス展開に必要なIT基盤の在り方などは、製造をはじめ、流通、小売り、金融といった皆さんの会社にも共通する検討課題といえるのではないでしょうか。HPがOpenStackの導入・活用に至った経緯も、ごく自然な流れとしてご理解いただけたのではないかと思います。
HPはITベンダーですから、「お客さまに提供する技術は、自らも使いこなす」という矜持があります。先進的であることは確かですが、利益を出さなければいけない企業として、ビジネス上、妥当でないものには挑戦できません。HPは、OpenStackを“ビジネスに貢献する武器”として使っています。
本事例をOpenStack導入・活用の参考としていただければ幸いです。
真壁 徹(まかべ とおる)
米Hewlett-Packard Company クラウドチーフテクノロジスト
日本HP公式ブログ「HP Japan Enterprise Topics」
HPのクラウドの方向性、最先端の開発状況を日本のお客さまにお伝えし、かつ日本のお客さまの声を米国HP本社にフィードバックする役割を担う。アーキテクトとして設計支援も担当。公共分野のソフトウェアエンジニア、通信業界担当のプリセールスエンジニアを経て現職。
スピーディなビジネス展開が収益向上の鍵となっている今、ITシステム整備にも一層のスピードと柔軟性が求められている。こうした中、オープンソースで自社内にクラウド環境を構築できるOpenStackが注目を集めている。「迅速・柔軟なリソース調達・廃棄」「アプリケーションのポータビリティ」「ベンダー・既存資産にとらわれないオープン性」といった「ビジネスにリニアに連動するシステム整備」を実現し得る技術であるためだ。 ただユーザー企業が増えつつある一方で、さまざまな疑問も噴出している。本特集では日本OpenStackユーザ会の協力も得て、コンセプトから機能セット、使い方、最新情報まで、その全貌を明らかにし、今必要なITインフラの在り方を占う。
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