転職先は、Web開発を手掛けていたイベントマーケティングSaaSの企業だ。ここで働くことで、Windowsネイティブアプリケーションから、Web開発へと「自分が持っているスキルのスタックを入れ替える」ことを狙ったのだ。
給与水準は下がった。だが、池田さんは自分のスキルセットを入れ替えるためには「採用してくれる会社にお世話になろう。一時的に給与を下げてでも、得られる経験を優先しよう」と考えた。
転職後は、Web系の技術スタックで開発することで、オープンソースソフトウェアに触れる機会が増えた。GitHubとの出会いもこの時期のことだ。
自分でもオープンソースソフトウェアに貢献するようになった。Java言語およびScala言語のWebアプリケーション開発フレームワークであるPlay Frameworkのコミッタを務めていた時期もある。
当時開発していたプロダクトは、既存製品のイベントマーケティング製品に加えて、別のマーケティングの問題を解決するための新製品だった。開発に当たり、技術選定は池田さんに任された。そこでJavaであれば開発者も採用しやすいとの考えから、Play Frameworkを選び、そのオープンソース開発にも参加するようになった。
実は、Play Frameworkとは転職前から出会っていた。作っていたプロダクトはWindowsネイティブアプリケーションだったが、バージョン管理、チケット管理などの役割のWebアプリケーションを作り、社内利用していたのだ。
当時所属していた企業は前職と比べて会社の規模が小さかったので、技術選定、ツール選定が素早くできた――「隣の席がインフラ部長とCTOで、稟議が5分で終わる環境でした」
自分のスキルセットを再構築し、新技術に触れて知見を深めるための良い環境だった、と池田さんは振り返る。
池田さんの歩みは止まらない。イベントマーケティングSaaS企業で3年の経験を積んだ後、「DeNA」に転職する。転職した理由の1つはスカウトが来たこと。もう1つはユーザーベースの大きなサービスで自分を試すことができる環境であることだ。なお、この転職で給与は上がった。
DeNA在籍時、前半はテクニカルコンサルタントを勤めた。DeNAが開発提供するゲームプラットフォームと、外部のゲーム開発会社との橋渡しをする役目だ。自分でコードを書くのではなく、「一段高い抽象レイヤーで」仕事をするようになった。
後半は、ヘルスケア事業を展開する子会社の「DeNAライフサイエンス」で、DNA解析のサービスの立ち上げに関わった。東京大学医科学研究所(東大医科研)との共同研究に基づき、一般消費者向け遺伝子検査サービスを提供するというものだ。
この仕事では、東大医科研が要求する生命倫理コンプライアンスと、DeNAのコンプライアンスを合致させる必要があった。ここでは、ISMS(情報セキュリティマネジメントシステム)のガイドラインをGiHubによる承認フローに適用させるようにした。各種ポリシーと、現場の業務とをうまく整合させる種類の仕事だ。
「あの経験は楽しかった」と池田さんは懐かしそうに話す。
ソフトウェアではコードが全てだが、ビジネスでは人間の振る舞いも考えてポリシーを決めないといけない。その両方に関わることができたからだ。
「システムを分かっているエンジニアが規則やガイドラインを設計した方がいい、とわかりました」――池田さんは、人間も対象としたコードを作る経験を積んだのだ。
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