そして9月10日。A&Dコンサルティングの会議室で一時帰社した翔子からここまでの話を白瀬と共に聞いた江里口美咲は、念を押すように尋ねた。
「請負契約……なんですよね?」
白瀬は隣で、翔子の持ってきた契約書をペラペラとめくっている。
「そう。だから約束した成果物を作る以外の仕事なんてもっての他でしょ?」
「もちろんです。でも……」と、美咲は腕組みをした。
「でも?」
「日本の現場じゃあそういうことはちょくちょく行われてますけどね。お客さんが喜んでくれるからとか、複数のベンダーが『ここでは会社の壁を超えてワンチームで』なんて詭弁(きべん)を吐きながら」
「そうなのね」
翔子はメガネの奥の目を見開いた。
「確かに、お客さんはすぐそばに気の利いたITエンジニアがいれば、いろいろ手伝ってもらいたいことがあるし、ベンダーの方もお客さまだから断り切れない。うちのメンバーみたいに、喜んで手伝っちゃうベンダーも、きっと多いんでしょうね」
美咲は、カバンの中からプリントアウトを何枚か取り出した。
「これ、そういう問題がこじれて裁判になった例です。昨日、先輩から電話でお話を聞いた後で、@ITの訴訟解説連載を調べてみました。請負いなのに関係ない作業を強いられた揚げ句、プロジェクトが遅延した例とか、逆に準委任契約なのに、成果物の品質が悪いとベンダーを時間と関係なく使い続けた例とか。いわゆる『偽装請負』ってやつですね」
翔子は渡されたプリントアウトを1枚1枚、丁寧にめくりながら目を通した。
「やっぱり正しくないのよね。こうして裁判にまでなっちゃうってことは……」
「ええ。でも、お話を聞いていると、先輩のところは裁判どころか問題にもなっていないわけですよね? ユーザーもベンダーも、何の疑問もなく続けてきたんだから」
美咲の言葉に翔子は小さく微笑んだ。苦笑いだった。
「そう。問題になんてなってない。知らなかったのは私だけ……」
「イツワさんにクレームは?」と尋ねる白瀬に、翔子が頷いた。
「もちろん、その日のうちに。でも……」
つづく
「コンサルは見た! 偽装請負の魔窟」第3回は、2020年10月15日掲載です
細川義洋著 ダイヤモンド社 2138円(税込み)
システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」が、大小70以上のトラブルプロジェクトを解決に導いた経験を総動員し、失敗の本質と原因を網羅した7つのストーリーから成功のポイントを導き出す。
※「コンサルは見た!」は、本書のWeb限定スピンアウトストーリーです
政府CIO補佐官。ITプロセスコンサルタント。元・東京地方裁判所民事調停委員・IT専門委員、東京高等裁判所IT専門委員
NECソフト(現NECソリューションイノベータ)にて金融機関の勘定系システム開発など多くのITプロジェクトに携わる。その後、日本アイ・ビー・エムにて、システム開発・運用の品質向上を中心に、多くのITベンダーと発注者企業に対するプロセス改善とプロジェクトマネジメントのコンサルティング業務を担当。独立後は、プロセス改善やIT紛争の防止に向けたコンサルティングを行う一方、ITトラブルが法的紛争となった事件の和解調停や裁判の補助を担当する。これまで関わったプロジェクトは70以上。調停委員時代、トラブルを裁判に発展させず解決に導いた確率は9割を超える。システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」。2016年より政府CIO補佐官に抜てきされ、政府系機関システムのアドバイザー業務に携わる
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