新型コロナウイルス感染症の拡大で働き方や消費行動が多様化する中で、新しいプロダクトを迅速かつ効率的に生み出しスケールさせていくためにはどのような考え方が求められるのか。2020年10月に開かれた「プロダクトマネージャーカンファレンス2020」でEvernoteの共同創業者で「mmhmm」の生みの親であるPhil Libin氏がノウハウを語った。
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新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大で消費者や顧客のニーズが変化する中で、どのようにプロダクト作りを進めていくべきか。Evernoteの共同創業者で、オンライン会議にさまざまな柔軟性を与えるツール「mmhmm」(ンーフー)を開発したPhil Libin氏が「プロダクトマネージャーカンファレンス 2020」に登壇。プロダクト開発時に何を指針とすべきか、何をすべきではないのかアドバイスした。
COVID-19の拡大を受けて在宅勤務体制に移行した企業は、普段社内で行われていた会議や打ち合わせをビデオ会議に移行した。会話だけならば問題ないが、会議室のモニターに資料を投影できなくなる。画面共有機能の煩わしい操作などでもどかしさを感じた人は少なくないだろう。資料をビデオ会議の背景に置き、自由にレイアウトを変えながらビデオ会議ができるmmhmmはその状況を一変させた。
「私たちも在宅勤務が続いていてビデオ会議にへきえきしていた。何か改善できないか考えて思い付いたのがmmhmmでした」(Libin氏)
開発のきっかけはジョークだったというが、背景には深い考え方がある。「今の世の中において、全てがリアルとオンラインのハイブリッドになったという大きな変化」を踏まえ、「実生活よりも、もっと良くしていく」という「IRL+」(Better in real life)というフィロソフィー(哲学)を実現すべくmmhmmは生まれたという。「永続的な変化」を踏まえて生まれた新しいプロダクトだとLibin氏は説明する。
Libin氏はさまざまな「経験」を4つのパターンに分けて説明した。直接対面するかオンラインか、ライブかそれとも録画かの4つだ。COVID-19のパンデミック(世界的大流行)が起きる前は、コンサートやイベントは「ライブで対面」、YouTubeは「オンラインで録画」といった具合に、どれか1つのパターンに限られることがほとんどだった。しかも各パターン間の壁が高く、複数のパターンにまたがるケースは少なかったという。
「大きな変化の波が来てパターン間の壁は崩れ、ハイブリッドという新たなパターンが登場しました。対面授業の継続にこだわり続けてもうまくいきませんが、あるときはオンライン、あるときは録画という具合に組み合わせれば選択肢が増えます。教育、イベント、ヘルスケア、コーチング、エンターテインメントなど、あらゆる領域にこの考え方を適用できます」(Libin氏)。4つのパターンのハイブリッドで、物事を以前よりも良くできる、つまり「IRL+」を実現できるとした。
Libin氏自身、Appleの年次カンファレンスイベント「WWDC 2020」でハイブリッド体験の良さを実感したそうだ。「WWDC 2020はCOVID-19の影響でオンラインのみの開催でした。私は過去に何度もWWDCに参加してきましたが、聴衆としてより興味をそそられ、楽しむことができ、どっぷり参加できた史上最高のWWDCでした」という。そして、「人々や企業がひとたびハイブリッドな世界を理解すれば、世界は前よりもっと良いものになります。昔に戻る必要はありません」と述べた。
「プロダクトのアイデアをどのように拡張していったのか」という問いに対し、Libin氏は、Evernoteのリリース以前から利用してきたフレームワークを紹介した。
このフレームワークは「人々はどのようにしてその製品を選び、買うことを決めるのか」を、2つの独立した人物を思い描きながら考えていく。一人は「気に入ったものがあれば『Yes』といってくれる人」。もう一人はやや保守的で「気に入らなければ『No』という人」だ。「これらは両極ではなく、あくまで独立した別々の問いです」とLibin氏は述べた。
「私は何かを決断するとき、前者には『Yes』と言わせ、後者は黙らせるようにします。そうすることで成功できます。これは優先順位を付ける上で重要なポイントです」(Libin氏)
そして、この2つの問いを頭の中に入れながら、リソースや努力を何に注ぐべきかの意思決定を進めていることを説明した。
プロダクト開発で考慮すべき要素を、Libin氏は4つのパターンに分けて考えている。横軸に「簡単に、少しの時間と労力でできること」と「達成が困難なこと」を、縦軸に「顧客が満足している状態」と「不満を抱いている状態」を取ることで4つの領域ができ、プロダクトに何らかの機能を追加すると、このチャート上に曲線が描かれていくことになる。
第一のパターンは、「簡単にできることを実現して顧客の不満を解消すること」だ。第三象限から第四象限にかけて描かれる曲線であり、決して横軸を上回ることはない。「あって当然と思われる機能、『テーブル・ステーク』や『マストハブ』の機能を実現しないと顧客は怒ります。そのため多くの人は、この曲線に注力し過ぎるというプロダクトマネジメントの失敗に陥ります」(Libin氏)
たとえ顧客に欲しいものを尋ね、多くのリソースを費やしてその機能を実装したとしても、結局は想定の範囲内のものにしかならない。曲線をどれほど伸ばそうと努力しても横軸は突破しない。「誰も興奮したり喜んだりはしないためその製品は購入されません。Noと言われないかもしれませんが、決してYesには至りません」(Libin氏)
そして、もし新たなプロダクトを作ろうとするならば、労力の大半を「顧客がハッピーになる機能を作る」ことに費やし、横軸よりも上で伸びる第二の曲線に注力すべきだとした。
もう1つ、忘れがちだが、性能や安全性をコツコツと向上させていくのに比例して顧客満足度が上昇する第三の「直線」もある。「既にある程度成熟したプロダクトであれば、この直線に時間をかけるべきだ」(Libin氏)。いずれにしても、第一の曲線にほとんど労力をかける必要はないという。
「日本企業の多くが素晴らしいのは、第三の直線を忘れないことです。シリコンバレーの企業はこれを忘れがちですが、日本の企業は性能や速度、セキュリティの向上に目を向け、小さな改良を継続的に重ねていきます。このように地道に洗練させていくことも非常に重要です」(Libin氏)
もちろん、β版の時点でWindows OS版がなかったmmhmmのように、どれほど良いプロダクトでも、使える環境がない状態では困るため、最低限の労力を払う必要はある。ただ「仮にWindows OS版ができたとして、それだけで人々は製品を購入するかというと疑問です。それだけでは顧客が喜んだり、興奮したりはしません。バランスを取ることが大切でしょう」と同氏は述べ、「第二の曲線に時間をかけ、第三の直線にも時間をかける。そして、第一の曲線には時間をかけないことが重要です」とした。
Libin氏の見るところ、「多くの企業は、第一の曲線に時間をかけ過ぎています。特に日本はその傾向が強いように思います。しかし『No』と言われないことを目標にしてしまうと保守的になり、顧客が心を奪われるようなプロダクトを生み出しにくくなります」という。
逆に、第一の曲線を無視して第二の曲線に注力し、顧客の心を奪ったプロダクトの例が、初期のiPhoneだ。当時のiPhoneは、「マストハブ」の1つであろうカット&ペースト機能を搭載しておらず、「これはあり得ない、売れないだろう」と言われたという。Appleはそうした声に耳を貸さず第二の曲線に力を注いで、人々の想像を超え、常識を突き抜けたタッチスクリーンを作り上げた。結果としてiPhoneはベストセラーになった。
ここでポイントになるのは、「顧客の声」の扱いだ。
「私は日本の文化が好きですし、相手の言うことに耳を傾け、対応しようとするサービス精神にあふれているのは素晴らしいことだと思います。しかしこの文化は、プロダクト作りにおいては不都合です。なぜなら、顧客は自分たちの欲しいものを知らないからです」(Libin氏)
そして自動車産業を築いたヘンリー・フォードの「もし顧客に望むものを尋ねていたら『速い馬』と答えただろう」という言葉を例に挙げ、「いくら顧客に『何が欲しいのか』を尋ねても、第一の曲線にしかならない」とした。
「そもそも顧客は、自分自身の問題は何かを理解しておらず、従って解決策も理解していません。だから、顧客が言うことをそのまま聞いてしまう必要はありません。大切なことは、顧客の口から出てくる話の奥にあるもの、顧客がどのような状態にあるのかを理解することです」(Libin氏)
Libin氏はもう少し踏み込んで、プロダクトマネジャーが顧客の声を受け取る上で、どのような立ち位置であるべきかについても答えてくれた。
Libin氏によると、顧客は「自分の気に入らないこと」「不満」を説明するのは得意だが、「どうすればハッピーになるのか」「何があれば満足するのか」という理由を探るのは苦手だ。往々にしてプロダクトマネジャーは、顧客の言葉にただただ応じてしまいがちだが、患者の訴えに耳を傾けた上で適切に診断を下す優れた医者のように向き合うべきだとした。
「顧客自身が提案する解決策は、ほとんどの場合間違いです。顧客の言うことに流されず、本当の理由を理解することがプロダクトマネジャーの仕事です」(Libin氏)
同じく、しばしば営業部隊から寄せられる「あの機能がないから売れません」というフィードバックにも注意が必要だ。こうした機能を満たしても、第一の曲線にしかならない。果たしてそのフィードバックが誰からのものであり、「Yes」と言わせるのに必要なのか、それとも「No」と言わせないために必要なことかを区別して考え、意思決定を下すことが重要だとした。
もう1つ大切なのは「問題を理解し、大切にし、そこからスタートすること」(Libin氏)だ。「大企業ではしばしば正反対のことが起こります。問題そのものを見ずに、製品やテクノロジーを重視してしまうのです」(Libin氏)。典型例がブロックチェーンや機械学習だとし、「機械学習の製品化自体を目的にしてしまうと失敗するでしょう。逆に、もし何か問題があって、その解決に機械学習を用いるならば良いことだと思います」と述べた。
そして最後に、「優れたプロダクトマネジャーになるためのアドバイス」を求められたLibin氏は、自身が優れたプロダクトマネジャーではないと前置きした上で「常に自分よりも優秀な人たちと働くと決め、妥協しないこと」を挙げた。
「『時間がないから』『人手が足りないから』と自分以下の能力の人たちをプロダクトに参画させてもうまくいくことはありません。このアプローチに驚く人もいるかもしれませんが、優秀な人とだけ働くようにすれば、細かな管理を気にする必要もないので睡眠も十分取れて実に働きやすいですよ」
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