コロナ禍を契機に、固定電話機中心のレガシーなPBXから、場所にとらわれない働き方を可能にするクラウドPBXへの移行が進んでいる。企業としては短期間に、低コストで高機能なクラウドPBXを導入したい。そのためのポイントはどこにあるのだろうか。
電話はUI(ユーザーインタフェース)の塊(かたまり)だ。電話機の種類や台数、配置、グループ代表電話での着信時のベルの鳴らし方(一斉鳴動、順次鳴動、ランダム)といった仕様を部署ごとに決めて実装しなければならない。レガシーなPBX(構内交換機)を捨ててクラウドPBXに切り替えることは、部署ごとの仕様をクラウドPBXに移行することを意味する。
電話機も変わるし、使い方も変わる。それをユーザーに納得してもらい、仕様を決めて実装するのはとても泥臭く手間のかかる仕事だ。クラウドPBXの導入にはかなりの期間を要するのが普通だ。
ところが大手エンジニアリング会社の千代田化工建設(本社:横浜市、社長:榊田雅和氏)は、5000台規模の「Zoom Phone」(ZoomのクラウドPBX)をわずか4カ月で導入した。その成功要因を明らかにしたい。
導入を担当した北沢浩之氏(千代田化工建設 ITサービスセンター長)と新長英年氏(千代田化工建設 ITマネジメント部コーポレートICTセクション、Zoom Phone導入のプロジェクトマネージャー)によると導入の目的は2つあるという。1つは電話基盤として使っていたCisco Systemsの「CallManager」が更改期を迎えたことだ。しかも、呼制御サーバだけでなく、約5000台のIP電話機を全て更改しなければならず、大きな投資が必要になったため、幅広く後継の製品やサービスを検討することになった。
もう1つはコロナ禍対応だ。調達部や総務部のように代表電話に出ないと仕事にならない部署で在宅勤務を可能にするには、テレワーク中であっても代表電話を使える仕組みを作る必要があった。
新長氏によると製品やサービスを30種類以上調査し、最終的な候補を3つに絞った。自社でCallManagerの運用実績があり、信頼が置けるCisco Systemsの「Webex Calling」、業務親和性の高いMicrosoftの「Teams Phone System」、UI/UX(ユーザーエクスペリエンス)に優れるZoom Phoneの3つだ。いずれも甲乙付け難かったそうだ。
候補の中からZoom Phoneを選択した理由は、BCP(事業継続計画)と使い勝手、将来性の観点からだ。千代田化工建設は「Microsoft Teams」を使っている。電話もTeams Phone SystemにしてしまうとTeamsの障害時に全てのコミュニケーションサービスが使えなくなる。BCPのため、電話はTeamsから切り離すことにした。
Zoomの使い勝手の良さはよく知られている通りだ。Zoomはコミュニケーションサービスを発展させることに積極的で、バーチャルオフィスをはじめ、先進的なサービスを他社に先駆けて実現することが期待できる。これも決め手になったという。
Zoom Phoneの対象はみなとみらい21地区に位置するグローバル本社を含む3事業所で、電話機は約5000台だ。構成は図1の通り。千代田化工建設のZoom Phoneの使い方には3つの特徴がある。
第1に従前の電話システムで使っていたIP電話機をほぼ廃止し、PCにZoomクライアントを搭載して電話機として使用していることだ(図2)。約5000台あったIP電話機を約300台に減らした。スマートフォンでも利用できるが、会社貸与のスマートフォンは100台余りでメインの電話端末ではない。
第2に代表電話グループをエンドユーザー自身で簡単に変更できるようにした。約100個ある代表グループは構築チームが一つ一つ、メンバーや着信鳴動のさせ方などをエンドユーザーに確認して、初期設定した。初期設定後の変更はエンドユーザーが自分でできるようマニュアルを作成し、代表グループへのメンバーの追加や、休日アナウンスの設定などをエンドユーザー自身で簡単にできるようにした。この結果、社内のITサービスセンターの運用負荷が軽減されている。
第3の特徴は社員一人一人に「045」で始まる「0AB-J番号」を付与したことだ。クラウドPBXでは「050番号」を使うことが多い。千代田化工建設は050番号を使った場合と0AB-J番号を使用した場合のZoomライセンス料金と電話基本料金、通話料を総合的に比較して0AB-J番号を使うことにした。ダイヤルイン番号を持っていた約2000人の社員は同じ番号でZoom Phoneを使えるようにしたため、取引先などに番号変更の周知をしなくても済んだ。新たに0AB-J番号をもらった2000人超の社員は代表番号だけでなく、個人の番号で電話を受けられるようになった。
これまでの電話システムと比較してコストはどうだったのだろう。北沢氏によるとイニシャルコストは10分の1程度になったそうだ。従前のシステムでは1台数万円のIP電話機を5000台使っており、IP電話機を90%以上削減し、PCを電話機にしたことが効いている。保守・運用コストも年間1000万円以上、低減できたそうだ。
音声の品質は良好だそうだ。筆者は自分の携帯から同社のZoom PhoneのPCに電話をかけて20分ほど会話したところ、普通の固定電話と変わらない音質だった。新長氏に音声パケットの流れ方を確認したところ、外部の電話との通話は図1にある赤い矢印のように「PC→LAN→インターネット→Zoom Phone→インターネット→LAN→SBC→公衆電話網→相手の電話機」と流れていることが分かった。
この流れ方だとインターネットを片方向で2回通るために、遅延が大きくなり、インターネット接続回線の負荷が高まるとパケット落ちの恐れもある。遅延やパケット落ちは音質劣化の原因になる。
多くのクラウドPBXでは図3のように、呼制御パケット(通話の開始時のセッション設定、終話時のセッション終了などを行う)はクラウドPBXやインターネットを経由するが、音声パケットは「PC→LAN→SBC→公衆電話網→相手の電話機」とショートカットして流れる。こうすると音声パケットがインターネットを通らないので、音声の遅延がごく少なくなる。パケット落ちの恐れもほとんどない。音質の向上が期待できるのだ。
音声パケットの流れをショートカットさせるには、Zoom PhoneとSBCの連携が必要であり、ユーザー側でどうにかできることではない。Zoom Phone側での対応が待たれるところだ。
Zoom Phoneの導入は2021年7月に設計に着手し、2021年11月1日に稼働した。3事業所にまたがる、5000台規模の電話システムをわずか4カ月で構築したのだ。実績の多いIP-PBXで移行するとしても、6カ月は欲しいところだ。筆者は日本国内での実績が少ないZoom Phoneをわずか4カ月で導入できた要因は3つあると考える。
最大の要因は「PCを電話機にする」という大方針だ。固定電話機を使うとコスト高になるだけではなく、部署ごとに電話機の種類、台数、配置を決め、設置工事をしなければならず、手間と時間がかかる。PCを電話とすることでこれらが全て不要になり、大幅に時間を節約できる。
2つ目の要因は導入プロジェクトチームがエンドユーザーの理解と協力を得られたことだ。固定IP電話機をPCに変えるのは、エンドユーザーにとって大きな変化だ。エンドユーザーへのていねいな説明や分かりやすいマニュアルの用意などの努力が実ったのだろう。
3つ目はZoom Phoneの品質が安定していたことだ。当たり前だが、Zoom Phoneの品質が不安定でトラブルだらけでは導入が進まない。
2022年2月の本連載で紹介したあいおいニッセイ同和損保のクラウドPBXの事例では「電話端末は全てスマートフォンとする」「電話番号は0AB-J番号を廃し、代表番号も含め全て050番号にする」という大胆な設計ポリシーで、経済的でテレワークへ柔軟性に対応できる電話システムの構築を進めている。
今回取り上げた千代田化工建設は「PCを電話機とする」「全社員に0AB-J番号を付与する」というあいおいニッセイとは対照的な設計ポリシーでテレワークに対応できる低コストで高機能な電話システムを構築した。
企業によって電話システムに対する要件は異なる。しかし、自社の目指す電話システムの目的を明確にし、「めりはりの利いた設計ポリシー」を打ち立てることが成功の要因であることは間違いない。
松田次博(まつだ つぐひろ)
情報化研究会(http://www2j.biglobe.ne.jp/~ClearTK/)主宰。情報化研究会は情報通信に携わる人の勉強と交流を目的に1984年4月に発足。
IP電話ブームのきっかけとなった「東京ガス・IP電話」、企業と公衆無線LAN事業者がネットワークをシェアする「ツルハ・モデル」など、最新の技術やアイデアを生かした企業ネットワークの構築に豊富な実績がある。本コラムを加筆再構成した『新視点で設計する 企業ネットワーク高度化教本』(2020年7月、技術評論社刊)、『自分主義 営業とプロマネを楽しむ30のヒント』(2015年、日経BP社刊)はじめ多数の著書がある。
東京大学経済学部卒。NTTデータ(法人システム事業本部ネットワーク企画ビジネスユニット長など歴任、2007年NTTデータ プリンシパルITスペシャリスト認定)、NEC(デジタルネットワーク事業部エグゼクティブエキスパート等)を経て、2021年4月に独立し、大手企業のネットワーク関連プロジェクトの支援、コンサルに従事。新しい企業ネットワークのモデル(事例)作りに貢献することを目標としている。連絡先メールアドレスはtuguhiro@mti.biglobe.ne.jp。
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