ベンチャーは奇数のチームで始めるが吉――ミドリムシ培養「ユーグレナ」の場合転機をチャンスに変えた瞬間(25)〜ユーグレナ 出雲 充(2/2 ページ)

» 2015年01月19日 17時30分 公開
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まだ、勝負すらできていない

松尾 会社立ち上げ時期について、もう少し聞かせてください。

出雲 2005年のある日、当時ライブドアの社長だった堀江貴文さんにミドリムシの話をするチャンスがありました。3日後くらいに「もっときちんと説明してほしい」と連絡をもらい会いに行ったら、堀江さんの机の上にはミドリムシに関する膨大な資料や研究論文があり、「まだ誰もできていない培養をどういうアプローチで成功させようとしているのか」など、かなり専門的なことを聞かれました。

 小一時間くらいやりとりをした後、「そこまで考えているなら会社にして、本腰を入れて研究してみなさい」といってライブドアのオフィスを使えるようにしてくれて、それで会社を立ち上げました。しかしその後、2006年1月17日にライブドアショックがあり、弊社も大混乱に陥りました。

 商談していた会社からは「ライブドアがらみはダメ」と言われ続ける。そこでライブドアから出資してもらった分の株式を私が買い取り、六本木ヒルズから引っ越して、ライブドアとの関係をなくしました。しかし、それでも「来てもらっては困る」と言われ、アポイントすらなかなか取れませんでした。

松尾 ミドリムシを買わない本当の理由は、ミドリムシ以外のところにあったと。

出雲 理由は分かりません。2年間で約500社に営業したのですが、とにかくダメでした。

松尾 2年間、一つも売れない状態が続いたのに、なぜミドリムシのビジネスをやめようとは思わなかったのですか。

出雲 やめるにやめられなかったんです。ミドリムシのマイナス面を指摘されたのなら仕方がありません。しかしミドリムシがダメな理由はどこにもないわけで、まだ勝負すらしていないのにやめるわけにはいかなかった。

 たくさんの食料資源の中で、植物と動物の両方の力と栄養素、遺伝子を持っているのはミドリムシだけです。伝説の秘宝の地図ではありませんが、20年以上前からいろいろな人たちが、「ミドリムシで世界の栄養失調と地球温暖化問題を解決できる」と考えていた。でも培養ができなかっただけなのです。

 「ミドリムシの良ささえ理解されれば、絶対に喜ばれるだろう。栄養価が高く健康によいと素直に気付いてくれる人はゼロではないだろう」という思いで、ずっと続けていきました。そうこうするうちに2008年5月に伊藤忠商事が出資してくれることになり、それをきっかけに多くの大企業から応援してもらえるようになり、軌道に乗れました。

起業は奇数のチームでするが良し

松尾 現在までの道のりが非常に困難なものであったことが、よく分かりました。それでも折れない出雲さんの気持ちの強さは、どこから湧いて来るのですか。

出雲 自分では、それほど大変だったとは思っていません。私はたまたま20歳で、全身全霊、人生を賭けられる対象と出会えました。ミドリムシに関することをやっていると一番ピンとくるし、誰かにやらされているわけでもない。まったく苦にもなりませんでした。

 確かに生活は楽ではなかったし、大変そうな話はしようと思えばできます。2007年の後半に毎月の給料が10万円になり「学生の方がよほどいい生活をしている」と思ったとか(笑)。でもミドリムシの研究やビジネス化に取り組んでいる時は、大変だとは思わなかったのです。

 私は細かい作業を日々コツコツ進めるのは苦手なのですが、ミドリムシに関してだけは「粘り強い」と言われます。それは本当に好きなことをやっているからであって、私は粘り強いわけでも頑張っているわけでもないんです。

松尾 こだわり続けた結果が、現在の状況につながったということですね。

出雲 結局、全部そうだと思うんです。小惑星探査機「はやぶさ」や国産飛行機YS-11、カップヌードル――。もともとの計画通り成功したなんて話はあまり聞きません。ただ、計画通りにいかなくても、好きなことだと人は勝手に粘れるんです。それを苦労とは思わないで。

 もうけようと思って始めたベンチャーはもうからないとやめてしまいますが、好きなものはやめません。それが本当に世の中にためになると信じるものであればなおさらです。

松尾 これから起業を考えている方にアドバイスがあればお願いします。

出雲 ベンチャーを始めるなら仲間が必要です。できれば自分を含めて3人とか奇数のチームがいい。その理由は、好きだからやるベンチャーであっても、最初は絶対思った通りにいかないからです。

 ベンチャーが大企業に勝っているのは時間と柔軟性です。ベンチャーは時間を使ってトライアンドエラーを繰り返し、修正していく作業を柔軟にできます。しかしチームが2人や4人の偶数だと意見が真っ二つに割れて、スピード感ある意思決定ができなくなります。もしくは「お前とはやっていられない」と分裂する。いずれにしても貴重な時間が失われてしまいます。

 しかし3人や5人の奇数なら、自分の案が否定されても「多数決がそちらの案なら、まずそれをやってみよう。もしダメだったら俺の案を気持ちよくやってくれよ」となるんです。私も研究開発担当の鈴木健吾、マーケティング担当の福本拓元の3人チームでスタートしました。

松尾 一人で始めるのはよくありませんか。

出雲 無謀だと思います。本当につらいときに一人でセルフモチベートするのは、ほとんど不可能です。1年以上営業を続けてるのに一社もミドリムシを買ってくれなくて、来月の給料が10万円になるようなときは、さすがに「もうダメだ」と思うわけです。

 しかし他の二人が「明日ミドリムシを買ってくれる会社があるかもしれないから、もう少し頑張ってみよう」と言ってくれると、もう1週間頑張れる。面白いもので、その1週間後には鈴木が「こんな研究は無理だ」と言い出し、私と福本が「もう少し頑張ってみようよ」と背中を支えて研究を続けられる。

 いくらミドリムシを好きでも、1年以上断られ続けたら次の営業に行く気力は出てきません。でも仲間と一緒ならば続けていける。

 奇跡を一人で起こしたという話はあまり聞いたことがありません。奇跡を起こすのは同じ夢を追う仲間の力、チームの力によると思います。

 一番つらいときに励まし合える、という機能がチームにはあります。そういう意味でもベンチャーは一人ではなく仲間で、できれば奇数のチームで始めると離陸の可能性が高まると思います。

松尾 なるほど、仲間がいてこその今、ということですね。

出雲 はい、素晴らしい仲間がいてこその今であり、これからです。本当に心から感謝しています。

構成:宮内健 撮影:上飯坂真

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聞き手 松尾匡起

松尾匡起

クライス&カンパニー シニアコンサルタント

ITベンダーにて人事(採用)を担当。チームマネジメント、人材育成などの経験を経て、転職支援エージェントに転進。コンサルタント、企画系の職種を中心に採用支援サポートを行い、2006年にクライス&カンパニー入社。
1975年生まれ。GCDF-Japanキャリアカウンセラー。
インタビューシリーズ「Turning Point」 バックナンバー


※この連載はWebサイト「TURNING POINT 転機をチャンスに変えた瞬間 ビジネスの現場から」を、サイト運営会社の許可の下、一部修正して転載するものです。データなどは取材時のものです。



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