「江里口さん、ありがとうございます。おかげさまで北上エージェンシーから開発費用3000万円をもらえることになりました」
電話から聞こえる日高の声は明るかった。「A&Dコンサルティング」の江里口美咲は、北上社長との会話を思い出しながら、日高の報告に答えた。
「あそこの社長、座右の銘が『誠実さは商売の礎』だからね。すぐに話を分かってくれたわ。たたき上げの社長には割とそういう人が多いのよ」
「これでウチもひと安心です」
日高の弾むような声に美咲は首を傾げた。
「契約前作業なんて、やっぱりやるもんじゃないわ。たとえ無償でも、契約を結んで、期間と作業内容を詳細に詰め、結果が思わしくないときにはどうするのかも合意して進めるべきね」
「ええ。今回の教訓は社内にも展開します。これでもう同じ失敗はしませんよ」
「さあ、それはどうかしら?」
「え、まだ何か?」
「アンタ、まだ分かっちゃいないわね。マッキンリーみたいなAIシステムを開発しようって会社には、考えなきゃいけない重要な問題があるってこと」
「どういうことでしょうか?」
「これまでのシステム開発で、費用支払いの対象になる知識や技術ってどんなものだった?」
「ベンダーが独自に持っている『設計』とか『プログラム』とか、そういうものでしょうか」
「そうね。そしてAIは、それに加えて『学習ノウハウ』も重要な資産ってことになるでしょ? 『秋の行楽』って言葉から、『ハイキング』や『紅葉狩り』を連想して、お弁当に使える食材やビニールシート、登山靴なんかをひも付けられる頭脳を持ってもらうためには、たくさんのことを人間が教え込まなきゃいけない。その学習ノウハウこそがAIに携わる会社が守るべき貴重な財産なんじゃない?」
「確かにそういうノウハウがお客さんを通して外部に流れたら、重大な損失になります」――日高の声が低くなった。
「それをどう守るか、ね。AIの学習ノウハウは、多くの場合ユーザー企業と共に作り上げていくものだから、著作権や権利関係も複雑でしょ。どちらがどういう権利を持ち、かつ双方が約束を守って情報をみだりに公開しない仕組みを考えなきゃいけないんじゃないかしら?」
「そこをちゃんとしないと、AIを活用したシステム開発なんて、商売自体が成り立たなくなるかもしれないですね」
「そうよ。AIのエキスパートなのに、取れた費用はプログラムを作った分だけなんてことになったら、割に合わないでしょ? これからは『学習ノウハウの価値』がもっと認知されるようになるわ。アンタの会社みたいなところにすれば、宝の山よ。それを生かすも、今回みたいに捨てざるを得ないようにするのも、AIベンダーがユーザーとどれだけ話し合い、きちんと考え、双方納得のいく仕組みを作れるかによるわね。まあ、せいぜい頑張んなさい」
生駒みたいな腹黒男じゃなくても、「発注するする」って言いながら最後に裏切るユーザーっていうのはいるわ。
こういうときには、かならず複数の経路で発注意思を確認すること。お金を握ってるスポンサーから「Go」をもらえたら最高だわ。
あと、無償作業でも期限と作るものについて契約が可能だって覚えといてね(ウインク)。
「コンサルは見た!」Season2「AIシステム発注に仕組まれたイカサマ」完(Season3をお楽しみに!)
細川義洋著 ダイヤモンド社 2138円(税込み)
システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」が、大小70以上のトラブルプロジェクトを解決に導いた経験を総動員し、失敗の本質と原因を網羅した7つのストーリーから成功のポイントを導き出す。
※「コンサルは見た!」は、本書のWeb限定スピンアウトストーリーです
政府CIO補佐官。ITプロセスコンサルタント。元・東京地方裁判所民事調停委員・IT専門委員、東京高等裁判所IT専門委員
NECソフト(現NECソリューションイノベータ)にて金融機関の勘定系システム開発など多くのITプロジェクトに携わる。その後、日本アイ・ビー・エムにて、システム開発・運用の品質向上を中心に、多くのITベンダーと発注者企業に対するプロセス改善とプロジェクトマネジメントのコンサルティング業務を担当。独立後は、プロセス改善やIT紛争の防止に向けたコンサルティングを行う一方、ITトラブルが法的紛争となった事件の和解調停や裁判の補助を担当する。これまで関わったプロジェクトは70以上。調停委員時代、トラブルを裁判に発展させず解決に導いた確率は9割を超える。システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」。2016年より政府CIO補佐官に抜てきされ、政府系機関システムのアドバイザー業務に携わる
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