「星野や事業側から来るオーダーには淡々と答えつつ、『いつか、DXの担い手になるために、組織として必要な能力を付けていこう』」と取り組み始めた直後、大事件が起こった。星野氏や事業側が「リクエストしていたと思っていた」案件を、久本さんが「依頼されたと思っていなかった」ことにより、未着手で放置していたのだ。
「星野から『デジタルがいろんな施策の前提になっているのに、担当部署間で認識が一致してないのは大問題だ』と指摘されました」
全体最適で仕組みを整えていく上では、部署の業務から発想していては全体が見えない。代表を含めた、経営に近い人たちの視点から意思決定する必要がある。だが、当時は優先順位を判断する場がなく、人もいなかった。
いろいろ議論した結果、星野氏から「誰もできないんだったら、僕がやる」という提案があった。「経営者である星野は当時、ITや業務のオペレーションの詳細を理解しているわけではありませんでした。『大丈夫か?』といった周囲からの声もありましたが、逆に私は『これは大チャンスだ』と思いました」と久本さんは当時を振り返る。IT施策に対する経営判断の仕組みを作る、良いタイミングだと思ったのだ。
そこで、星野氏と久本さんを含めた3人で、毎月2時間ほどシステム投資に関する意思決定会議を始めた。たとえ見積もり10万円程度の機能追加であっても、実際にシステムを利用する部門の担当者が星野氏に、これまでのオペレーションや課題、効果などを説明し、代表自身が理解した上で意思決定するミーティングだ。
「最初は大変でした。ですが、1年ぐらいたったら星野の理解がかなり進みました」
しばらくすると、星野氏が「経営者が情報システムを理解し、経営判断できるのは、自分にとってすごく楽だ」と言うようになった。その後、投資判断会議は経理やマーケティングをはじめ、事業責任者を集めて「みんなでやろう」ということになった。
「大問題がきっかけで、経営陣、関連部署、IT担当がフラットな関係性の中でディスカッションし、最後は担当部署が意思決定できる仕組みが作れたなと思いました」
それまではオーダーに応えることが主業務だった情報システム部門に変化が訪れたのは、2019年12月のことだった。星野氏から「情報システムの能力が付いてきたことは分かった。これからは事業側や僕からのオーダーだけではなく、情報システム側からありたい世界を考えて提案し、実装していってほしい」と言われるまでになったのだ。
「まさに、DXの担い手としての資格をもらったな、と思いました」
「組織として必要な能力を付けていこう」と、情報システムグループで取り組んできた「変化前提の組織能力」と「変化を加速させるIT基盤」の2つの施策の成果だった。内製エンジニアも少しずつ増えてきて、グループとしてできることの精度が高まっていた。
そうした状況にあった2020年、世界がコロナ禍に見舞われた。外出が制限され、旅行業者の多くは、大きな打撃とさまざまな対応に迫られた。だが、星野リゾートは違った。コスト削減はもちろんのこと、GoToトラベルキャンペーンや大浴場混雑可視化、ふるさと納税への対応など、情報システムグループが一丸となって、さまざまなアプリを続々とデリバリーした。
こういった取り組みを内製チーム主体でできたのは、情報システムグループにとって大きな成果だった。目指していた「変化前提の組織能力」に対し、最も予想していなかった巨大な変化に対応できたからだ。
「コロナ禍で、僕らはやるべきこと以上のことをやれました。DXの担い手の資格を証明できたと思いました」
機が熟してきたことを感じた久本さんは、勝負に打って出た。以前からの課題だった予約と運営の情報が分断していた基幹システムの再構築にいよいよ取り組もうと、投資判断会議の議題に上げたのだ。以前とは異なり「確かにそうだね」というディスカッションと意思決定が、事業責任者の中で行われた。
ホテル業界の構造的な問題は、1社だけでは解決しにくい。だが、星野リゾートの場合、マーケティングの努力などにより、旅行会社経由ではなく自社チャネルからの予約が9割近くになっている施設もあった。
それならば、自社の戦略に沿った基幹システムを再構築できる! と久本さんは意気込んだ。
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