次に選んだ道は、システム開発とは全く懸け離れた自衛隊への入隊だった。父親が自衛隊に勤めており、以前から勧められていた進路だったことに加え、「システム開発の道は諦め、いっそ離れてしまいたい」という、ちょっと捨て鉢な思いもあったという。
翌年4月に入隊したが、そこで命じられた任務は「通信班」だった。電力の供給にはじまり、野外基地局の設営や通信線の配線、起動など、ネットワークインフラ回り全てを担う仕事だ。「専門学校や前職で学んできたこととは全く異なり、一から勉強でした」という。
さて、一通信兵となるとますます「歯車感」を感じそうなものだが、意外とそれはなかった。「なぜこの作業が必要なのか分からないまま仕事をする歯車感とは異なり、自衛隊の中では、下っ端の自分でも『なぜこの作業が必要か』は理解でき、達成感は得られていました」と、尼崎さんはその気持ちを分析する。
朝は6時に起床し、点呼、朝食を終えたら1日の業務の準備を行い、訓練や業務、合間を見てはランニングで体力を付け、勤務が終われば銃剣道部で体を鍛える……そんな日々を過ごしながら、通信回りの知識を身に付けていった。
そうこうするうち、「PCやITシステムに詳しい隊員」として他の同僚とはちょっと違う待遇を受けるようになった。「表の集計をしたいんだけどやり方分かる?」などと頼りにされる場面も少なくなく、充実した生活を過ごしていた尼崎さんだが、少しずつ、封じ込めていたはずの「システム開発がやりたい」という思いが頭をもたげてきたという。
「入隊してしばらくは、いろいろなことを覚えるのに精いっぱいで他のことを考える余裕もなかったんですが、1年ほどたって慣れてくると、気付いたらスマートフォンでシステム開発に関する技術ページを隠れて読んだり、こっそり勉強したりしていました」
そのころIT業界も大きな変革期を迎えていた。iPhoneやAndroidが登場し、スマートフォン時代が到来。システムそのものも、従来のクライアント/サーバ型から、Webサービスを前提としたものが広がり始め、「自分でも実際に開発してみたい」という思いがどんどん強くなっていったという。
「このまま自衛隊の中にいれば生活も安泰だし、楽しく過ごせるだろうと感じていましたが、ここで夢を諦めてしまったら一生後悔するだろう、もう一回挑戦したいという思いになりました」
外出はもちろん、インターネット利用もなかなか自由にはできない駐屯地の中にいては納得のいく転職活動は難しいだろうと考え、いったん自衛隊を退職し、きちんとシステム開発の仕事を探すことにした。
最初の就職、そして自衛隊と二度の転機を経験し、さすがに尼崎さんも「もう後がない。この先生き残っていくには、所属先の安定ではなく自分で技術力を手に入れないといけない」と決意していた。
ハローワークに通って転職活動を進めると、元自衛隊という経歴もあってか次の就職先はすんなり決まった。主に派遣を主業務としていた独立系のシステムインテグレーターだった。業務系Webシステムの開発ができることが魅力に感じた。
だが、そこでも新たな壁にぶつかることになった。
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