ビッグデータがやっと来た。MITにいた90年代終盤、盛んに議論されたユビキタス情報社会がようやく現実になる
ビッグデータ。マルチデバイス、クラウドネットワーク、ソーシャルサービス3点の普及で、爆発的な情報量、データ量が発生し、それを蓄積・分析することで、新しい価値が生まれるというものだ。
スマートメーターを用いてスマートグリッドがITで電力供給を管理する。クルマをセンサにして、急ブレーキを踏む場所を分析し、事故対策を立てる。自販機に据え付けたカメラでユーザーの性別や年齢を把握し、天候・気温・時刻データを相関させて行動パターンを把握する。ポイントカードの情報を分析して購買行動を分析する。
数百テラバイトの情報が、人だけではない、デバイスやセンサから発信、蓄積される。マルチデバイスの情報がクラウドで処理され、SNS上の顧客の声で分析される。それが新規事業戦略や公共サービスに生かされる。矢野経済研究所は2012年で2000億円の市場が2020年には1兆円に成長するとみる。
ビッグデータをバズワードとみる向きもある。だが私は、「やっと来たかユビキタス」という感慨の方が深い。MITにいた90年代終盤、盛んに議論された情報社会がようやく現実のものになる気配がするからだ。
メディアラボの創設者、ネグロポンテ教授は「アトムとビットの結合」を唱えた。アトム=原子=物理空間と、ビット=情報空間とが結合するという概念は、90年代にアトム→ビットとして実現した。インターネットである。現実の営みがネット上でも行われるようになるということだ。
そして2000年代には逆運動、ビット→アトムが期待された。情報が現実空間にせり出してくる。そう、「ユビキタス」である。
ところが、ユビキタスを日本は「いつでも、どこでも、誰とでも」と誤訳してしまった。だからユビキタスが実現したような気になっていた。違う。それはユビキタスではなくて、「モバイル」。モバイルとユビキタスは、3点で別物なのだ。
総務省のデータを基に計算すると、過去10年の日本の情報発信量は30倍増加。今後10年で世界の情報量が300倍になるという予測もある。爆発的だ。でもこれらはP2Pのコミュニケーション。物と物がつながるなら、1人100個のモノがあるとして、100×100にはなるので、はるかに情報量が増える。
故マークワイザーがXEROX当時にユビキタスコンピューティングを唱えて20年。12年前にはウェアラブルコンピュータもあれこれ提案されたが、とんと来なかった。恐らくテクノロジよりもファッションの問題だったんだろうね。かっこいいウェアラブルが現れなかった。デザインの重要性が今も問われている。
スマートメーターといったファッションやデザインが前面に出ないインフラ的な地平からユビキタスが再登場してきたのはうるわしい。コンピュータを現実空間に埋め込んで視界から取り除き、賢く、静謐な社会を作るというユビキタス元来の概念にふさわしい。
この点、日本はテストベッドとして適していよう。八百万の神々が隅々に静かに住んでおられるのだから。あらゆるモノが命を宿しているのだから。だからロボットペットが受け入れられ、マイコン炊飯ジャーが使われる。いらっしゃいませとしゃべる自販機が街角にたたずみ、電車の改札はアッチからもコッチからも来るおさいふケータイに反応して扉を毎秒、黙々と開け閉めしているのだ。
そんな議論をしていたら、西和彦さんがソーラー発電+蓄電池の5万円ホームセットを紹介してくれた。ええっ? それってイノベじゃないですか? 12年前、西さんと僕らのチームがMITで提案した100ドルPC構想が途上国の教育情報化を推進する大プロジェクトに化けた。ダウンサイジングが教育を変えるという発想。日本政府には響かなかったけど。
で、電力もダウンサイジングでみんなが発電するようになると、スマートグリッドや代替エネルギー事業などを飛び越えてしまわないか。インターネットが電話事業をグズグズにしたように、電力会社も急激に液状化しないかね。
さて、みんながスマートメーターやセンサでつながると、そのデータは誰のもの? という問題が起こる。電力会社は囲いたがり、ユーザーは自分の情報と考える。センサ=モノが発する情報を社会としてどう活用するか。「オープンデータ」の問題だ。
MITのパティ・マース教授は、10年前、エージェントソフトをユビキタスに埋め込んでいくに当たり、技術よりプライバシー管理の方が難問になるだろうと予想していた。その通り、技術の段階を経て利用のステージに至るやいなや、技術を社会が円滑に受け入れる仕事が難しくなってきている。
もう1つ気になるのは、HTML5の行方だ。ビジネス戦略上、アップルもグーグルもHTML5を支持し、Webがマルチデバイスのプラットフォームになる展望が見えた。そしてHTML5で白物家電がWebにつながり、M2Mが進む可能性がある。日本メーカーが再生するには、得意技である白物をつなぐ方向ではないか。だが、ザッカバーグがHTML5をディスるなど、怪しい雲行きもある。
このあたりの動向は、今後10年の情報社会を左右する。目が離せない。
中村伊知哉(なかむら・いちや)
慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授。
京都大学経済学部卒業。慶應義塾大学博士(政策・メディア)。
デジタル教科書教材協議会副会長、 デジタルサイネージコンソーシアム理事長、NPO法人CANVAS副理事長、融合研究所代表理事などを兼務。内閣官房知的財産戦略本部、総務省、文部科学省、経済産業省などの委員を務める。1984年、ロックバンド「少年ナイフ」のディレクターを経て郵政省入省。通信・放送融合政策、インターネット政策などを担当。1988年MITメディアラボ客員教授。2002年スタンフォード日本センター研究所長を経て現職。
著書に『デジタル教科書革命』(ソフトバンククリエイティブ、共著)、『デジタルサイネージ戦略』(アスキー・メディアワークス、共著)、『デジタルサイネージ革命』(朝日新聞出版、共著)、『通信と放送の融合のこれから』(翔泳社)、『デジタルのおもちゃ箱』(NTT出版)など。
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