震災から1年。復興にITは決定的だ。「ものづくり=技術力」「コンテンツ=文化力」のドッキングで、安全で活力ある社会の再生を果たすための3要素とは?
3.11は、平時から有事への政策転換を促した。
コンテンツ政策も同じ。
コンテンツ政策は今世紀に入りようやく政策領域として認知されたものだが、その眼目は「コンテンツ産業の発展・成長」だった。それは平時における成長戦略としての位置付け。有事においては別の目的が先頭に立つ。
「安全・安心の情報共有」「海外への正しい情報発信」といった 事柄だ。そして、であるからこそ、政策としての重要性が高まっているわけだ。エンターテインメント産業の拡大を もくろむ政策なんてものはいわば「遊び」の産業政策。これに対し、国家危急に際しての情報戦略こそがコンテンツ政策の本丸。そういう意味では、こうした不幸な事態に至り、やっとコンテンツ政策が本分を見極める機運となった次第だ。
あれから……1年。復興のつち音が聞こえる。
復興にITは決定的だ。被災地でも、生活物資の確保や道路交通インフラの整備などと並び、情報手段の確保は大事な課題。しかし同時に、日本全体の復興策、新しい社会の建設策にどうITを役立たせていくのかがより本質的な問いだ。「ものづくり=技術力」と「コンテンツ=文化力」のドッキングで、安全で活力ある社会の再生を果たすにはどうすべきか。
3点挙げてみる。
阪神淡路では固定電話がダメだったが、普及間もないケータイは通じた。今回はケータイもダメ。ネット、特に Twitterやmixiなどソーシャルメディアが活躍した。インターネットは核戦争を想定して設計したもの。パケット通信の威力が初めて実証された。
では今後どうする。デバイスはマルチになる。通信・放送ネットワークも融合する。全国的に安全で柔軟なネット環境を構築する必要がある。地デジ後、融合後の新しいメディア環境を改めて設計しよう。
日本は震災の国だ。アメリカが核戦争に備えIT関連の研究開発を進めたように、日本は自然災害に立ち向かう技術を研究開発し、実装し、強い国土を建設すべきだ。
震災直後からテレビ番組をNHK、TBS、テレ朝、フジなどキー局がUst中継した。海外の 人たちもリアルタイムで日本の状況をテレビ番組×ネット中継で眺めた。Ustreamの世界ユーザーがその後2週間で5000万人から1億人に倍増したという。
海外のメディアが日本を賞賛する報道も目立った。暴動も強奪もなく、電車を2列で待つ、冷静で毅然とした日本。こうした等身大のありようがクールジャパンの源だ。そうした姿を改めてコンテンツとして発信していきたい。日本の力を 見せ付けるチャンスでもあった。しかし、その後の原発対応のグズグズで、日本のイメージは悪くなり、観光客も激減した。
正確な情報をさまざまなチャンネルで発信する態勢が要る。ヒマな政治家は 皆海外にプレイアップしに行け! 海外メディアを買うなりチャンネルを押さえたりする 他、日本語サイトの多言語翻訳も進めたい。
今回、被災地でソーシャルメディアが役に立ったと いっても、高齢者の普及はまだ低い。でも、使えたらもっとみんな安心して対応できたはず。もっとITが場所や世代を超えて使えるよう環境を整えること。すなわち、情報格差の是正、情報リテラシー教育の充実。
被災地では、63万 冊の教科書が流されてしまったという。カルテが流されて必要な薬が 分からなくなったりしている人も多いと聞く。そんなのはコンテンツをデジタル化 し、クラウド化しておけばよい。これは被災地対策ではなく、全国の情報化策として手当てしておくべき問題だ。
そういう利用面の対策もコンテンツ政策として強力に乗り出すべきだ。
復興は新しい悲願。やり 遂げなければならない。だが、その前に、大敵がいる。
自粛モードだ。
それは、震災で発生した問題ではない。ここ10年以上、日本に まん延する「一億総びびり症」だ。縮み指向、とも いう。まずいことが起きると、じゃやめとこ、締めてしまおう、となる安全志向。そして自縄自縛で動きが取れなくなる。そんな情勢が続いている。
それが震災で悪化した。震災後、被災地以外の土地で、集まりや遊びを自粛し、下を向いて歩くのが礼儀のような空気が 立ち込めた。テレビのCMもしばらく自粛されていた。復興に当たってはこれが最大の敵だと考え、ぼくが会長として昨年5月に 取りまとめた知財本部コンテンツ調査会の報告では、「自粛を自粛する」という文句を数度にわたり書き込んだ。空気を換えたかったのだ。
2005年の姉歯問題。建築確認を厳格化すべく「建築基準法」が強化され、全国的に建設業が冷え込み、景気減速につながった。金融でも「貸金業法」の規制を強化し、中小企業の資金繰りが厳しくなるという事態も発生した。
対面販売以外で医薬品を販売することを禁止する「薬事法」の2009年改正も、ヤバいことは 取りあえず締めとこう、という流れの結果だ。官製不況という言葉があるが、官が勝手にやったんじゃない。民が望んで自らを縛ったのだ。
「青少年がケータイを使うのは百害あって一利なし。」2007年、福田首相の見解は「青少年インターネット環境整備法」の制定、そして地方自治体の条例による規制につながった。ケータイは危険であり、使わせないのがよいという空気が今も漂っている。
2009年のインフルエンザ流行も不思議な様相を呈した。なぜか日本だけ、老若男女がみなマスクを着用する異様な光景を全国で 見せ、海外からは日本はそんなに危険な状態なのかと受け止められた。
震災はそうした重く湿った空気のもとで発生した。
不幸な事態を悔やみ、被災者を おもんばかって頭を垂れることは麗しい。安心、安全を志向し、万全の対策を立てることは正しい。でも、そのために どれだけの社会コストを 掛けることが適正かということも心得ていないと、縮こまりが進み過ぎて、世間がコチコチに固まってしまう。安心・安全にコストを掛けることは今後の世界のモデルになり得る。だけど、安心・安全過ぎて身動きが取れないのは、新たな不安となる。
私が関わっているプロジェクトでも、地震直後にデジタルサイネージの点灯を自粛したり、デジタル教科書の推進に不安が表明されたりしていたのも、個別の理由の皮をむいていくと、結局「なんとなく」やめておこうよという根拠のない消極に突き当たる。
空気を換えたい。特効薬はないかもしれん。私にできることは、元気の出るプロジェクトを前に進めていくことだろう。迷ったら、やってみようよ、そんな具合に。
慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授。
京都大学経済学部卒業。慶應義塾大学博士(政策・メディア)。
デジタル教科書教材協議会副会長、 デジタルサイネージコンソーシアム理事長、NPO法人CANVAS副理事長、融合研究所代表理事などを兼務。内閣官房知的財産戦略本部、総務省、文部科学省、経済産業省などの委員を務める。1984年、ロックバンド「少年ナイフ」のディレクターを経て郵政省入省。通信・放送融合政策、インターネット政策などを担当。1988年MITメディアラボ客員教授。2002年スタンフォード日本センター研究所長を経て現職。
著書に『デジタル教科書革命』(ソフトバンククリエイティブ、共著)、『デジタルサイネージ戦略』(アスキー・メディアワークス、共著)、『デジタルサイネージ革命』(朝日新聞出版、共著)、『通信と放送の融合のこれから』(翔泳社)、『デジタルのおもちゃ箱』(NTT出版)など。
twitter @ichiyanakamura http://www.ichiya.org/jpn/
記事中写真:著者撮影
アイコンイラスト:土井ラブ平
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