誰かに何かを教えてもらう。時間を割いて相談に乗ってもらう。それは相手の“いのち”をもらっているに等しい行為かもしれない。
2012年から上智大学の「グリーフケア講座」に通学している。各界からの講師による輪講形式でグリーフ(悲嘆)のケアについて学ぶ基礎講座で、講師には聖路加国際病院名誉院長の日野原重明氏も含まれている。
日野原医師といえば、100歳を超えてなお現役で臨床に当たるだけではなく、本をたくさんお書きになったり、ミュージカルを行ったり、子どもに対する「いのちの教室」を開かれたりと八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をなさっていることでも有名だ。
ある日の授業で、日野原医師が私たち受講者に問い掛けた。「いのちって何ですか? 何と説明しますか?」。皆が「うーん」と考えた。
日野原医師は、同じ問いを10歳くらいの子どもに向けた時のことを話してくれた。子どもたちは胸に手を当てて、「心臓のこと?」と答えたそうだ。「それは違います。心臓は“いのち”ではなく、単なる血液を送るポンプにすぎません」と、日野原医師は続けた。
では“いのち”とは何か。
「それは、私たち一人一人が持っている“時間”のことです。人はそれぞれ限られた“いのち(時間)”を持つ生き物です。“いのち”は確かに存在するけれど、目で見ることはできません。大切なものは大抵目に見えません。“いのち”は目では見えないものなのです」――この言葉は、私の心にとても響いた。
“いのち”は時間。私の“いのち”とは、私に与えられた時間。
私たちは確実に死に向かっている。残された時間がどれだけあるかは分からないけれども、その時間こそが私たちに与えられた“いのち”なのだ。こう考えると、毎日の意味が変わってくる。
何をしていても、私の「いのち」を費やしていることになる。だとすれば、何にその「いのち」を使うのか、考えてみる必要がある。
ぼんやりネットサーフィンしていても「いのち」は消費されるし、厳しくてもやりがいのある仕事に「いのち」を注ぎ込むこともできる。誰かと会うことも「いのち」を使うことだし、相手の「いのち」を頂くことでもある。
仕事をしていると煩わしいことがたくさんある。顧客に嫌みを言われたり、上司や同僚とそりが合わなかったり。誤解されたり、ひぼう中傷を受けたりすることもある。そんな時、好ましくない出来事が心の中を占拠するかもしれないが、それはとてももったいないことだ。
何かを思い煩って何日も過ごすなんて、自分の大切な時間=“いのち”をたくさん費やしていることと同じだ。だったら、考えても仕方ないことはすぱっと忘れるとかスルーするという手もある。
同じ“いのち(時間)”であれば、楽しくない“いのち(時間)”より、楽しい“いのち(時間)”に使った方が良いではないか。
自分の時間だけではない。
誰かが自分に時間を割いてくれたなら、それは、相手が“いのち”を使ってくれていることなのだ。人さまの“いのち”を無駄に使わせていないかにも配慮したい。
例えば何かを教えてもらうとき、何の予習もせずに教えてもらったら、相手に余計な時間を使わせることになるかもしれない。自力で調べたり学んだりした上で教えてもらえば、相手の大切な時間を大量に使わせなくて済む。
会話するときも、できるだけ楽しい話題を選び、楽しい時間が過ごせるように努力した方がよい。自分も相手も楽しい気分で満たされ心穏やかにいられるようにした方が、自分の時間だけでなく、相手の時間、すなわち“いのち”も大事に使うことができる。
誰かの相談に応じるとき、誰かの手伝いをするとき、私は相手のために“いのち”を差し出している。誰かに相談に乗ってもらうとき、誰かに手伝ってもらうとき、私は相手の“いのち”を頂いている。
互いに時間を費やすことは、それぞれが相手に“いのち”を差し出しているということだ。そう考えると、とても重い。
日野原医師は、こうも言った。
「大切な“いのち”すなわち時間を、自分のために使うだけでなく、誰かのために使いましょう。自分のために使う時間と誰かのために使う時間、バランスは取れていますか?」
自分の“いのち”を自分のためだけに使わず、誰かのために費やしているか。つまり、誰かのために生きているか。これは、とりもなおさず、誰かの役に立っているかという問いでもある。
“いのち”は時間。
毎日意識していたら疲れてしまうだろうけれど、ときどき思い出したい言葉である。「私は自分の“いのち”を大切に使っているだろうか。相手の“いのち”に感謝しているだろうか」と。
グローバルナレッジネットワーク株式会社 人材教育コンサルタント/産業カウンセラー
1986年 上智大学文学部教育学科卒。日本ディジタル イクイップメントを経て、96年より現職。IT業界をはじめさまざまな業界の新入社員から管理職層まで、延べ3万人以上の人材育成に携わり28年。2003年からは特に企業のOJT制度支援に注力している。
日経BP社「日経ITプロフェッショナル」「日経SYSTEMS」「日経コンピュータ」「ITpro」などで、若手育成やコミュニケーションに関するコラムを約10年間連載。著書:「ITマネジャーのための現場で実践! 若手を育てる47のテクニック」(日経BP社)「速効!SEのためのコミュニケーション実践塾」(日経BP社)など多数。誠 Biz.ID「上司はツラいよ」
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