人材育成歴30年の田中淳子さんが、職業人生の節目節目で先輩たちから頂いてきた言葉たち。今回は淳子さんの職業選択に大きな影響を与えた言葉を紹介する。
人材育成歴30年の田中淳子さんが、人生の先輩たちから頂いた言葉の数々。時に励まし、時に慰め、時に彼女を勇気付けてきた言葉をエンジニアの皆さんにもお裾分けしたい、と始まった本連載。前回は、あるエンジニアが厳しい要求を出し続ける顧客からいただいた言葉を紹介した。さて、今回のお話は……。
1980年代に大学を卒業した私は、今はなきDEC(Digital Equipment Corporation)というコンピューターメーカーに就職し、「コンピューター技術を技術者に教える」仕事に就いた。当時はまだコンピューターが身近ではなく、コンピューターはおろかワープロすら触ったことがなかった私が、なぜコンピューターメーカーに就職し、あろうことか技術者に技術を教える職種で職業人生を始めたのか。
きっかけは、大学の恩師のひと言だ。
80年代の就職活動は実にのんびりしていた。とりわけのんびりしていた私は、4年生になってしばらくたってから、「はて、就職というものをしなければならないが、どうしたらいいのだろう?」と思った。自分でよく考えもせず、ゼミの指導教授の研究室にのこのこと出かけ、こう尋ねたのだ
「私、いったい何をしたらよいのでしょうか?」
先生はあきれたそぶりも見せずに私の質問を受け止め、こうおっしゃった。「コンピューター業界がいいんじゃないのかな? これからは女性も長く働く時代になるだろうし、コンピューターがあれば、在宅勤務など制度面でも柔軟性がありそうだし」
その言葉がきっかけとなってDECの入社試験を受けた。職種別採用制を採っていたDECには「技術教育エンジニア」、いわゆる講師の職種があった。学生時代に学んだ「教育学」と教授が薦めてくださった「コンピューター業界」がうまく融合した仕事だった。
何も知らずに入社したものだから、新入社員研修の初日から大変な思いをすることになった。「コンピューター入門研修」の講師が新入社員に投げ掛けた最初の質問は、忘れもしない「皆さんは、どんなプログラミング言語を使ってきましたか?」だ。コンピューターとの接点が皆無だった私は、頭の中が「?」だらけになったことを覚えている。
そんな職業人生のスタートだったが、「講師」という仕事は性に合っていたのだろう。コンピューター技術の研修に10年間従事し、その後ビジネススキル分野に畑を変え、今年でとうとう講師生活30年目に突入である。
あの時、教授に「コンピューター業界」を薦められなかったら、今ごろ私はどこで何をしているのだろう、とときどき思う。
クラス会などで教授に会うたびに、「先生がコンピューター業界に進んだらどうかな? とおっしゃってくださらなかったら、私の人生はもっと迷走していたと思うのです。本当に感謝しています」とお礼を言うのだが、先生は決まって「淳子さんはいつもそうやって感謝してくれるんだけど、ぼく本当にそんなこと言ったかなあ。全然覚えていないんだよね」ときょとんとなさる。「第一コンピューター業界のこと、知らなかったしね。何でそんなこと言ったのかなあ」と笑いながらおっしゃったこともある。
えーーーーっ? 先生……そんなぁ……。
この連載「言葉のチカラ」は、私が誰かに言われて救われたり、ほっとしたり、頑張ろうと思えたりした言葉をモチーフにつづっている。
「僕は応援団長だよ」と言ってくれた恩師、「不遇のときこそ勉強のチャンスだよ」と教えてくれた先輩、多くの方々の言葉に支えられて生きているんだなあ、としみじみ思う。
どの言葉も、いただいた瞬間の状況や場面が映像のように脳内に刻み込まれている。「応援団だよ」と年賀状に書かれた添え書きは、自宅のダイニングチェアで読んだ。「不遇のときこそ」と言われたのは、オフィスの自席だった。先輩と雑談している最中にいただいた言葉だった、とその時の光景までよみがえる。
それほど強烈に覚えているからこそ、こうして書けるわけなのだが、「あの言葉で元気が出ました」と本人に言うと、「俺、そんなこと言ったかな」「ぼくがそれを言ったの? いつ? どんな場面で?」という反応が返ってくることが多い。
どうやら言葉を発した側は、慰めようとも励まそうとも思っていなくて、思ったことを口に出したにすぎないようだ。でも私は、その言葉を強く受け止め、頭の中で何度も何度も反すうし、心に深く刻み込んでいる。
発する側に意味がなくても、受け止める側が意味付けをする。言葉はそういうフシギな作用をもたらす。
私が何かを欲しているときに、誰かの言葉をキャッチし、咀嚼(そしゃく)する。それが考えを整理したり、行動を起こすきっかけとなったりする。他者からの言葉が、ときに私の人生に何らかの影響を与えてくれる。
逆に考えれば、私の言葉が誰かの人生に何かしらの影響を与えることもあるかもしれない。自分が深い意味を持たずに発した言葉であっても、相手がそこに意味付けをして、心に深くとどめているといったことが、実は世界のあちこちで起こっているのではないか。
コミュニケーションを「キャッチボール」に例えることがよくあるが、この場合の言葉は、「しゃぼん玉」かもしれない。ふわふわと空中に浮いていて、必要な人が必要な時に、必要な言葉をそっと手でつかむ。そんな風景を頭の中で思い描いてみると、なかなか楽しい気分になれるものである。
グローバルナレッジネットワーク株式会社 人材教育コンサルタント/産業カウンセラー
1986年 上智大学文学部教育学科卒。日本ディジタル イクイップメントを経て、96年より現職。IT業界をはじめさまざまな業界の新入社員から管理職層まで、延べ3万人以上の人材育成に携わり28年。2003年からは特に企業のOJT制度支援に注力している。
日経BP社「日経ITプロフェッショナル」「日経SYSTEMS」「日経コンピュータ」「ITpro」などで、若手育成やコミュニケーションに関するコラムを約10年間連載。著書:「ITマネジャーのための現場で実践! 若手を育てる47のテクニック」(日経BP社)「速効!SEのためのコミュニケーション実践塾」(日経BP社)など多数。誠 Biz.ID「上司はツラいよ」
ブログ:田中淳子の“大人の学び”支援隊!
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